山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷) 第2日

2011-11-23 00:02:17 | くるま旅くらしの話

 2日 信州蔦木宿から飛騨金山ぬく森の里温泉まで

 

6時起床です。ジサマは毎朝自動起床ですが、バサマの方はグズ

グズ起床です。これは早朝血圧のリズムの問題なのかも知れません。今日は快晴です。四方を山に囲まれていて、頭上には澄み渡った青空が広がっています。真に爽秋という感じそのものです。気温は、恐らく一桁なのだと思います。寒さを覚えるほどです。

さて、今日の予定を決めなければなりません。実は今回の旅では、家内の要望で名古屋近くの犬山市にある明治村に寄ることにしているのです。私の方はそのような所は無縁なのですが、家内は東京都の文化財のボランティアをしていて、少し古い建築物の解説などを担当しているらしく、その関係で何やら明治村にある建物を見て参考にしたいという話です。無理すれば今日の午後からその見学も可能かもしれませんが、時間不足で中途半端な見学となってしまうに違いありません。ですから明治村の見学は明日の午前中からの方が良さそうです。そう判断して、今日は木曽路(=R19)の古い宿場町を訪ねながらちんたら行くことにして、名古屋に近いどこか適当な場所を見つけて泊ることにしようと決めました。勿論、高速道路は使わずにこのまま一般道を行くことにしています。

 旅の朝の出発までの時間は、食事の後に近所を散歩することが多いのですが、今日は予定を決めた後は直ぐに出発することにしました。この道の駅はトラックが多く、夜中でもエンジンを掛けっ放しの車などがいるので、昨夜のそれらの排気ガスがこの辺り一帯に淀んでいるような感じで、せっかくのいい天気を台無しにしている感じがします。こういう時には長居をしない方が身のためというものです。

このトラックのエンジン掛けっ放しというのは、明らかに公害の一つであり、社会的にもっともっと厳しく規制をすべきだと思います。ドライバーのために必要なのなら、エンジンを掛けないでも快適な睡眠を確保できる環境をトラックメーカーも業界も用意すべきだと思うのですが、一向にそんな動きはありません。ドライバーだけを責めても仕方ないように思います。経済優先、効率優先ばかりでは、環境汚染はやがて決定的な時を迎えるに違いありません。旅に出掛ける度にこのトラックの騒音と排気ガスには悩まされ続けています。

 8時過ぎR20を諏訪方面に向けて出発です。盆地は益々狭くなり、次第に山が迫って来ます。とうとう山道となりました。しばらくは順調な流れだったのですが、間もなく車の流れがおかしくなり出し、次第に渋滞気味となりました。こんな山の中の道なのに、なんで朝から渋滞なのか解せません。何か事故でもあったのかと思いましたが、どうやらそうでもなさそうです。こりゃ、もう少し先まで高速で行くべきだったのかなどと思いつつ、しばらく我慢して渋滞の中をノロノロ進んでゆくと、ようやく流れが改善され出しました。自然渋滞だったようです。気がつけば、この辺りには精密工業の工場が点在しており、そこへ勤務する人たちの出勤の時間帯だったようでした。注意して見ていると左右の小道から通勤と思しき人たちの車がひっきりなしにR20の方へ入ってくるのです。この辺りの人たちは車を使っての通勤が当たり前となっているのでありましょう。馴れている人は気にならないとしても、他所者には少し迷惑な話だなと思いました。これは暇人のエゴなのかもしれませんが。

 茅野(ちの)市に入り、坂を下って少し行くと諏訪盆地に入ります。この盆地は諏訪湖が用意したものなのか、湖を取り巻いてほんの少ししかありません。諏訪といえば温泉、諏訪大社のお祭り、冬の諏訪湖のお御渡(おみわた)りとワカサギ釣りなどが有名ですが、私の場合は諏訪の北部に広がる霧ケ峰高原や美ケ原高原への入り口としての思い出が一番です。その昔の独身時代には殆ど毎年一人で霧ケ峰高原に初夏のニッコウキスゲの花を見にやって来たものでした。あの黄金のジュウタンのような高原の花畑の広がりは、今でも懐かしい記憶としていつでも思い出すことが出来ます。あの頃は上諏訪の駅を降りて日に2~3本しかないバスに乗っていそいそと出かけたものでした。ここを通る度に甦る思い出です。

 結局渋滞は茅野付近での20分ばかりの時間帯で、その後は諏訪市内も岡谷市内も信号に何度か停められただけで、無難に通過することが出来ました。岡谷を過ぎて少し行った所に道の駅「小坂田公園」というのがあったので休憩しようかと寄ってみたのですが、ここは何だか迷路のようなレイアウトの道の駅で、どうも落ち着かない雰囲気なので、そのままパスすることにしました。少し行くと甲州街道のR20は終わり、塩尻の市内でR19に変わります。同じ道なりなのにそのまま木曽街道となるのは面白いなと思います。気がつけば道はいつの間にか左に曲がって、南下することになるのです。塩尻から10kmほど行くと道の脇に贄川(にえかわ)の関という案内板があったので、ちょっと覗いてみました。その昔の関所ということです。ここは昔中山道の33番目の宿があった所とか。ここの関所がどのようなものだったのかよく解りませんが、旅する者にとっては面倒で厄介な場所だったに違いないと思います。直ぐに少し先の奈良井宿へ向かいました。

