旅の途中で冷蔵庫が壊れたのだった。壊れたと書くと大げさな感じがするが、要するに冷えなくなったのである。冷蔵庫というのは、くるま旅においては準ライフラインの一つと位置づけて良いと思う。特に夏という季節にこれが機能しなくなると、生活の仕方を変えなければならなくなってしまう。近くにコンビニなどがない場所では、温かいビールを飲むことになってしまう。冷蔵庫の無かった時代の暮らしに戻れば良いだけの話かも知れないけど、今の世の暮らしに慣れてしまっている身には、2~3日なら我慢できてもそれ以上となると、結構難しい。
キャンピングカーの場合は、冷蔵庫の多くは3ウエイ方式のものが使われている。電気の場合は、12Vと100Vで冷やすもの、それに加えてLPガスで冷やす方式のものである。車の置かれた環境条件によって、これらの方式を使い分けるのだが、最も安心して使えるのは外部電源が確保できた場合の100Vでの使用だと思う。しかしこれが叶う場所は今のところ極めて少ない。電力会社は、今のところ移動する車に対して売電をするという発想がない。電気自動車が普及すれば、少しは変わるかもしれない。従って多くの場合は、12V電源かガスを使うこととなる。ところが12V電源というのは、走行充電システムが効いている時は問題が少ないけど、エンジンを停止して駐車している夜間などの時間帯では、バッテリーに限界があり、使い勝手は非常に厳しいものとなる。ということで、長時間エンジン停止の場合はガスに切り替えることとなる。私の場合は概ねこのような考え方で冷蔵庫を動かしている。
今回の故障は、夜間頼りにしているガスでの冷却が出来なくなってしまったのだった。その異変に気づいたのは、50日間だった旅も終わりに近づいた44日目の夕方近くだった。北海道HMCC(Hand Made Camping-car Club)の例会に参加し、解散後温泉に入ろうと北竜町まで行ったのだが、少し混んでいる感じだったので、一つ先の羽幌町まで行こうと北の方に足を延ばし、荒れ気味の日本海を見ながら17時近くに道の駅に着き、「HO!」(=北海道内の温泉案内誌・無料で入れる温泉の紹介がある)に載っているホテルに行ったら、なんと今日は温泉には入れない日だったことに気づき、ガッカリしていたのだった。しょうがない、ここに泊まろうとその準備をしていたら、冷蔵庫の発火装置が音を発しているではないか。ガスがなくなったのかとボンベを入れ換えたのだが、何度ガスを着火させようと試みても点火しないのである。ガスはちゃんと出ていて、コンロの方には異常が無いのである。しばらく着火を試みていたのだが、ついに諦めることにした。さて、たちまち困るのは、家に帰りつくまでどうするかということだった。
タイミングも最悪である。知恵者の集まりのHMCCの人たちと一緒にいる時であれば、何かいい知恵をお借りできたのかも知れないのに、今朝ほど別れて来たばかりで、皆さん各地に散ってしまっている。しかも携帯には、どなたの電話番号も登録していなかったのである。連絡のし様も無く途方にくれ、やむなく東京の車の購入先に電話し、北海道の業者で知り合いがいないかどうか問い合わせたのだった。その結果、札幌のノースライフ社を紹介頂き、直ぐに電話して診て頂けるかを問い合わせたところ、明日OKを貰い、一先ずホッとしたのだった。この間30分ほどかかり、辺りは既に暗くなりかけていた。
それからが大変だった。明日は少しでも早く診て貰った方がいいだろうと、なるべく札幌近くまで戻っておこうと、来た道を折り返して走ることにしたのだった。走っている間は12V電源で冷やすことが出来るのだが、今回の旅ではずっとガスで冷やして来ていたため、先ほど気づくまではずっと冷蔵庫は機能していなかったわけで、中の物、特に冷凍庫の物は溶け出し始めており、走りながら元に戻すのは無理と言う状態だった。とにかく札幌に近づこうと、高速道も使いながら、雨が降り出して一層真っ暗になった深川の道の駅に着いた時は、19時半を回っていた。こんな時間帯に北海道の中を走るのは初めてのことである。高速道が使えたから良かったが、これが山の中の一般道などであったら、いつ何が飛び出してくるか判らず、ヒヤヒヤものである。普段は決して走らないことにしている時間帯なのである。比較的都市化されたエリアを走れたのは、幸いだった。
翌日は早めに出発して、ノースライフ社には10時半ごろ到着。それから1時間近く掛かっていろいろ原因を調べて頂き、どうにか応急処置でガスの着火に至ったのだった。原因はガスを燃やすバーナーの吐出口の部分が目詰まりしたのか細くなってしまっており、適正量のガスが吐出していないためなかなか着火せず、着火しても細くて冷やすだけのレベルになっていないと言うことだった。本来なら新しい部品に取り替えるべきところなのだが、在庫が無く取り寄せるにも日数が掛かるということである。全くの応急処置であり、できる限り早く部品を交換した方が良いという話だった。ノースライフ社の方には丁寧に調べて頂き、感謝・多謝である。とにかく先ずは安堵したのだが、帰宅後に早急に処置をしなければと思ったのである。
その後どうにかそのままの状態で家に戻ったのだが、5日間ずっとヒヤヒヤの連続だった。不安を抱えての旅というのは、どうも楽しみが半減してしまいそうで、それが何であってもやっぱりあってはならないものだなと、改めて実感したのだった。帰宅後一段落してから、近くにあるRVランド社(RVランドは以前守谷市内にあったのだが、現在は隣の常総市の方に移転している)に車を持ってゆき、じっくりチエックして部品の交換などをして頂くようお願いしたのだった。それが完了して昨日久しぶりに愛車SUN号が戻ってきたのである。
この頃は窓の外にSUN号の顔が見えないと、何だか淋しい気分になるようになってしまっている。車に乗らなくても、身近にそれが居ないと心に穴が開いた感じになる。とにかく元気になって戻ってきたので、ホッとしているところである。修理で交換した部品を見せて頂いたら、吐出口の穴が確かにおかしくなっていたし、又取り付け部位に腐蝕のような箇所も見られた。特に熱源として使用する箇所は劣化のスピードが速いのかもしれない。長いこと使い続けると、それが何であっても老化するものだというのが良くわかった。7年間も殆ど何のトラブルも無かったということを感謝すべきなのかも知れない。我が身と同じように形あるものは、時間の経過と共に老化し、機能を劣化させてゆくのである。それが判っていても防ぐことは不可能である。とすれば大ごとになる前に予めの手当てをしておくことが肝要なのであろう。
しかし、そのタイミングを的確に捉えるというのは難しい。専門の知識があれば大いに役立つのだと思うが、それが無い身では、働かせるのが出来るのは、当てにならない勘くらいしかないのである。ビルダーや修理・メンテナンスを担当される事業者におかれては、ド素人でも未然にトラブルを防ぐことに役立つ知識やノウハウを可能なかぎり、もっともっと啓蒙して欲しいなと思った。転ばぬ先の杖としての旅車のメンテナンスノウハウのガイドブックのようなものがあれば、大いに役立つと思うのだが、それらがまとまって出来上がっている本や資料など見たことが無く、断片的に経験を積むしかないのが現状の様である。
勉強不足を棚に上げて、我が身同様にこれから老化現象が湧出するであろう旅車のことを思いながら、ちょっぴり複雑な想いで今回の修理事件を思ったのだった。
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