山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

改めてPPKへ挑戦する

2013-07-06 15:36:16 | 宵宵妄話

  江戸時代ならば、古希を二つ三つ過ぎれば疑いも無き古老という世代の仲間入りとなるのでしょうが、現代ではもしかしたら初老に過ぎないという世代範疇に入るのかもしれません。それほどまでに今の世では古希を過ぎた老人が群を為しており、平均寿命も古希どころか喜寿(=77歳)さえも上まっています。

 ここ2~3年、何かと老を巡る話題に関心が向いてしまっているのですが、それは勿論自分自身が老いの坂を下るスピードが増していることを実感しているからであることは言うまでもありません。そのような中で、今回は家内の母の緊急入院という出来事を体験し、改めて自分のこれからの人生というものについて考えさせられました。そのことについて少しく所感を述べてみたいと思います。

 高齢者の肺炎は命取りになるケースが多く、大変心配したのですが、幸いにも母は峠を乗り越えてくれて、胸をなでおろしているところです。齢は間もなく八十九、数えでは卒寿になろうとしています。病室に小さく横たわる母を見ていると、少し昔に400日の入院の後であの世に旅立った自分の父の姿が思い起こされ、更にその姿はあと十数年後の自分のそれに重なって、何とも複雑な心境になりました。

 人生五計は、中国宋時代の朱新仲という方のことばですが、生計、身計、家計、老計、死計の五つの計りごとの最後の二つ、老計と死計について、自分自身は「死計は老計の中にあり」と考えています。しかし、さてさて、この老計なるもの、いざ現実となると、その生き方には戸惑いやためらいが多くて、理屈との乖離はとめどもないものがあります。恐らく老計をまさぐりつつ、気がつけば死計の終わり時点に来ていたというのが、これからの自分の生き様なのではないかと思うこの頃です。

ということで、ある程度は現実の己の姿をもう一つの鏡に映しながらも、このままであってはならないと決心したのは、俺は改めてPPKへ挑戦するぞ!ということでした。PPKはTPPとは違います。

横道に逸れますが、TPPへの挑戦は世界のしがらみの渦の中に取り込まれなければ生きてはゆけない功利主義の世界に住む人々の話であり、それはやがてなし崩し的に思惑が実現され、利する者が滅びゆく者を無視して生き長らえて行くことに連なってゆくこと思います。

私の言うPPKは、TPPとは違って、真に勝手な個人の問題であり、己れ一人が意を決して挑戦すればそれで良いだけの話です。即ちピン、ピン、コロリという死計のスタイルを意味しています。TPPよりもはるかに簡単明瞭なコンセプトですが、その実現は真に厄介で困難な道のりの先にあるという感じがします。

何故PPKなのかといえば、もう何度も述べて来ていることですが、病の寝床の中でこの世への別れを実現したくはないという一念なのです。病床の中では、恐らく何本もの管を身体に差し込まれて、身動きの取れない状態に置かれることでありましょう。そこに転がっているのは、もやや己の意識さえも失った枯葉の様な肉体だけの自分のように思えます。そのような姿を人目にさらしたくはないし、それを見る人を悲しませたくはないという、強い、強い願望があるからなのです。

PPKという死計は、気がついたらあの世に居たというスタイルの死に方です。尤もあの世の世界に「気づく」という現実があるのかどうか不明ですが、この世と別れる直前まで、何ごともなかったようにピンピンと生きているということが絶対条件です。昨日と同じような普通の暮らしを、何ごとの変わりもなく過ごしている中で、ある日のある時、眠りから目覚めることなくあの世に渡っている逝き方というスタイルです。

このように、PPKの実現のための不可欠の要件は「健康である」ということです。健康には二つの側面があり、その一は身体的側面、もう一つは精神的側面です。つまり心と身体が揃って健康でなければならないということですが、先ずは物理的に老化の道を辿らざるを得ない身体的な側面の管理をどう行うかが最大の課題です。私の場合は、糖尿病という厄介な障害要因を抱えており、これから先もこれと如何にして良好な関係を維持して行くかが、健康の一つの決め手となると考えています。もう20数年来のお付き合いであり、お互いの気心は解っていますので、如何に今まで築いてきた幾つかのルールを守り続けるかが大事だと思っています。

又、精神的側面では、頭(=脳)をいたずらに眠らせないことが重要で、それは考えるばかりの頭でっかちになることではなく、何よりも好奇心を眠らせない行動力を指令する力を維持したいと考えています。こちらの方は身体的側面と違って、心がけ次第で何とかなることだと思いますのでそれほど心配はしていません。でも普段ついうっかりと安易な方へ気持ちを持って行きがちですので油断大敵です。

話は変わりますが、健康に関して絶対に罹ってはならない病に認知症があります。これは明らかに高齢者の現代病です。私は人間の罹る病の中で、この認知症ほど恐ろしいものはないと思っています。何故ならこの病は、生きながらにして人間という存在を失わせてゆく症状の病だからです。世の中に己を忘れて生きている人は無数に存在しますが、その殆どはそのことに気づく力までを忘れてしまっているわけではありません。しかし、認知症は、その力までを失わせる病なのです。この病に罹ったら、PPKもヘチマもありません。病の為すがままに振り回される、意志すらもない一個の物体となり果ててしまう如き症状であり、それを取り巻く多くの人の悲しみさえも伝わらないというのは、何と恐ろしいことなのか。どんな苦労をしても、この病だけは回避すべきです。

その回避方法に正解があるのか分りませんが、唯一今自分が思って心がけていることは、頭(=脳)を使って好奇心を奮い立たせながら動く、行動することです。人はその時が来るまで、周辺のあらゆるものに好奇心を抱き、面白そうなことに絶えずチャレンジし続けることが大切なのだと思います。立ち止まって、俺の人生まあまあだ、良くやったものだなどと、ちょっとでも満足感や満たされ感に酔ったりしたなら、或いは何か大切なことを諦めたりしたなら、高齢者には、たちまちその瞬間に認知症の毒の芽が忍び込むのではないかと思っています。つまり、認知症というのは、老人が罹り易い最大の心の弱点(=自己満足・諦め・見切り・無為など)が引き金となって発症するのではないかと、そのように思うのです。

PPKへのチャレンジは、総合的に見て「くるま旅くらしの充実化」の中にあるように改めて思っています。ここ十数年間のくるま旅の経験を踏まえて、更に生きがいややりがいを旅の中に見出してゆくことが、PPK実現のキ―となるのだと思いました。旅の中に面白いものをもっともっとたくさん見つけ出し、それを存分楽しみ、更に新しい楽しみをつくることにチャレンジして行くことが、PPKへの道なのです。そしてPPKを忘れるほどに楽しみに現(うつつ)を抜かすような暮らしが出来てこそ、PPKが実現出来るのだと思います。これから先も、その実現にチャレンジして行く、そのことを今強く思っています。

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