山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

コンビニのゴミ箱のこと

2014-10-20 07:23:54 | くるま旅くらしの話

 人々の暮らしの中には必ず負の側面が存在する。負の側面というのは、本来なら無い方が良い、在って欲しくない状況や出来事である。例えば、人は生きるために何かを食べなければならないが、食べれば必ずその残滓を排泄しなければならない。排泄とは不要なものを体外に捨て去ることだが、これが負の部分となる。排泄なしで済めばこんな至便なことはない。しかし、生きものとしての人間は排泄なしでは生命を維持することは出来ない。これと同じように、人が作り運んでいる世の中は必ず負の部分が存在する。負の存在なくして正は成り立たないと言ってもいいように思う。

 最初から大上段に振りかぶったややこしい理屈の話となったが、この世の中は極めて乱暴な言い方をすると、生産と消費で成り立っている。生産とは人が生きるために必要なものを生み出し作ることであり、消費とはそれを使って人が生きることである。この循環のプロセスの中で常に負の部分が発生している。それらをひっくるめて言うならば「ゴミ」ということになろう。不要なもの、捨て去るべきものがゴミなのである。

 くるま旅もくらしの一環であり、旅をしていると必ずゴミが発生する。家にいる時には市町村の決めたルールに従ってゴミを処理することが出来るのだが、旅をしている間は毎日の暮らしの場所が変動することが殆どなので、ゴミ処理はルールを持たないこととなり苦労が多い。くるま旅の人は、様々な方法でこれに対処していると思う。買った店でゴミを引き取ってもらう。ゴミ処理のできるキャンプ場などを探して処理する。スーパーやコンビニのゴミ箱を利用させてもらう。など等その時の状況に合わせて何とか対処しているというのが実態ではないか。

 これらのゴミ処理の中で、自分が普段最も頼りにしているのがコンビニのゴミ箱である。勿論基本はキャンプ場などで処理することだ。コンビニは店舗数も多く、文字通りちょっとしたものを買うには便利な店である。飲み物、菓子類、弁当などを求めて立ち寄ることが多い。そのような時に少し溜まった小分けしたごみを捨てさせて貰うことにしている。このような場合でも、決して一度に大量のゴミを捨てることはしないのがエチケットというものであろう。少量ならばその分負担も少なくなる。買い物をした分に相応しい程度のゴミを感謝しながら捨てさせて貰っているというのが正直な現状なのだ。

 このような心苦しいゴミ処理の現実が何故続いているのかといえば、全国共通のゴミ処理のルールがないからである。大げさに言えば、人類の日常的な負の遺産を処理するルールが小さな自治体内部でしか決められておらず、そのエリアを超えて人が動く場合のルールがないのである。

自治体は外部から来た者が生み出すゴミの処理に対しては、基本的に考慮には入れておらず、持ち込みを拒否するという立場をとる所が多いようだ。何年か前までは公園などに公共のゴミ箱といったものが点在していたのだが、この頃はそのようなものは殆どが撤去されて見かけることは滅多にない。ゴミは持ち帰りというのがルールと決めてしまっているようだ。それは誤りではないと思うけど、持ち帰れない人もいるという現実もある。いずれの自治体でもゴミ処理には多大のコストを要していることを考えると、その対応を個別に要求するのは無理のようにも思う。この問題は、やはり全国共通のテーマとして処理のルールを国が決めるのが妥当ではないか。

 この問題はここで論ずるほど簡単なものではないと承知はしているけど、今回の北海道の旅では一つものすごく気になることがあった。2年前にも少し気付いてはいたのだが、これほど急に目立つことになるとは思っていなかった。何かというと、最大手のコンビニのゴミ入れの箱が殆ど撤去されていたということである。その他のコンビニでも一部撤去を始めている所もあるようだ。これは北海道だけの現象なのかもしれないけど、これほど一挙に店の前のゴミ入れが無くなるというのは、個々の店の判断ではなく、本部の方からの通達があったてのことに違いない。その理由が何なのか判らないけど、経済性やコスト効率性の視点から撤去が指示されたとすると、これは哀しくも遺憾なことだと思う。

