山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第50回>

2018-07-14 04:53:05 | くるま旅くらしの話

【今日(7/14)の予定】 

美深アイランドキャンプ場 →(R40他)→ 美深町資料館 →(R40他)→ 名寄市北国博物館 →(R40他)→ 剣淵町郷土資料館 →(R40)→ 和寒町郷土資料館 →(R40)→ 道の駅:とうま(泊)

 

【昨日(7/13)のレポート】 天気:曇り一時晴れ

<行程>

クッチャロ湖キャンプ場 →(R275・R40)→ 道の駅:ピンネシリ →(R275)→ JR音威子府駅 →(R40)→ 名寄市ショッピングモール →(R40)→ 美深アイランドキャンプ場(泊)

<レポート>

 クッチャロ湖の朝は、昨日とは違って霧雨だった。その中を1時間半ほど歩いて車に戻る。昨日現在道の駅をつくっており、来年にはオープンしていると聞いたので、その場所がどこなのかを確認しようと思ったのだが、それは先日来駐車場の工事が行われている場所だった。看板には駐車場をつくっていますとあったので、そこは違うのだろうと思っていたのだが、近くに行って工事の内容を書いた標板を見たら、そこに交流館施設とあったので、これが道の駅なのだと思った次第。近くにスーパーなどもあって至便の場所だなと思ったが、自分たちは道の駅に泊ることはないだろうと思った。この地では、クッチャロ湖畔のキャンプ場に勝る場所はないと思っている。

 一回りして戻る頃には霧雨も止んで、傘は不要となった。昨日は天気が良くなかったこともあり、バイクや普通車で来られてテントを設営する人は少なかったようである。雨の日はその取り回しが大へんだろうなと思った。中には年配の方でもバイクに乗ってテント持参で旅をされている方もおられるようで、元気がいいというのか、よほど好きなのだろうなと思った。もはや自分の年齢では到底そのような気持にはなれない。くるま旅の終わりのことを少し思ったりした。

 さて、今日は美深まで行って、アイランドキャンプ場に泊る予定である。というのも、札幌在住の知人お二人が、明日から開催される「ダウンザテッシーカヌーツーリング大会(ダウン・ザ・テッシー・オ・ペッ・スペシャル2018)」というカヌーの川下りの一大イベントに参加されるので、自分たちもそれに合わせて再会を期すことにしたのである。前夜は美深アイランドでキャンプされることになっており、自分たちも同じキャンプ場に泊ることにしたのである。お二人の内、垂水さんには先日大へんお世話になっており、もう一人の藤原さんには4年ぶりにお会いすることになる。とても楽しみにしている。

 9時少し前にクッチャロ湖のキャンプ場を出発した後は、一路美深方面に向かって走り続ける。途中ウソタンナイの砂金採取場の案内板などがあり、ここを行けばいいのかなどと思いながらの通行だったが、自分的には砂金には引かれるものはない。今から120数年前、最初に砂金の密採したのは20人ほどだったが、何とその1カ月後には2000人もの密採者が入り込んで、一大砂金ブームがこの原野に巻き起こったという。こうなるともはや密採などではないだろうと思った。まさに一攫千金を狙った人間の欲というものの凄まじさを思わせる現象だったのだと思う。今でも川筋のどこかで砂金が出るそうだけど、観光用の場所は砂金を撒いているとは、昨日訊いた話だった。

 しばらくそのまま走って、音威子府村に入り、JR音威子府駅に寄る。ここで名物の黒ソバを食べるためだ。特に今回の旅では、必ずこの黒蕎麦を食べなければならないと思っていた。どうしてかといえば、この黒ソバは開拓の味そのものだからなのだ。真黒なその蕎麦は、往時の開拓に携わった人々の貴重な食料としての汗と血と涙が練り込まれたそばの味なのだと思っている。この蕎麦が黒いのは、普通の蕎麦粉は実の表面の殻を剥いて粉をひくのだが、この蕎麦はその殻を剥かずにそのまま粉にし、それを練り込んでつくっているからなのである。ようやく採取された食料としての蕎麦の全てを無駄なく食べるという先人の思いが伝わって来る気がするのである。蕎麦をつくって食べさせてくれる売店の老夫婦お二人の姿を見ていると、遠い開拓の時代につながるこの蕎麦の思いが益々強く波打って伝わって来るのを感じるのである。だから、ここへ来ると自分が食べるのは一番純朴なかけ蕎麦だけである。今日は改めてその素朴な味をかみしめながら遠い時代を思った。

