山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第15日)

2015-02-11 00:12:42 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです> 

第15日:12月1日(水)

 <行程>

道の駅:原尻の滝 →(R502)→ 道の駅:きよかわ →(R502他)→ 臼杵石仏探訪 →(R502・R217・R197)→ 道の駅:佐賀関 →(R197他)→ 大分宮河内IC →(東九州道・大分道)→ 把木IC →(R386・R216他)→ 道の駅:うきは →(R216・R386他)→ 道の駅:原鶴〔泊〕 <221km>

 

昨日は暗くなっての到着だったので、周りがよく分からなかったが、近くにあるらしい滝の音は聞こえていた。朝になって確認すると、此処は山の中ではなく、平地に近い地形で、周りには畑や田んぼが広がっている。道の駅から少し歩いた所に原尻の滝があった。100m弱の川幅の真ん中に鳥居が建っていて、その直ぐ下の川が一挙に落ち込んで滝になっている。ナイヤガラには遠く及ばないが、あれと同じタイプのミニミニ・ナイヤガラの滝である。鳥居が建っているのは、やはり何か信仰の対象となっているのであろう。神渡りなどの行事が行われるのかもしれない。詳しいことは分からないが、自然と人々をそのような衝動に駆り立てる風景だった。考えてみると、一昨日の夫婦滝から始まって、白水ダム、黄牛の滝、この原尻の滝と滝めぐりをしているような結果となっている。その中では、やはりこの原尻の滝が一番スケール大である。滝の下には観覧用の吊橋が架けられ、滝を巡る周遊路が整備されている。それらをゆっくり廻って、滝下の川原に下りたりして、景観を楽しんだ。いい所である。

今日は海側に出て臼杵の石仏などを見ながら北上する考え。先ずは臼杵方面へ向かうことにした。R502を直進して少し行くと清川という道の駅があり、ちょっと立寄る。野菜などが販売されているので覗いたのだが、何とその脇の植木などを売っている店に、先日飫肥で見た「木立ちダリア」の苗木があるではないか!あったら是非手に入れたいと思って、ここまでの道々注意して見て来たのだが、どこにもなかったのだ。しかし、その苗木は細くてひょろりとしていて、あまり元気良さそうには見えなかった。それでも買うことに決め、おばちゃんに訊くと、この地では「皇帝ダリヤ」と呼んでいるらしい。半値の千円にまけてくれると言う。よかった。高さが150cmくらいあり、これからの長道中では、置き場所はトイレ室くらいしかなく、些か邪魔になるけど、何とか持ち帰って庭に植えて見たい。関東では見かけない花なので、上手く育つのか心配もあるが、やってみなければ分からない。

清川を出て1時間と少しで臼杵石仏の駐車場に到着。ここの石仏は国宝として有名だが、訪ねるのは初めてだ。少し時間をかけて見学することにする。一体どのような状況で石仏が彫られているのだろうかと期待が弾む。

仏教のことはよく知らないが、タクジイは禅には興味があり、随分昔(20代の終わり頃)から健康法として座禅などを行って来た。仏様というのが人間の姿と同じだというのが、人間が人間の限界を超えられない哀しさ(或いは嬉しさ、ありがたさ)の証明なのかもしれない。人間以外の神の姿を描こうにも不可能なのだと思う。仏教によらずキリスト教においても同じではないか。仏像や神像は、皆姿かたちが人間と同じようにつくられている。イスラムのことはわからない。仏像を見ていると、座禅をしている時の、心の乱れの果てに、ほんの少し安らぎを覚える瞬間の人の表情(それが自分自身のものであったり、或いはどこかで見かけた人の顔であったりするのだが)を思い出す。千変万化の心の動きの果てに辿り着く瞬時の安らぎが、仏の真髄でありそれを表現したのが仏像であるような気がする。タクジイの理解は未だその程度なのである。

臼杵の石仏は、天然の岩石に刻まれたいわゆる磨崖仏である。九州の中でも東九州大分県に磨崖仏が多いのは、何か特別の時代背景でもあるのだろうか。入場券を買って入口で渡し、坂道を登ってゆくと、先ずは九体の阿弥陀像というのが迎えてくれた。阿弥陀様というのはあの世へのお迎えの使者らしい。仏や菩薩、如来などいう仏教界の階級や役割のことはタクジイにはよく分からないし、釈尊のもともとの発想法からは、そのようなものはあまり拘泥する必要がないように思っている。仏教というのは、階級や役割などにとらわれない哲学だと思っている。般若心経くらいしか読んでいないけど、釈尊の教えの本質は察知できるような気がする。

