山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第64回>

2018-07-28 05:18:08 | くるま旅くらしの話

【今日(7/28:土)の予定】 

道の駅:忠類 →(R237他)→ その先未定(十勝地方の郷土館などを訪ねる予定)

 

【昨日(7/27:金)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:むかわ四季の館 →(D・235)→ 日高山脈博物館 →(D・R235)→ 新冠郷土資料館 →(D・R235)新ひだか町博物館 →(D)→ 新ひだか町アイヌ民族資料館 →(R235・R238)→ 様似町等樹院 →(R238・R236)→ 浦河町郷土博物館&馬事記念館 →(R236・R237)→ 道の駅:忠類(泊)

<レポート>

 朝いつものように付近を散策する。ここに泊まったのは二度なのだが、前回は大雨だったので、散策などとてもできない状況だった。今日は中心街の全てを歩こうと考え、先ずは中央通りと書かれた表示のある道を歩く、しばらく歩くと鵡川駅逓跡と書かれた昔を感じさせる建物があった。この町の昔については殆ど知らないのだが、想像するにシシャモだけではなくイワシなども含めた漁業で生業をしていた場所ではなかったか。しかし交通が発達すると更に発展の幅が広がったに違いない。あれこれ考えながら歩いたのだが、まあ、その歩きにくいこと。わざわざうねって歩きにくい歩道をつくったのではないかと思うほど、とにかく歩きにくいのである。我慢しながら1kmほどを歩いたあと、少し遠回りをしながら郊外を歩いて車に戻る。

 さて、今日の予定といえば、今日から日高地方の資料館を訪ねることにしているのだが、先ず日高山脈博物館を訪ねるつもりだったのだが、調べてみると何ととんでもない遠さなので、直ぐに変更する頃にした。日高町というのはとんでもない広さなのだということを忘れていたのだった。それで、先ずは新冠町の郷土資料館から始めて、新ひだか町の博物館、アイヌ民族資料館を訪ねた後、浦河町の郷土博物館と馬事資料館を訪ね、そのあと様似の三官寺の等樹院を訪ねることにしている。泊りは未定で、状況判断で決めることにしている。

 ということで、まずは新冠町郷土資料館に向かって出発する。未完で無料の日高道を走って10時過ぎには到着する。早速見学開始。とても分かりやすく展示解説がなされていたので、新冠町が明治以降どのように開拓が進められ、今日に至っているのかをしっかり理解することができた。ここには皇室の所有する御料牧場というものがあり、それが戦後の農地解放から、敗戦で故郷を失くした人たちなどの新入植者に解放されて、それ以降開拓が進んだというようなことが書かれていて、ふと思ったのは、北海道の開拓というのは一本線の時系列的な発展の歴史を辿っているのではなく、幾つかの時代背景のもとに進展があって今日に至っているのではないかと思った。この間に様々な人たちの交代ひしめきがあって、その結果が今日をつくり上げているのではないか。そのようなことを思った。

 その後新ひだか町の博物館へ。新ひだか町というのは平成の合併で生まれた町なのだが、自分にとっては何とも判りにくい町である。静内といえば直ぐに土地勘が働くものを、新ひだかなどというものだから、さっぱり見当もつかない場所になってしまっている。その静内の博物館へ行ったのだが、何と金曜日なのに休館となっていた。通常は月曜休館なのにである。わざわざ休館にしたのは何やら整理する作業があるということだったが、何で又この日なのだと思わずにはいられなかった。ここを訪ねるチャンスはこれで消えることになるに違いない。残念。その後はもう一つあるこの町の資料館のアイヌ民族資料館へ。高台にあって、ここなら余ほどの津波も大丈夫という場所だった。ここは開館中でじっくり見学することができた。訪問する前から、シャクシャインの戦いを指揮しアイヌの大酋長シャクシャインの像がここにあるというので、それを見たいという思いが強くてここに来たのだが、それを見ることが出来て感激した。直ぐ近くにシャクシャインが築いた砦(シャチ)跡があって、そこから静内の町全体と太平洋と町の景観の全てが俯瞰できる場所だったので驚いた。

シャクシャイン記念館脇、シャクシャインシャチのあった場所近くに建つ英傑シャクシャインの像。この像をどうしても見たかった。感動した。

シャクシャインという人物は、和人との交易に対してはアイヌの人たちが持つ誠実さそのもので対処して来たにもかかわらず、その後あまりにも不当な行為に明け暮れる和人に対して、我慢辛抱の限界を感じて抵抗の戦いに立ちあがったのだが,戦の力では及ばず敗れて虚しくなったという。松前藩の治世、アイヌとの交易に絡む商人の暗躍などを知るにつれて、この人物の心情の遣る方なさに同情が膨らむのである。像に表現されていたシャクシャインは、アイヌの英雄であることを存分に表現していた。

 その後はもう一度静内の町に戻り弁当を買って昼食を済ませた後、休憩なしで次の浦河町の方へ出発する。この余裕のなさが邦子どのには気に入らないのだと思うけど、遊山ではないので我慢してもらうしかない。当初今夜の泊りは浦河の後、もう一度来た道を引き返して三石の道の駅に泊ろうと思っていたのだが、邦子どのが地震が起きて津波が来たら逃げるのに困るのでアルコールは飲むななどというものだから、もうこうなったら、浦河の博物館や馬事資料館を見た後は、遠く大樹町か幕別町の忠類の道の駅まで行ってしまおうと決断する。

 浦河の前に少し足を延ばして、蝦夷三官寺の一つの等樹院のある様似迄行って写真を撮ることにする。その途中博物館と馬事資料館の場所も確認することが出来たので、迷うことなく行程を進めることができた。様似から戻って、浦河町博物館では、この地区が明治に入る前から馬の育成が行われていたようで、明治になってもかなり早い時期から開拓が始められていた場所であることを知った。詳細は帰宅後の課題となる。馬事資料館も傍にあって、馬の発生の歴史や生育のあり方などについても解説・説明があると共に、日本の競馬界を沸かせた数々の名馬の紹介などもあって、小さいながらも充実した資料館だった。

 その後は、まだ少し時間に余裕がありそうなので、天馬街道を走って幕別町にある道の駅:忠類に泊ることにして出発する。天馬街道(R236)を走るのは今年二回目である。先回は雨の中の走りだったので、周辺の様子がさっぱり判らなかったのだが、今回は晴天の中の走りだったので、標高500m超の高さを感じながらの走りとなった。数多くの渓谷などを眼下に見ながら走って平野に出て、16時半頃道の駅:忠類に到着。ここも今年二度目の泊りの来訪地となる。

 夕刻までかなり日射しの強い天気だったが、18時を過ぎると一気に涼しさが増して、快適な夜を迎える。ビールで一杯やって、その後はいつもの通り。昼は一時の灼熱地獄の場所があるけど、北海道は総じてやはり天国である。ありがたいことである。こうして真老の身でありながらも元気に旅が出来ているのは、天国を歩いているからなのだと思う。そして多くの先人たちが密かに支援して下さっているからなのではないか。旅はもう既に3カ月目に入っている。残りの時間も元気で行けるよう、心がけて行きたい。

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