川沿いの道を進んで行くと、山は次第に深くなり、秋の色が山容を彩り始めました。木曽路というのは本当に山の中の道だなあと実感します。いつの間にか左から右側に変わった奈良井川に沿って、左右に大きな山が迫ってきていますが、それが秋の色に染まり出して、南下するにつれて紅葉が鮮やかさを増して来ています。関所の少し先に「木曽ならかわ」という道の駅があったので、ちょっと覗いてみました。駅舎の売店には木工芸品がたくさん陳列されていました。この辺りは木曽の木工細工の盛んな所のようです。予てから木製の盃のいい奴が欲しいと思っていましたので、もしかしたら気に入るものがあるかもしれないと密かに期待しました。今までいろいろな旅先で随分と探したのですが、気に入っても皆高価過ぎて手が届きません。指1本くらいの値段なら奮発して買っても良いと思っているのですが、今までそのようなものにめぐり合ったことが無いのです。 結果的にここも叶わぬ夢の場所でした。正月などの屠蘇用の重ね盃は6万5千円もしていました。こんなに高いものよりも、その分で少しいい酒を手に入れてコップで飲んだ方がまだましだと、何時もそうなので、いつまで経っても盃は手に入りません。これからも同じようなことを繰り返してゆくのだと思います。これが自分という酒のみの生き方なのでありましょう。                       

直ぐに、奈良井の宿に着きました。SUN号をJR奈良井駅前の

駐車場に止めて、少し腰を据えて街並みを訪ねることにしました。ここは今まで何度か通っているのですが、寄らないで通過ばかりしています。今回はじっくり見てみようと思った次第です。家内もこの宿場町には大いに期待しているようで、張り切っています。彼女の場合は、ボランティア活動に大いに関係があるようで、特に宿場町の建物などに興味があるようです。私の方は、単なる野次馬に過ぎず、江戸時代の旅人になったつもりで町の表や裏通りを覗きまわって見たいと思うだけです。勿論ここからは二人別行動です。

奈良井は川沿いの谷に沿った、細長い宿場町で、その昔は奈良井千軒と呼ばれるほど中山道の宿場町の中でもかなりの賑わいを見せていた所とのことです。JR奈良井駅は宿場の北はずれの方にあり、そこから2km足らずの細い街道にその昔の宿屋や物売りの店などの建物が櫛比しています。櫛比(しっぴ)というのは、文字通り櫛の歯のように殆ど隙間なく建物が並んでいる様をいうことばですが、ここはそれがぴったり当てはまる景色だなと思いました。今は大きく時代が変わって、宿屋は民宿になりその数も少なく、多くはお土産品などを売る店となっています。ですけど、どの家にも昔からの屋号を表記した新しい木札が掛けられていて、良い雰囲気でした。文化財としての景観をより価値あるものにしようという試みなのでありましょう。宿場を貫く街道の町並みの所々に水場があって、山からの湧き水と思われる清冽な流れが心地よい音を立てていました。数百年の昔から、ここを旅する人たちの喉の渇きを癒してくれた水なのだと思います。大自然の恵みを感じました。                                                   

町並みを貫く大通りを逸れて脇道に入ると、それぞれの建物は間

口の狭いわりには、奥行きが意外と長い造りとなっているのがわかります。私はどこへ行っても裏通りを覗くのが好きなのです。表の華やかさ、上品さとは違って、そこには忘れられがちな本物の生活の破片が、疲れを滲ませているような気がするからです。それは日本だけではなく、外国へ行ってもそうでした。奈良井では道端の荒れ地に咲く野菊の花が印象的でした。街並みの外れにある神社らしき所に詣でました。旅先では神社などに出会った時には、ふらりと立ち寄ることにしています。神社というのはその昔からここに住んだ人たちが心の拠り所としてきた場所であり、それだけでもお参りする価値があると勝手に信じ込んでいます。

神社の横に石仏が集められた箇所がありました。そこには百地蔵とか書かれていましたが、どうやらこれは近世になって鉄道敷設工事や新たな国道建設にあたって、宿場の街道筋にあった多くの石仏をここにまとめて供養したもののようです。百地蔵といえば地蔵菩薩を祀るものだと思いますが、良く見るとその大半は観音様の像なのでした。柄にもなく、怪しげな歌と句をひねりました。                                               

・新しき屋号札のみ目に入りて奈良井の宿は人疎らなり

・幾百年行く旅人を癒し来て尚迸(ほとばし)る奈良井の水場

・野菊咲く奈良井の宿の忘れ道

・忽然と秋の風吹く百地蔵

こりゃあどうも締りのない作品ですな。載せない方がよかったかな。

 このぶら歩きの間、家内の方が何をどのように見ていたのかは全く知りません。どうせ車に乗れば、これからいろいろ聞かされますから、その時にはとにかく相槌だけはしっかり打たなければと思っています。2時間ほど滞在しましたが、とても良い時間でした。木曽路にはこの先にも福島、妻籠、馬籠など幾つかの著名な宿場町がありますが、今日は奈良井の宿だけを念入りに見て、あとは、次の機会にしたいと思っています。

