山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第65回>

2018-07-29 04:49:24 | くるま旅くらしの話

【今日(7/29:日)の予定】 

道の駅:しほろ温泉 →(D・R274)→ 道の駅:ピア21しほろ →(R274・R241・R38・R242)→ 池田町郷土資料館 →  その先未定

 

【昨日(7/28:土)のレポート】 天気:くもり一時晴れ

<行程>

道の駅:忠類 →(R237)→ 道の駅:なかさつない →(R237・D)→ 芽室町郷土資料館(ねんりん館)→(D・R38)→ 清水町郷土資料館 →(D・R38・D274)→ 鹿追町郷土資料室 →(D)→ 道の駅:しかおい →(R274)→ 道の駅:ピア21しほろ →(R274・D)→ 道の駅:しほろ温泉

<レポート>

 2度目の道の駅:忠類の朝も前回と同様に朝霧が立ち込めどんよりと曇っていた。涼しいのはありがたいことである。今日の朝の散策は、忠類の道の駅からは山側にある、もう一本の筋道を歩くことにした。この道は国道よりは30m以上は高い位置にあるので、左方眼下に町の中心街を俯瞰することができる。しばらく歩いていると、町の共同墓地があった。整然と墓の並んだその墓地は、まだ新しいのか、まだ登録のない空きがあるようだった。旧忠類村に係わる方たちの墓地ということなのであろうが、この村が何時の頃から開拓が始まったのかはまだ知らないので、何とも言えないのだが、新しいところを見ると、もしかしたら戦後に開拓が始まったのかなと思ったりした。その後キタキツネ君に会ったりしながら、2kmほど歩いて折り返し、車の戻った時は1万歩を少し超えていた。途中に旧役場の庭に「拓魂」と書かれた開村30周年記念の碑があり、それは昭和54年建立とあったので、この地区は戦後の昭和24年に村が始まったというのを知った。従って墓地も新しいというのが腑に落ちた。今回の旅を始めてから2ヶ月が経って、昔に対する視点がそれなりに勘が働くようになっている気がした。

幕別町の忠類神社付近で出会ったキタキツネ君。キタキツネに逢うのはさほど珍しくもない。彼らは人間の住む場所に次第に近づいてきている感じがする。

 忠類の道の駅を初め近くのキャンプ場を含めると50台を超す旅らしき車が屯しており、一大集落を形成しているかの如き様相をしていた。10数年前には自分たちもここで大勢の仲間とパークゴルフを楽しんだのを思い出す。一度勢いが衰えた感じがしていたのだが、もう一度盛り返したのかもしれない。しかし、明らかに世代交代は進んでいるようである。自分たちが老人になっているということなのであろう。

さて、今日はまだ行ってない十勝エリアの近郊の町の郷土館などを見て回る予定にしている。当初隣の大樹町の郷土資料館から開始しようと考えていたのだが、開館が10時というので、それまで待つのは厳しいと判断し、先ずは芽室町の方から開始して、次は清水町、その次は鹿追町というふうに回ることにしている。

食事の後いつものように片付けなどをして出発は9時過ぎとなった。先ず中札内の道の駅に寄り、給水をする。ここの道の駅には清流札内川からとった美味い水が汲めるようになっている。それを頂戴して、飲料水の他車の水槽を満たす。これでしばらく飲料水も買わないで済むことになる。ありがたいことである。

その後芽室町の郷土資料館(ねんりん館)に向かう。ナビ依存なので、どこを走っているか判らないのだが、左右に広がる田園風景は、芽室町の豊かさを存分に感じさせるものだった。ジャガイモ、ビート、豆類、そして麦秋を思わせる熟れた広大な麦畑など、どれも内地では見られないスケールの大きいものだった。間もなく郷土資料館のねんりん館という所に到着。驚いたのは、この地が昭和後期の大相撲横綱の大乃国の出身地ということだった。館の入り口に手形入りの記念碑などがあって、有名人はどの地でもこのように町の誇りなのだなと改めて思った。その後中に入ったのだが、ここは子どもたちが昔を学びながら遊ぶような形をとり入れた施設となっているようで、夏休みでお母さんに連れられてやってきた子供たちが賑やかな声をあげて走りまわっているので、落ち着いて見学ができず、又展示や解説内容もどちらかといえば学童向きに作られているようで、物足りなさを禁じ得なかった。町の紹介のVTRがあったので、ゆっくり鑑賞しようと思ったのだが、子どもたちのはしゃぐ声に音声はかき消されてよく聞こえず、散々な目に遭って退却した。それでもこの地がやはり晩成社の幹部の一人鈴木銃太郎という方の力で開拓が始まったことなど、幾つかのポイントは押さえ知ることができた。

次は隣町の清水町の郷土資料館へ。ナビのガイドが終わってもどこにあるのかが判らず困惑したのだが、何と郷土資料館は図書館の二階にあったのだった。ネットなどの情報では、そのようなことは書かれていないので、現地では困惑することがしばしばある。もう少し勘を働かせる必要があるのであろう。2階への入口のチエンを外して頂いて、担当の方にご案内頂く。展示の概要はすっきりし過ぎていて、具体的な内容が明示されていないため、歴史は理解できても得るものが少なくてガッカリした。町の歴史年表などがあればありがたいと係の方に訪ねたのだが、結局町史掲載の年表しかなく、それをネットで検索して見て頂ければとのご案内を頂き、ここではもうそれ以上はお願いすることは止めにした。邦子どのは対応が気に入らなかったらしく、何だか余計な質問をしていた。悪い癖である。

清水町の後は、鹿追町の郷土資料室を目指す。途中、目的地近くに邦子どのが「鹿追開拓発祥の地」と書かれた碑があるのを発見。直ぐに車を停め見に行く。平成6年に建てられた、下鹿追開拓50周年記念碑とあった。それほど古くからの入植地ではないということが判った。そば屋さんがそのすぐ傍で営業していたので、店に入り蕎麦を食す。邦子どのがいろいろ店の女将さんに話しかけていて、おかみさんは東京から20年ほど前にこちらに来られたとか。話しが弾んで、他もお客さんまでが加わって、一時の賑やかさが溢れた。自分は黙ってひたすら蕎麦がやって来るのを待った。いつものことではある。

その後、目的地の鹿追町郷土資料室へ。中に入ったのだが、ここはまさに資料室という感じで、館というレベルではなかった。資料の大半は皆どこかでお目にかかっており、特に得るものは無くて残念。これは致し方ないことなのであろう。

その後は、今日の宿は士幌町の道の駅:しほろ温泉にすることにして出発。途中先回も寄った道の駅:ピア21しほろに寄ったりしながら着いたのは15時半近くだった。一休みの後、併設されている温泉に入りにゆく。ここの温泉はモール温泉で、湯の色が茶色である。北海道のこの辺りにはモール温泉が多い。太古の草の積もる地層を潜って地上に沸いた湯は、それらの温泉ミネラル(?)を含んだ独特の湯を提供してくれるのであろう。その湯にたっぷり浸かって車に戻り、ビールで一杯やって、何も文句なし。たちまちの爆睡となる。

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