そのあと、次々に鎮座する仏像を見て、この時代の人々の願望の切なさを思ったりした。何万、何千人という人々が、観光のためではなくここを訪れ、浄土での安楽を願ったのであろう。石仏は今と同じ穏やかな表情で人々の願いに応えて来たに違いない。どの仏像にも人々の煩悩や嘆きを癒す力が宿っているように感じた。

石仏群は小高い丘の中腹にあるのだが、その下にその昔一大伽藍があったのを彷彿させる平地が広がっており、その端の方にお寺が見えるので、そこへ行って見ることにした。満月時というその寺には、門前に石造の阿吽像が2体、何の覆いもなく無雑作に置かれていた。又石造の五重塔があり、鎌倉時代の作という解説板があった。本堂は寂れていたが、歴史の古さを感じさせるお寺だった。

約2時間かけて臼杵の石仏なるものを散策・探訪した。少し腹が頼りなくなってきていたが、クニバアの願望もあり、佐賀関辺りまで行って、関サバを食べることにした。とりあえずは、先ほど清川の道の駅で買ったジャンボおにぎりを半分コして食べて出発。

 臼杵郊外でR217に入り、悪路気味の海岸線を暫く走って、佐賀関の道の駅に到着。クニバアは待望の関サバ・アジ定食、タクジイはアラ炊き定食。関サバや関アジはインチキが結構多いが、ここのはさすがに本物だった。なお、タクジイはアラ炊きのファンである。今日のアラ炊きは鯛だったが、美味かったあ~。食事が済んで時計を見ると14時半。さてどうするか。このまま北上して国東に入るのもいいけど、今回は福岡の家なども見ておきたい。何しろクニバアは、転勤で九州を離れて以来一度も福岡を訪れていないのだから。ということで、今日は福岡に近い道の駅に泊り、明日福岡を訪ねることに決める。

 時間的に一般道を行ったのでは無理なので、高速道を使うことにし、東九州自動車道へ。大分自動車道へ入り、別府SAで小休止したあと湯布院、日田を通過して杷木ICにて下車。道の駅:原鶴へ。ちょっと様子を見たが、ここに泊まるのは、国道の傍で少しうるさそう。筑後川を挟んだ対岸のR210に浮羽の道の駅があるので、そちらの方がいいのではないかと移動する。

初めて訪れた浮羽の道の駅は、高台にあってかなり交通量も多く、駐車場は全て道路に面していた。駅舎の横に、建造の経緯などを書いた説明板があり、それを読むとどうやらここは古墳があった所らしく、そこを整備してこれらの施設が造られているとのこと。こんな所に造るなって、何かご先祖様たちを冒涜するような感じがする。どうもすっきりしないので、ここでの泊りは止めることにして、もう一度、原鶴の道の駅に行くことにした。無駄をしているうちにすっかり暗くなってしまったが、安心して眠るためには必要な処置である。

 原鶴の道の駅は筑後川の堰堤脇に造られている。近くの橋を渡った向こう側に温泉街がある。今日は遅くなってしまったので、温泉はやめて早めに寝ることにする。

【コメント】

◆この日の行程は、高速道を利用しているので、200km超でもまあまあの距離だとは思います。しかし、14時過ぎの意思決定は遅いと言わざるを得ません。その日の凡その行程は、予めイメージしていたとしても、午後の予定は午前中には決めておくべきだと、今頃は思っています。

◆道の駅などの宿泊場所を決める際には、人それぞれに事情があるのではないかと思いますが、私どもの場合は、古墳の跡とか、お墓に隣接しているような場所など、古(いにしえ)の人々の魂が休んでいるような場所は、決して選ばないようにしています。それから異常な人工物、例えば風力発電施設の傍なども敬遠することにしています。また、その他少しでも何かが気になるような場所では泊らないようにし、仮に泊っていて異常に気づいた時は、直ちに別の安全な場所に移動するようにしています。騒音以外にも安眠を妨げる要素が幾つかあると思いますので、それに気づいたときには、無理して我慢をせず、より安全な方を選ぶことが大切だと考えます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2004年 九州・山陰の旅 ジ... | トップ | 2004年 九州・山陰の旅 ジ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事