JR奈良井駅を出てR19に入るとすぐ傍に道の駅「奈良井木曽

の大橋」がありました。こちらの方に駐車した方が宿場町の散策には好都合だったなと後で気づきました。道の駅の傍の奈良井川に木造の太鼓橋が架かっており、これが奈良井の大橋というものでした。岩国の錦帯橋の橋げた一つ分くらいの大きさでしょうか。何か謂れがあるのかもしれませんがよく分かりません。小さいけど何となく大橋の風格のある橋でした。                

少し走って日義村にある道の駅に到着しました。この辺りは往時

の木曽駒と呼ばれる軍馬の名産地であったとのことです。今は名前だけが残って、それらしき風景も雰囲気もありません。それはそうでしょう、今は馬を使っての戦(いくさ)など考えられませんし、競走馬と戦用の馬とは全く別なのですから。ここ2~3百年の間に、人間世界は殺りくの用具を想像もつかないほど凶悪なものにしてしまっているのです。ここで軽く昼食を済ませて、先に進むことにしました。木曽路というのは、本当に深い山の連続です。久しぶりの木曽路の景観を味わいながら南下を続けました。

R19沿いの道の駅「賤母(しずも)」近くになってふと思ったの

は、このまま中津川の方へ行ってしまうと、名古屋に近づき過ぎてしまうことになり、明日のことを考えると少し問題があります。木曽街道にはこの先泊るに都合のよい道の駅なども無いのでちょいと厄介です。それで賤母の道の駅に立ち寄りしばらく地図などを眺めることにしました。その結果判ったのは、少し遠回りの感じがするけど、飛騨の方からくるR41へ出た方がいいということです。ここからだと少し先の坂下町からR41につながるR256があるので、急遽それを行くことに決めました。R41の方が名古屋に近い場所に幾つか道の駅がありますし、明日明治村に行くにも好都合なルートだと気づいたからでした。R41に出たら金山町という所にある温泉のある道の駅に行き、そこに泊ろうと思ったのです。

 坂下町から右折してR256に入りました。初めて通る道です。途中までは国道らしかったのですが、しばらく行くと何だか畑の中の細道となってしまい、これはどうしたことかと不安が膨らみました。地図上では太く赤い線となっていても、実地には赤い線などあるわけもなく、こんなにも細い田舎道となってしまっています。道を間違えたのかなと思いましたが、とにかく行ける所まで行って見てそれでも駄目だったら引き返そうと思って構わずに進んでゆきました。この道を通る田舎の人たちは、馴れているのか運転が乱暴で、危うくぶつかりそうになった車が何台かありました。都会の混んでいる道の方が、車の運転の安全度が高いような気がしました。どうやら道を間違えてはいなかったようで、しばらく走るとR257に出てそこからはR256はR257と同じ道となりました。後で気づいたのは、坂下町からではなくもう少し先の中津川の所から直接R257に入った方がずっと楽だったということです。全国を旅しているとこのような不本意なルートの選択をしてしまうことがよくあるのです。これは恐らくナビなどを使ってもダメな話ではないかと思います。私はナビなし主義なのです。

 R257の本道に合流した後は、道路はずっと国道らしくなって、何の問題もありませんでした。付知町、加子母村などという初めて聞く名前の町村を通って、温泉で有名な下呂町へ。下呂町の郊外で飛騨の高山の方から来るR41にぶつかり、左折してここからはR41を南下です。中山七里と呼ばれる如何にも飛騨路らしい渓谷を走って、金山町の上市場という交差点を右折して郡上八幡に向かうR256をほんの少し行くと、道の駅「飛騨金山ぬく森の里温泉」がありました。今回初めての来訪です。四方を山に囲まれていますが、結構開放感のある広場があり、なかなか良い所です。道の駅の反対側に日帰り入浴の温泉施設があって、そこにも大きな駐車場がありました。夜間のトラックの騒音のことを考えると、道の駅よりも温泉施設の方がいいと考え、そこの受付の人に聞きましたらOKとのこと。これで一安心です。風呂には少し早いかと休憩していましたら、何と又雨が降ってきました。それならば、と先ずは温泉に入ることにしました。

ここの温泉施設には、露天風呂の他にもサウナなど一通りの設備が揃っていて、泉質も良く満足のゆく温泉でした。1時間ほどゆっくりとお湯に浸り、車に戻りました。温泉から上がれば為すことは決まっています。ビールを一杯やって、後は寝るだけです。今日は昨日よりも長距離を走って疲れました。それは家内も同じだったようで、今日はガサゴソをさせる間もなく、二人ともあっという間の爆睡です。夜間も何の騒音もなく雨も殆ど降らなかったようで、ストレスのない一夜を送ることができました。ここはくるま旅の人には、お勧めの場所だと思いました。

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