山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第4日)

2008-09-17 04:16:41 | くるま旅くらしの話

4月27日(木)

朝起きたのは5時半頃か。今日も天気はあまり良くなさそう。昨夜この敷地に泊ったのは、我々だけだったようで、多くの車は道路の向こうにある、トイレ付きの道の駅の駐車場に泊ったらしい。この車は夜間にトイレの心配をしなくて済むので大いにありがたい。

朝食の後、出発前のいつもの仕事(食事の後片付け、トイレ処理、水汲みなど)を終えて、付近の散策に出発したのは8時半過ぎ。それから2時間ほどゆっくり散策する。近くには、美術館や旧家などの文化施設がある。その中に渡辺家というのがあり、そこへ入館料を払って入り、じっくりと見学をした。

渡辺家は、江戸時代に庄屋をつとめた家柄で、優れた人物が輩出したらしい。特に七代目の三佐衛門という方は、農民が飢饉に遭っても一人の餓死者も出さないようにと、治世者としての力量を存分に発揮された素晴らしい人物で、残されているその家訓は、現在の政治家の多くに読んでもらい、実践して欲しいと思うほどのものだった。その中には、近江商人の家訓に共通するものが多くあった。

今の世は、おのれの目先の利益しか考えない輩ばかりが増えて、世の中全体のことを考える人物が次第に減少しつつあるように思えて仕方ない。なれど、さて、自分自身はどうなのかと、反省を余儀なくされる。広い屋敷の中に、小さな展示場があり、その片隅に現存する最古の酒というのが置いてあった。酒といっても置いてあるのは甕(かめ)だけであって、中身が見えるわけでもない。飲めなくてもいいから、匂いくらいは嗅()いでみたかった。「濃い暗褐色で、濁りはなく粘度高し。紹興酒のような香りがあり、云々」と何年か前この甕を開けたときの酒の様子が説明板に書かれていたが、二百数十年を経ての、先人の造った酒は、恐らく我々の味覚では味わうことの出来ないほどの神々しいものであったに違いない。自分の発想といえば、酒については、ただ只うっとりするばかりなのである。

広い土間の外に出ると、軒先には未だ解け残った雪の塊があって、それが何と1mほどの高さもあるのである。この地が相当に雪深い北国であることを気づかさせられた。家の屋根は、木羽葺石置屋根といわれるもので、1万5千個もの石が風対策で載せられていた。幾つもの蔵があって、それが単に個人の財産ではなく、村全体のために供される性格のものであることに少なからぬ感銘を受けた。このような人の住む家こそが本物の治世者、村長(むらおさ)というものなのであろう。さすがに庭園は立派だった。これは贅沢ではなく、村を治める人間の魂を磨くためには不可欠な環境なのであろうと思った。

   

渡辺家500坪の母屋は、木羽葺石置(こばふきいしおき)屋根という、屋根に1万5千個もの石をのせたものだった。手前右の表示板はS42年の羽後災害時の浸水レベルを告げている  

この村では、すぐ傍を流れている荒川というのが大変な暴れ川で、古来何度も氾濫を起こしているらしい。最近では昭和42年に羽後災害というのがあり、その時にはこの渡辺家も土間の胸の辺りまで冠水したらしい。その時の水位が刻まれた標識が残されていた。小さな村だけど、歴史の足跡がしっかりと保存されていて、いい勉強になった。

11時少し前、新潟方面に向かって出発。今日は、新潟市近くの道の駅に泊まって、明日フェリーの出発前から再び取材を受ける体制に入ることになる。一応、新潟市内から少し遠くなるが、阿賀町の道の駅:阿賀の里での宿泊を考えている。途中、先ずは明日のフェリーの乗り場を確認しておこうとそちらに出向く。

R113からR7に入って、途中道の駅:胎内というのと、それから加治川というのに立ち寄ってみたが、何もなし。更に新潟市街に近づいて道の駅:豊栄にも寄ったが、ここなどは丁度昼飯時の所為か、トラックも普通車も超満車で、相当広い駐車場なのに停める所も皆無だった。これではどうしょうもないので、そのまま新潟港にある佐渡行きのフェリー乗り場に向かう。新潟郊外を走るR7は、バイパスになっていて高速道路並みの走りである。バイパスを降り、地図を見ながら複雑そうな道を辿って、佐渡汽船のフェリー乗り場に着いたのは、12時半頃だった。発着便の時間帯からは、ズレていたらしく、車も殆どなく静かである。案内所で細かなことなどを確認した。これで明日は大丈夫でしょう。

さて、次は宿泊予定の阿賀の里へ行くことにする。途中R7沿いにある道の駅:新潟ふるさと村の付近を通ったが、ものすごい渋滞で、どうやら何かイベントでも開催されていたらしい。本当はこの道の駅に泊まった方が明日は便利なのだが、これほどの混み様ではどうにもならないなと思い、予定通り阿賀町方面へ向かう。いヤア~それからが遠かった。3、40分以内には軽く到着するものと思っていたのに、ふるさと村付近の渋滞の所為もあって、1時間以上もかかってようやく到着。腹の方もすっかり空っぽになって悲鳴を上げているので、道の駅のレストランに入り昼食。坐って外を見ると、直ぐ近くを阿賀野川が流れており、どうやら近くに川下りの乗り場があるらしい。雪解けなのか、やや濁った、途方もない水量の、速い流れを見て、ここはP泊には向かないなと思った。夜になって水の流れが聞こえてくるような場所には決して泊まらないことにしている。音と臭いは自分の方はあまり気にしないが、邦子どのは病的といえるほどうるさいのだ。ここに泊るなってとんでもないことだ。本人に確認するまでもない。

食事が終わって、付近を一回りして車に戻り、さて今夜の宿をどうするか。暫し検討した結果、先ほど通ってきた新潟ふるさと村も、多分夜になれば車は少なくなるだろうと考え、そこへ行くことに決める。まだ時間があるので急ぐ必要はなく、途中にあったショッピングモールなどに寄って、買い物をしながら時間調整をする。R49沿いの新潟市郊外には、東京などでは想像もつかない、大駐車場付の規模の巨大なショッピングモールがあって、そこに行けば無いものはないという感じだ。田舎を馬鹿にしてはいけない。広大な駐車場を用意した、車での購買客を前提としたアメリカナイズされた商法は、田舎の方が取り入れやすいのである。イオンなどが成功しているのも、いち早くそこに目をつけて戦略を実行してきたからなのであろう。その規模の大きさに驚き、感心しながら食材やビールなどを買う。

道の駅:新潟ふるさと村に着いたのは16時半ごろだった。予想通り4~500台は入ろうという駐車場に、今は20台前後の車しか居らず、ヤレヤレという感じである。今日は風呂無しだが、明日佐渡に行けば温泉がある。先ずは、広い道の駅の施設内を散策して様子を見る。道の駅の北側には信濃川が流れており、船乗り場のようなものもあるらしい。ちょっとしたレジャー施設の感じだった。車に戻って、夕食を作って食べて、これで今日は終り。明日は愈々佐渡へ渡ることになる。

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