山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第16日)

2015-02-13 06:08:00 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 <行程>

道の駅:原鶴 →(R386・R200・R3他)→ 大宰府天満宮参詣 →観世音寺 →(R3他)→ 大野城市内知人宅 →(R3他)→ 福岡市:(自宅)→(R3・R200・R386他)→ 道の駅:原鶴〔泊〕  <117km>

 

原鶴の温泉には、昔転勤で福岡に住んでいた頃に何回か来たことがあるが、当時はまだ道の駅はなかった。この道の駅には、バサロと名付けられた地元物産を販売する市場があって、なかなか活気がある。早朝から付近の農家の軽トラがひっきりなしに野菜などを運んでくる。農産物は豊富で何でも揃っているけど、今頃は何といっても富有柿であろう。確か福岡は全国有数の柿の産地だった筈だが、その中心はこの辺一帯である。食べるのが勿体ないほどの大粒の柿の実が、輝いて並べられていた。それからタクジイの関心があるのは銀杏(ギンナン)の実(福岡ではギナンと呼ぶ)である。この辺りの山に少し分け入ると銀杏の大樹の黄葉が目立つ。銀杏もこの地方の名産の一つである。東京の半値以下の値段だ。お勧めの物産はまだまだあるけど、止めておこう。

さて、今日は福岡に行き旧知を訪ねることにしている。しかし予めアポイントを取っているのは、大野城市在住の清田さん一人だけ。あとは行って見て運がよければ会えるかも知れない。清田さんにお会いする約束の時間は午後14時過ぎなので、それまで太宰府の天満宮や観世音寺などを訪ねることにして出発。

10時過ぎ天満宮に到着。タクジイは1年ぶりくらいだけど、クニバアの方は20年ぶりくらいになるのではないか。従って境内や門前町の歩き方も自然と異なってくる。基本的に別行動。タクジイは風邪気味で体調不全である。早めにSUN号に引き上げて薬などを飲んで横になる。クニバアは1時間半も歩き回って元気に帰ってきた。観世音寺に行って、そこでお昼にしようと出発。直ぐ到着。クニバアはこのような場所に来ると俄然積極的となり、重文などの仏像がある宝物館を一人で見に出かけて行った。いい天気だ。タクジイはお湯などを沸かして昼食の準備。クニバアが戻ってきて、ようやく昼食となった。

一段落した後、クニバアが携帯電話を失したのに気づく。あちこち探し廻ったが見つからず、何処かへ落としてきたらしい。さあ大変だ!とにかく、タクジイの携帯から失した携帯宛電話宛に掛けて見ることにした。応答があって、聞けば何とそこは天満宮の社務所だという。拾得物として預かっているとか。直ぐ取りに行く。一件落着で、まあ、よかった。やれやれ。ドジはいつもタクジイだけの専売特許ではなかった。これでしばらくは少しオトナシクなるのかもしれない。

大騒動の後、清田さん宅に向け出発。福岡在住の7年間の間に一度引越しをしており、清田さんは最初の住まいだった大野城市の家の隣家の方で、クニバアや子供たちがいろいろお世話になった方である。今日は奥さんが待っていて下さるとのこと。大野城市は福岡の衛星都市の一つで、太宰府市に隣接している。福岡市の一部といってもいい地域である。西鉄大牟田線、下大利駅から車で15分ほどの平野台という所に、転勤当時我々は住んでいた。その下大利駅付近を通って行ったのだが、往時とはすっかり様子が変わってしまっていて、何が何だか分からないほどの混雑ぶりである。それでも大して迷うことなく平野台の清田さん宅に着くことが出来たのは、まだ少しは土地勘が残っていたからなのかも知れない。

清田さんとの邂逅は、クニバアの世界なので、挨拶だけして、タクジイはその後1時間ばかり付近を散策しながら待つことにした。駅前の大変化に対してこの平野台一帯は昔と殆ど変わっていない。ただ、往時は林野であった裏山周辺が開発されて、新しい住宅などが建っていたのは別として。

当時もかなりの坂道だったと記憶しているが、今改めて歩いて見ると、記憶の印象以上のとんでもない坂道に住宅が建てられていて、今だったら決してこのような所には住まないだろうと思うほどだった。住宅街の昼間は、閑静を通り越して不気味なくらいの静かさであった。やがてクニバアが何やらたくさんの頂き物を抱えて、興奮気味の顔で戻って来た。いい話が出来たようである。清田さん、本当にありがとうございました。

次は、福岡での二回目の住み家、すなわち40歳近くなって、やむを得ず持ち家を確保しようと、福岡は南区井尻という所に購入したマンションに行って見ることにした。今は人に借りて貰っている。ここには何人かの知り合いがいるが、今日はノーアポイントメントである。井尻は福岡の中心である天神から西鉄大牟田線で10分ほどの距離で、ここ大野城からは車で20分位だ。迷うことなく一発で到着。いつも総会などでお世話になっている井藤さんにご挨拶したいと思って、先日ご都合を伺ったのだが、生憎ご用があってお会いできない。クニバアが親しくしていた宇部さんを訪ねたら、運良く奥さんがご在宅で、びっくりしながら出てこられた。やっぱり突然の訪問というのは失礼だなと反省しきりであった。マンションの周辺も新しいスーパーや公園などが出来て、往時よりは生活し易い環境になったようである。宇部さんの奥さんとクニバアが立ち話をしている間、タクジイは周囲を一回りした次第。とにかく自家の住まいを一見して安心して出発。宇部さんありがとうございました。失礼しました。

16時を過ぎて暗くなり出した。今日の宿をどうするか。天満宮近くに何やらいう温泉があり、そこでのP泊が可能なようなことを駐車場のおばさんが言っていたが、暗いし道も狭いようなので、少し時間はかかるけど今日も原鶴の道の駅に泊ることにして出発。途中軽く夕食を済ます。19時半頃到着。近くにある鎧畑温泉に入り、一日が終わる。

【コメント】

◆この日は知己の方たちを訪問する日でした。アポを取っていたのは一人だけで、あとは行き当たりばったりだったので、内容の乏しい結果となりました。やはり、人と会う時には予めの連絡が肝要だと反省しました。アポを取ると、今度はその時刻や時間などに縛られて窮屈となることもあり、この辺の兼ね合いは難しいように思います。ま、基本は自分の都合よりも相手様の立場を考えるのが大切だと思いますので、そのことを忘れないようにしたいと思っています。

◆大都市近郊には道の駅などが少ないため、宿泊場所の選定が難しいのですが、特に福岡市の場合は条件が悪いように思いました。この日は、もう一度原鶴の道の駅まで戻っての泊りとなりましたが、もう少し事前に調べておけば、別のルートを楽しめたのかもしれません。それにしても、近郊には道の駅など無いというのが、大都市の証明ということにならないことを願っています。

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