<第6回 登山日 2013年8月29日(木)>
8月に入っていよいよ夏は本番となり、毎日暑い日が続いた。登山どころではないと考える一方で、しかし早朝ならば涼しいから大丈夫ではないかと思い迷いながら、結局は日中の猛暑に辟易して登山の方はしばらく控えることにした。そうこうしている内に、たちまち1カ月以上が過ぎてしまった。ここ2~3日は、秋の涼しさを感じさせる日が続き、ずっと空を覆い続けていた雲の霞みも取れて、本物の青空が見えて来たので、これなら大丈夫だろうと、今日の登山となった。いつの間にか8月もあと3日で終わりとなるほどに時間が過ぎてしまった。久しぶりの筑波山登山である。
登山は控えてはいたものの、毎朝の鍛錬のための歩きの方は続けており、ここ1カ月はリュックを背負うのは止めて、少し負荷を軽くして、その分歩く距離を長めにしている。下部の足の方は、登山靴はそのままで、両足首の負荷も1kgずつはずっと同じなのだが、上部の方は、手に持つ方の負荷を増やし、左右に2kgの鉄アレイを持ちながら、これをいろいろなパターンで動かしながら歩いて、胸や腕の筋肉の鍛錬をしながら歩くようにしている。計6kgの負荷をかけての歩きなのだが、最初は少し厳しかったけど、次第に馴れて来て、今ではさほど負担を感じなくなってきている。胸の辺りがタプタプと動くほど締りが無かった上半身が、今はかなりスッキリして来ており、継続は力なりなのだなと、改めて感じているこの頃なのである。だから、1カ月以上の登山の空白があっても体力や脚力にはそれほど不安はない。
ということで、今回は早朝4時の出発となる。コースはいつもと同じ筑波山神社脇の登山口からである。新しいコースへのチャレンジは、秋が深まって日中のハイキング登山が出来るようになってからと考えている。前回は3時頃の出発だったが、あれから1カ月以上が経って、その時から比べると今はかなり日の出が遅くなっており、登山での足元の安全が確認できるのは5時頃からではないかと考えての出発だった。ヘッドランプを点けて登山をするほどの意気ごみはなく、自分の場合の登山は、あくまでも身体を鍛えて体力と健康を維持し、PPK(ピン、ピン、コロリ)を実現するための老計の一端なのである。だから、とにかく継続することに意義があるのであり、あまり無理をせずに、かといって自分を甘えさせることもなく、体力の限界を鍛え保持して行くことが大事なのだと思っている。山の魅力のとりこになるのであれば、同じ山に登るのではなく、百名山等にチャレンジするという様な道を選ぶのだと思うけど、自分にはそのような気持ちは皆無なのである。筑波山麓が近づいて、5時少し前になると一気に空が明るくなり出し、筑波山の二つの頂きが浮き上がって来た。いつもの駐車場に車を停め、直ぐに出発となる。
筑波山神社に参詣するのもこれで6度目となる。前回来た時は、辺りの杉林にひぐらし蝉の鳴き声が姦しかったが、今回はもうすっかり消え去って静かである。他の蝉類も未だ声を上げるほどには目覚めていないようである。神社脇のいつもの登山口から登り始める。先ずは調息である。出だしは息を整えるのに少し時間がかかる。スポーツや運動の中で一番大切なのは息(=呼吸)を整えることではないかと思っている。特に長時間の運動では呼吸の仕方が重要だ。若い頃はマラソンなどの長距離走に関心があり、その場合の呼吸の大切さを体験的にも承知しているけど、登山も又同じことが言えると思う。呼吸に合わせて一歩一歩を確実に進めてゆく。一歩一歩に合わせて呼吸を整えてゆく。これがどちらも揃った時に登山の呼吸のリズムが出来上がる。自分はそう思いながらゆっくりと歩きを開始するのである。10分位経つとどんな急坂でも登り続ける呼吸が出来上がるような気がする。剥き出しの杉の根と岩石の転がる登り坂を歩きながら、最初の10分が過ぎると、もう大丈夫、あとは捻挫などしないように注意深く歩を進めるだけという心境になる。それがこの頃の登山で感得していることである。
筑波山登山道の様子。左は登り始めの辺りで杉などの根が剥き出しとなっている。右は岩石の群がりの様子。意外にもこの山は岩石が多いのに驚かされる。
一歩一歩を味わうというのが登山の妙味なのかもしれない。73歳の同世代では、歩くことが困難だったりする人がかなりおられるのではないか。歩けなくなった動物の悲しみは、歩けるのが当たり前と考えている人間には解らないと思う。自分は、もうだいぶ前から歩ける喜びを味わえるようになった。糖尿病を宣告されて以来、20年以上も歩くことに努めていると、そこからたくさんの喜びを見出すことが出来るようになったのである。これは真にありがたいことである。毎日の散歩や歩行鍛錬でも、歩ける喜びを感じられるからこそ多少の厳しさ辛さなどは何でもない。他人(ひと)はそのような自分を意志が強いなどと言ってくれたりするけど、この執念は、喜びに支えられているからなのである。