 一番頼りにしていたコンビニの、しかもその最大手がこのような振る舞いをするとは実に心外である。売ることとコストダウンにだけ心を砕き、負の部分に対しては素知らぬ顔をするというのは、身勝手過ぎるのではないか。売ればその結果がゴミにつながることは自明の理なのに、売った後のことは知っちゃいないというのは、ある意味で社会的責任を放棄することのように思えてならない。

     

最大手のコンビニの店先からはゴミ箱が無くなっていた。一部ゴミ箱を中に入れたコンビニも散見されたが、何だか不可解な気持ちになった。

勿論この行為は犯罪でも何でもないことだから、その非を責めるのはお門違いなのかもしれない。しかし、ゴミ箱を撤去した分だけ他の同業者よりも収益が増すとしたら、アンフェアのように思う。競争の条件がこのような形で崩されてゆくのは、本当にいいことなのだろうか。この最大手のコンビニの経営に対して大いなる疑問が湧く。

 北海道を旅して最も地元に優しく、社会的責任を果たしているのは、セイコマ―トというコンビニだと思う。ここでは地元北海道への寄与も考えた商品の選定を行っているようだ。勿論ゴミ箱を備えない店など一軒もない。どこへ行ってもきちんと受け入れ態勢を整えて商売が行われているのを実感している。これからはよほどのことがない限りこのコンビニを利用することに決めた。最大手のコンビニは、ゴミ箱があっても利用を控えることにした。ささやかな抵抗である。

 北海道の夏を味わいたくてくるま旅を始めてから早くも15年以上が経ったが、この間にくるま旅を巡る環境もいろいろな面で大きく様変わりして来ているように思う。総じて良い方向に進んでいるとは思えず、くるま旅の人が増えるにつれて、悪化している感すらある。当初は好意的な受け入れを示していた場所も、いつの間にか排他的な態度に変わってしまったり、釧路市のように駐車さえもお断りなどという自治体も現出している。車社会は定着し、年々くるま旅をする人も増加の一途を辿っているのに、それを受け入れる体制は少しも前進せず、むしろ旧体制のまま現地・現場は受け入れを否定する方向に動いているように思えてならない。

国は観光立国などを唱えているけど、中国や韓国など隣国からの人々が観光バスを卒業して、個別の車で旅をするような時代が到来したなら、一体どの様な対応をするつもりなのか。まさか、おいでおいでの掛け声だけで、その後はなるようになれ、あとは知らないで済ますわけにはゆくまい。加えて、ゴミ処理など自治体任せにしていたら、この国はゴミの溢れる国となり果ててしまうのではないか。そのような妄想が頭を駆け巡る。

何はともあれ、今のところはくるま旅のゴミ処理はコンビニに依存するところが大きいのである。その頼みとするゴミ箱を撤去したコンビニに対しては、唯一の抵抗策はそこでは決して買わないということしかない。これは北海道のみならず、全国の他の旅をする際にも厳守してゆこうと考えている。

こぼれ話というよりも、単なる思い込みの愚痴話となりました。

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1 コメント

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Unknown (かつまさお)
2014-11-20 21:39:05
先程、丁度1週間の
九州一周旅行から帰還しました。

天候にも恵まれ
中九州の紅葉も絶好で
良い旅になりました。

しかし
中九州の大分・熊本あたりの
最大手コンビニが
お話しのとおり
ゴミ箱を店内に移動して
ゴミ捨てを
監視する状態に…。
中には
ゴミ箱自体が
設置されていない店もありました。

大変ショックです。

私も
密かな『不買運動』に
これから入ることにしました。

願わくば
他のコンビニに
この愚行が
飛び火しないことを
祈ります。

どうぞ
気をつけて
良い旅を!
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