音威子府の黒蕎麦。真黒い蕎麦には開拓の先駆者たちの思いが存分に籠められた味が詰まっている。

 音威子府の駅を出た後は、一先ず美深アイランドの入口を通過して、名寄市のショッピングモールまで直行する。キャンプ場の受付が13時からなので、その前に買いものと給油を済ませる。このところ寒さの勝る夜が続いているので、今夜はおでんにしようと決めている。買いもの等が終わって、13時少し前にキャンプ場に着いて、手続きを済ます。

 明日から3連休となるためなのか、いつもは数台しかいないオートキャンプサイトは、今日はかなりの数の車が留っていた。明日辺りは満車近くになるのかもしれない。自分たちは今夜一晩だけの予定である。電源などを切り替えた後は、おでん作りに取り組む。これは邦子どの主導の仕事であり、自分は火の番が主な役割となる。2時間ほどで概ね完成する。後はお二人の到着を待つばかりである。16時頃の到着と聞いていたのだが、その後何度かフリーサイトの方を見に行っても着いた様子がない。この間天気はピカピカの夏空となって、反おでん向きの暑さが膨らんできた。木陰の風は冷たくて、まだ本物の夏とはなっていないのが判る。17時を過ぎるころ、もう一度見に行くと、向こうからお二人の乗った車がやってきた。話を聞くとカヌー大会に出場する人のキャンプ場所は別に作られていて、そちらの方で過ごされていたとのこと。それを知らなかったのは迂闊だった。

 さて、それからは楽しい歓談の時間となった。藤原さんとは4年ぶりの再会であり、特に邦子どのは藤原さんには好きな音楽のたっぷり入ったCD等をつくって頂いており、今回の旅でも時々それを聴いたりして大事にしている。お二人とも北海道HMCC(Hand Made Campingcar Club)の幹部で、もう10年来の知り合いとなって、自分たちの北海道での旅を豊かにして頂いている大切な知人なのだ。HMCCの皆さんは、人生を楽しむその楽しみ方を知っている人たちが多い。キャンプだけではなく、カヌーなども含めて大自然との様々なふれあいの仕方を熟知しておられるのである。北海道には関東の特に都心部に近いエリアに住む人たちには決して発想できない遊びが当たり前になっているのだ。北海道には遊ぶことができる海や川や山や湖が至る所にあるのである。何ともうらやましい話である。それらを知るにつれ、もっともっと早く、そのことに気づけばよかったと何度思ったことか。それでもお陰さまで関東に住む普通の人よりは何倍も多くの楽しみを教えて頂き味わったと思っている。そのお二人との話は、邦子どののトーンの高い話しぶりと混ざり合って、真に嬉しくも楽しい時間だった。

 お二人はカヌーの仲間の人たちともこれから前夜の懇談の時間があるとのことで、少したってから引き上げられていった。天塩川は北海道の北部を流れる大きな川で、100マイル(約160km)もの長距離の間堰等のない野性的な川である。だから100マイルの川下りが可能なのだ。明日から3日かけて団体でのカヌーの川下りは壮大なイベントだなと思う。是非安全無事に全員がゴールに着いて欲しいと願う。お二人とも十分に気をつけて楽しんで下さい。

 お二人がいなくなって、急にさびしくなった後は、もう一度一杯やって、そのまま寝床にもぐりこむ。明日からはしばらく資料館巡りが続くことになる。

 

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