今の世は、どちらかといえば、文明や科学の向かっている先が、「歩く」という動物としての基本動作すらも人間に忘れさせようとしている、そのような気がしてならない。100m先の店に買い物に行くにも車を使う、バイクを使う、自転車を使うというように、常に安楽を追求するのが当たり前となってきている。「楽して得する」のが万人の夢であり憧れなのか、はたまた人間の本性なのか、或いは文明の向かい先なのか。どうも良く解らない。そのような利便性追求の流れを是としたとしても、この頃の人間の生き方には、何だか利便を求める生き方の度が過ぎている感じがする。もっと動物として、己の身体を動かすことが必要なのではないか。汗をかくことが必要なのではないか。
安楽や利便性ばかりに溺れて身体を動かすことを怠けていると、そのハネ返りは高齢になってからやって来るに違いない。人間が動物なのだというのを忘れて安逸に溺れていると、やがては動物の最も基本的な動作である「歩く」ということに障害を来たすことになる危険性が大のような気がしている。加齢に従って、何やらサプリメントのようなものを摂取すればハッピーになれるかの如きコマーシャルがTVの画面を謳歌しているけど、そんな手軽な飲み物などで、身体が本当に求めているものをカバーすることなど出来るわけがない。コマーシャルを見ていると、そのサプリメントが功をなして元気が保たれているかの如き内容が殆どだけど、これは実際は逆なのであって、コマーシャルの出演者は元々健康に留意し、運動などを普段から心がけているから元気なのであって、だからサプリメントを飲んでも飲まなくても元々元気なのである。横着をしていて良い結果だけを求めてもサプリメントや薬だけで目的が叶うことなどあるわけがない。あまりに錯覚を煽ぎ立てているのを見ていると、危険すら感ずる。人間は機械ではなく、油を指せば回転が滑らかになるなどという単純な身体の仕組みではないのである。もっともっと複雑で、それは個々人の不断の心掛けの積み上げ、或いは無為の積み重ねによって現在がもたらされ、将来が決まって行くのだと思う。 あれれ、又何だか話が変な方向へ行ってしまった。一歩一歩自分の歩みを確かめながら、坂道を登っていると、楽をして良い結果だけを求めようとしている同世代の人たちに、余計なおせっかいのアドバイスをしたくなってくるのである。悪い癖なのかもしれない。
(閑話休題)
今日の目的は女体山山頂である。6時25分に御幸ヶ原のケーブルカー脇に出て、そこから15分ほど更に登り続けて、頂上に到着する。山頂に立ついというのは、どんな山でも丘でも感動を伴う瞬間である。今日は良い天気なので、見事な眺望を期待していたのだったが、東半分は雲の海ばかりで、霞ヶ浦の輝きも見えず、残り半分の西側の方は、下界の少し色づいた田んぼなどが広がって見えたけど、遠く見えるはずの富士山は雲に隠れて見えなかった。ちょっぴり残念感を覚えた。やはり暑さのせいなのであろうか。上空の空気は膨らみ過ぎて雲の呪縛から逃れられないようだ。本物の秋が来たなら変わるはずだと思った。もう少しの辛抱だ。涼しさや寒さに期待するしかない。
筑波山女体山頂からの雲海の広がり。太陽の向こうの方には霞ヶ浦が見える筈なのだが、今日は雲の下のようだった。
筑波山女体山頂からの西側、つくば市外の田園風景の俯瞰。田んぼが色づいているのが判る。
5分ほど休んで下山開始。女体山の山頂は岩石が多く、狭くて、直ぐ下に神社の御本殿があり落ち着かない。男体山頂の方の御本殿は頂上にあるのだけど、女体山は違うのである。神様の住まいを見下ろして裸になって汗を拭くなどは、恐れ多いことではある。それで、御幸ヶ原迄下りて、汗をぬぐうことにした。御幸ヶ原近くのブナの木の下の灌木や笹藪の中には、キリギリスと思しき虫たちが横柄な声を振り上げて姦しかった。どうもこの虫は好きになれない。標高800mのこの辺りはかなり涼しくて、登りで掻いた汗は早や止まっている感じだった。これならシャツを着替えずにこのまま着て降りても、途中で乾いてしまうのではなどと横着を考えて、汗を拭うために一度脱いだシャツをもう一度着て下山を開始する。しかし、これはとんだ見当違いで、下山路でも汗をかいてしまい、麓の筑波山神社まで下りて来た時は、全身汗みずくとなってしまった。駐車場までゆっくり歩き、気持ち悪くなっている着衣を着替える。素っ裸になるわけにもゆかず、着替えには近くの簡易トイレを利用することにしたが、ここは水洗ではないため、異臭のみならずハエ等が多くて往生した。どうにか着替えが済んで、やれやれと帰途に就いた次第。
かくて6回目の筑波山登山は終りとなる。足の方は膝も含めて問題はなかったけど、ふくらはぎが少し痛くなっていた。いつもの歩行鍛錬では使わない筋肉に疲れが出たのであろう。これが無くなる様にするには、1週間ほど連続で登山にチャレンジする様なイベントを自分に課さなければダメなのかと思ったりしている。今回はこれで終わり。
登山らしからぬ、身勝手な所感の連続ばかりの、龍頭蛇尾のレポートとなったが、ま、お許しあれ。
筑波山女体山の御本殿。今回は頂上からの姿を撮ってみた。御本殿は、頂上の直ぐ下にあり、北側に位置している。登った証拠にと毎回必ず写真に残すことにしている。
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