山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くさびら行から:その3「東京唯一の道の駅」

2008-11-07 07:04:08 | くるま旅くらしの話

今日はくさびらの話ではなく、くさびら探訪に行く前に一泊した、東京にたった一つしかない道の駅を初めて訪れた、その感想です。

くるま旅をする場合、現在の日本の状況下では、道の駅を利用させて頂くことが多い。くるま旅では、宿泊そのものは車(=モーター・ホームだけど現実にはキャンピングカーと呼ばれている)の中となるわけだが、その場合只寝るだけというわけには行かず、幾つかの宿泊のための要件が備わっていることが必要である。簡単に言えば、①近くにトイレがあること(トイレが付いていない車や車のトイレを使わない人もいる)②緊急時の連絡が可能なこと③水が補給できること④電気が供給されること⑤ゴミ処理が可能なこと、などである。

道の駅は元々くるま旅用に造られているわけではないので、この中でくるま旅のために満たされる要件といえば、①のトイレと②の公衆電話くらいしかなく、③から⑤は道の駅によって設備の有無が異なっており、どちらかといえばネガティブ指向が強い実態にある。

これらの不足要件を補うためには、現在のところでは最適なのはキャンプ場ということになるが、キャンプ場はくるま旅のためにあるのではなく、アウトドアライフの基地や拠点といった機能が中心のため、くるま旅の者から見れば料金も高く、過剰な設備が多い。従って、長期滞在でない限りは、くるま旅の宿泊の現状は、仮眠的な利用として道の駅や高速道のSAなどを使うことが圧倒的に多いことになる。

本当はくるま旅向けの、必要な機能を備えた設備を持つ、より低料金の新たな専用駐車場の出現が望まれるのであるが、車の溢れ蠢(うごめ)く日本社会でありながら、くるま旅のインフラは殆ど出来ておらず、むしろくるま旅そのものが白視眼される傾向にあると私は思っている。海外先進国事情は良く判らないけど、ヨーロッパやアメリカ辺りでは、モーター・ホームの扱いは日本よりは遥かに社会が受け入れていると聞く。車を使った旅というものが、何故日本では受け入れられないのであろうか。

少し脱線しかかったので、話を元の道の駅に戻すことにしたい。現在全国で850箇所近くの道の駅が設けられている。毎年増加しているから、もしかしたらもうそれ以上の数となっているのかも知れない。その中で、首都東京には今まで道の駅が一つも無かったのであるが、昨年3月に初めて八王子市郊外に「八王子滝山」というのが誕生したのだった。

東京に何故道の駅が無いのかについては、いろいろな事情が考えられるけど、地方から車を使って東京を訪ねてみようという人にとっては、ありがたい存在に違いないと思う。八王子では少し都心から遠すぎるという嫌いがあるかも知れないけど、れっきとした東京に間違いない。

さて、今回のキノコ探訪の折に、八王子に住む親友に久しぶりに会うことを思い立ち、その場所を比較的近くにある道の駅:八王子滝山としたのだった。初めての道の駅が出来たというのは知っていたけど、なかなかそこへ行く機会がなくて、訪ねることができなかったので、好都合でもあった。八王子の滝山というエリアには、その昔の戦国時代に滝山城というのが築かれ、現在もその遺構が残っているらしい。行ったことが無いのでその実際はわからないけど、往時では関東随一の規模であったというから、一度訪ねてみたいとものだと思っている。

さて、その道の駅であるが、15時ごろに着いたのだが、駐車場は超満員で、数台の車が空くのを待って並ぶという状況だった。これはエライ所に来てしまったなと思ったが、他に駐車できるような場所は見当たらず、親友との約束もこの場所でということだったので、とにかく我慢して空くのを待つことにした。20分ほど待ってようやく空いた所に車を停めることができた。待ち合わせの時間までに余裕があるので、早速駅舎の中に入って見物することにした。

