山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

年末世相雑感:今年の世相一字は「虚」

2008-12-25 04:26:11 | 宵宵妄話

数日、日記以外の書くことを止め、気ままに過そうと努めたのだったが、年末だというのに、毎日毎日よくもまあこんなにと思うほど、暗いニュースばかりが飛び込んでくる。今まで世の中を取り繕(つくろ)ってきた、とんでもないあやかしの魔術が破綻を来たし、世界中の善良なる一般庶民までが、その被害の塗炭を舐めなければならないような状況に陥っている。真に酷い状況だ。しばらくはくるま旅のことは忘れて、今の世のあれこれについて思いを巡らしてみることにした。今日から大晦日までは、私の年末世評雑感を述べてみたい。僭越なことは十二分に承知している。(厚顔多謝)

 

先日、清水寺の例年行事として、今年の世相を表わす一字は「変」というが選ばれ、貫主さんが大書されているのをTVのニュースで拝見したのだが、何だか違うのではないかという気がしてならない。お寺さんの世の中を見る目も今様に感化されて、表通りの感覚となってしまったのだろうか。そんな気がしている。

ネットで今年の一字表現に関するデータを見ていたら、某所での読者による投票結果のベストテンが、①毒 ②闇 ③崩 ④売 ⑤国 ⑥憂 ⑥虚 ⑧怒 ⑨変 ⑨欺 だったという。ま、いろんな選び方があるのだと思うけど、この場合、清水寺はその9番目の一文字を今年のナンバー1に選んだということになる。本当の順番はどうなのか解らないし、どうでも良いことなのかも知れないけど、私としては、やっぱり「変」という選択は浅くて変なのではないかと思うのである。

確かに変な世の中である。今が「変」な世の中であることは間違いないけど、例えば変というのを変化のチエンジなどと捉えるのは浅薄といわざるを得ない。変ではあるけどまだ新しい変化は殆ど現われてはいない。世の中が右往左往しながら「変」のままで停まっているのが今年なのではないか。「チエンジ」は求められているけど、それはまだ始まってはいないのではないか。

とすれば、今年はどんな世の中だったのか。私は、それは「変」の根っ子(=根源・要因)を訪ねるべきだと思っている。今の世の中に、尋常ではない変なことばかりが何故起こっているのか?その理由(わけ)を捉えることが大切ではないか。

私が思うには、今年は様々なインチキが正体を暴かれた年ではなかったかと思う。暴かれたというよりもインチキ自体が飽和状態となって、自らその正体を現したということかも知れない。この世を動かしてきた、本物ではない、まやかしのあれこれが次々と本性を現し、世界中を恐慌状態に貶(おとし)めようとしている。その大源(おおもと)を一言で言えば、「虚」ということになるのではないか。これが私の結論である。

虚の反対には実というコンセプトがある。「虚虚実々」という用語がある。これは戦の場合に使われることばのようだが、今の世の中を人々の暮らしとの戦いと看做(みな)せば、今の世は虚が溢れており、実の方が次第に侵食されて来て、ついに表面現象として様々な問題を惹起している、ということではないか。

その中で、何と言っても今年最大の「虚」のもたらした恐るべき出来事は、USAの金融問題ではないか。世界中の経済活動と人々の暮らしを、怒りのぶつけようのない状況に落ち込ませている。もしかしたら、世の中の多くの人々は、例えばサブプライムローンに端を発する金融破綻の問題は、「虚」とは無関係だと思っているのかもしれない。もしそうなら、あまりに呑気(のんき)過ぎると言いたい。自由経済が「虚」に走り過ぎた結果が今回の世界恐慌につながっていると思えてならない。(このことについては、明日私の見解を述べてみたい)

般若心経の中に「真実不虚(しんじつふこ)」ということばがある。般若心経は、この世を動かしている「空(くう)」と「色(しき)」の関係を述べた哲学書だと思っているが、この短い経文の終わりの方に出てくることばが「真実不虚」である。私はまだこのことばの本当の意味を知り得たとは思っていないけど、「本ものの真理は偽ものではない」という一見当たり前と思われるこのことばの中には、2600年も前に辿り着いた人類を代表する深い叡智が潜んでいるのではないかと思っている。般若心経は実も虚も呑み込んだ空(くう)と色(しき)の説明書だけど、その奥行きは途方もなく深い。

般若心経によれば、今の世の乱れは、「虚」という色(しき)の表れであり、それは真実ではないということになる。「真虚不実」ということでもあろうか。勿論このようなことばはない。あってはならないことばなのだと思う。

冒頭に「変」ということばを選択したことについて批判めいたことを書いたけど、この世は諸行無常であり、常に千変万化してゆくものなのであるから、「虚」のもたらす異常現象が、新しい変化への引き金となるという意味では、この選択は正しいのだと思う。つまりは、世界中の人々が、もう居ても立ってもいられないほどに新しい変化を希求しているというのが、今の世なのだということである。

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