他の道の駅とさほど変らない作りで、駅舎の中にはレストランや土産品などの販売店の他に地元の農産物即売場が設けられていた。東京といっても、八王子となれば農家も多く、その人たちが丹精こめて作った野菜や植木・花などの園芸農産物が所狭しと並べられており、それを目当てに大勢の人たちが訪れているようだった。部外者よりも、近くに住む人たちの方が遥かに多いという感じがした。地方の道の駅では、近くの人よりも遠くからの人の方が多いと思われるけど、東京の場合は少し事情が違うのかなと思った。とにかく人が多いのである。

一回り見て回った後、今日はここに泊めさせて頂くので、その準備をする。駐車スペースが狭く、車の出入りが多くて、隣に入れ替って別の車が入ると、うっかりすると後部ドアが開かないほどなのである。窮屈な感じは否めないけど、一晩だけなのでしっかり感謝して我慢しなければならないと自分に言い聞かせる。とにかく動の世界である。

やがて友がやって来て、車の中でしばしの歓談となる。いつの間にか1年近く会っていない間に、随分とたくさんの出来事が起きていたのを知り驚いた。お互いこの世代となると、夫々が背負わなければならないものが、様々な形でやってくるのだということを、思い知らされた感じがした。

やがて友も帰り、そのままそこで一夜を過すこととなった。当初の予想では、幾ら日中は混んでいても、夜間ともなれば泊まる車など殆ど無く、せいぜい数台くらいになるのだろうと思っていたのだったが、……。ここからが他の地区とは異なる道の駅の実態を経験することとなったのである。

先ず道の駅の営業時間の長いのに驚かされた。通常は遅くても19時になれば閉店の所が多い。早いのは17時にはもう店を閉めてしまう所もあるのだが、この道の駅の場合は、何と21時までが営業時間だった。農産物なども同じように売っているのである。それだけお客様のニーズが高いということなのであろう。さすがにこの時間帯となると、駐車場の入口待ちということは無かったけど、相変わらず満車に近い状態が続いていた。

そろそろ寝ようかと21時過ぎベッドにもぐりこみ、アルコールの所為もあって、たちまち爆睡となったのだが、12時ごろに眠りが浅くなった時、何やら外の談笑のざわめきで目が醒めたのだった。何だろうと外を見てみると、駐車場は相変わらず満車の状態で、若い男女が何組も集まって、照明灯の下で大声で談笑しているのである。何だいこれは?何だか判らないけど車で来たグループが、外に出て話をしているのであった。その内に静かになるだろうと、しばし我慢をしながら目をつぶっていると、今度は彼らの話し声をなぎ倒すかのように、バイクの一団がワリ、ワリと爆音を鳴り響かせてやって来て、どうやらトイレ休憩らしい。とても眠られたものではない。彼らが去ってヤレヤレと思ったら、今度は元に戻って再び若者たちの談笑である。寝ている人のことなど全く意識していない。いやはや、どうなっているのだ!という怒りに似た、感情のやり場の無い時間が続いたのだった。

静かになったのは午前1時をしばらく過ぎた頃だった。どうにか浅い眠りに着くことが出来たのだが、その後も車の出入りは相変わらず多くて、断続的にドアの開閉音や人声が飛び込んで来るという状況だった。これほど騒がしい、眠らぬ人たちの往来する道の駅に泊まったのは初めての経験だった。

朝になって外に出てみたら、何と駐車場の8割以上も車が収まっているではないか!全62台の収容能力ということであるから、50台以上もの車がここで朝を迎えたことになる。直ぐ隣にキャンピングカーが泊まっていたし、その外数台のキャンピングカーも泊まっていた。皆昨夜は浅い眠りに悩まされたのだろうか?それとも話し疲れて今は静かに眠りを貪っているのだろうか?

いやはや、東京は郊外といえども大都会であり、眠らない世界なのだなと思った。それは活動的で活き活きとしているというよりも、近い将来の疲弊と堕落を予兆しているようにも思えたのだ。24時間を眠りもせずにフルに生き物が動き回っている世界が疲れない筈が無い。

しかし経済効率という観点からは、この道の駅は、24時間をフルに稼動して、生産とサービスそれに消費に寄与している、実に成功した道の駅の開設ということになるに違いない。私としては、気を取り直すことができるまで、もう当分の間はこの道の駅に泊めて頂くことは無いと思っている。その方が道の駅にとっても好都合でもあろう。

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