山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷) 第8日

2011-12-09 02:55:07 | くるま旅くらしの話

 

第8日 道の駅:内子フレッシュパークから道の駅:しまなみの駅御島まで

 

 大騒動の一夜が明けて、朝食を済ませて車の点検などをしていますと、何やら周囲がやたらと騒がしくなって来たのです。ひっきりなしに軽トラがやって来て、野菜や果物、花類などを運び入れています。出発の準備が一段落した後、販売所の中を覗いてみました。この道の駅も地元の農産物の販売にはかなり力を入れておられるようです。野菜や果物だけでなく、豆腐や惣菜や干物、漬物などの加工品も数多く並べられていて、実に魅力的でした。いろいろなものを買い入れたい気持ちが膨らんだのでしたが、旅はまだ途中であり、帰宅するまで保たないものが多いため、ほんの少し野菜や果物などを買い入れただけでした。思わず長居をしてしまい出発が遅れたのですが、この間にマイクロバスなどで買い物にやってくる団体さんなどがあって、人気のスポットなのだというのを気づかされました。これほど活気のある道の駅の物産売り場も珍しいなと思いました。

 

内子は確かノーベル文学賞を受賞された、日本のことをあまり好きでないようなことをおっしゃっている何とか云う方の出身地ではなかったかと思います。私は己の個人的な偏見からこの方のことをあまり好きではありません。でもこの内子という町は古い歴史もあって、それを残す町並みが残っていると聞いていますので、今度来る機会があればじっくり歩いて見たいと思っています。今日はその余裕が無いので町中の見物はパスすることにしています。というのも、福山に在住する元勤務先の古い知人のS君と明後日に会う約束をしているからです。彼は今水彩画を描いており、その個展を開催中なので是非それを見せて頂こうというわけなのです。

 

今日はこれから国宝のある松山市内とその近郊のお寺を2~3箇所回ることにしています。これは勿論家内からのたっての要請によるものであり、ジサマとしてはさほど関心のあることではありません。それが済んだらどこか温泉にでも入った後、しまなみ海道に入って二つの道の駅のある大三島まで行き、「しまなみの駅御島」という道の駅に泊るつもりでいます。

 

先ずは予定している3つのお寺の内、太山寺というのへ向かうことにしました。太山寺は八十八カ巡りの札所の一つで、ここの本堂が国宝なのだそうです。内子からは松山道を使い、伊予ICにて下りてR56に入り、松山市内でR196に入って太山寺に向かうことにしました。太山寺は松山市の北西部にあり先ずは市街地を突っ切って行くことになります。このところ交通量の多い場所はあまり通っていないので少し心配もありますが、ま、何とかなるでしょう。ということで久しぶりの松山市内の通行は、さすがに車が多くて渋滞気味でした。松山は人口四十万人を超える四国第一の都市です。途中家内が思いついたように名物のタルトというお菓子を買いたいなどと宣(のたま)わったのですが、肝心の店を通り越してしまってから曖昧な言い方で言うものですから、買いそびれてしまいました。(太るから止めた方がいいよ、というのがジサマの注告であり、結果的にそれでよかったのではないかと思った次第です)混雑している市内で車を止めての買い物は敬遠したいというのがジサマの本心です。

 

12時少し前、太山寺に到着しました。ここは53番札所であり、本堂が国宝というお寺なのですが、ジサマの印象としてはそれほど強く残っておらず、そういうお寺もあったかなという程度なのです。少なくとも3回は訪ねているはずなのですが。資料を見て予備知識の膨らんでいる家内の方はその国宝なるものを再確認しようと張り切っていました。駐車場にSUN号を留め、急な坂道を5分ほど歩くと山門に到着です。その向こうに幾つもの大木に囲まれて本堂がどっしりと構えての姿を見せていました。これが国宝ということです。その観察は家内に任せて、ジサマの方はそろそろ昼食の時刻なので、お昼はどうしょうかなどと俗界の瑣事に関心が向きかかっています。遠足で来たらしい小学生の子供たちが境内の中をあちらこちらと声を挙げて駆け回っていました。

 

お寺というものを世の中の皆さんはどのように受け止めて考えておられるのかな、と時々考えることがあります。葬式とか死後の冷たく暗い世界だとか、怨念や死者の様々な思いが渦巻いている恐ろしい場所だとか、人により様々なイメージがあるのだと思います。ジサマの場合は、お寺に対しては極めて友好的です。この世とおさらばした人の魂の休憩所といったイメージでしょうか。亡くなった人が安息を求めて休んでいる場所なのですから、生きている人間にとっても心の安らぐ場所なのだと思いますし、事実お寺に行くとホッとする感じがするのです。ゲゲゲの鬼太郎じゃないですが、墓場で運動会をする妖怪たちに出会ったら、一緒に仲間に入れて欲しいなと思うほどです。洒落た骸骨君が出てきたら握手を求めるでしょうし、怨念の籠った愚痴を聞いてくれと老女が出てきたらじっくりと聴くだけです。肝試しなどというようなことはこのジサマには何の意味もない、(いや、少しは意味があるかな)幽霊などが怖いとは思わないのです。境内で無心に遊ぶ子供たちを見ていると、この子たちは心健やかな妖怪たちを同じではないかなどと思ったりしてしまいます。これがこのジサマの基本的なお寺観なのです。改めて太山寺の雰囲気に浸って見ますと、やはりここも名刹に相応しい環境だなと思ったのでした。

 

やがて家内が戻って来て、沸かしたお湯でお茶を淹れ昼食としました。その後もしばらく昼休みの休憩です。今日は天気が良く暑くてとても今が秋の真ん中頃とは思えません。四国が南国だと思ったことはあまりないのですが、今日はもしかしたら南国だったのかと思うほどの暖かい上天気なのでした。さて、これからは道後温泉近くにある石手寺の方へ行くのですが、その前に大宝寺という所に国宝があるというので寄ることにして出発です。

 

大宝寺なのですが、ここは八十八カ所の札所には入っておらず、まだ行ったことのないお寺なのでした。同じ名称の第44番札所の大宝寺がありますが、これは松山市内ではなく久万高原町にあり、今日の対象外なのでした。家内によればこの松山市内にある大宝寺の本堂は鎌倉時代に建立されたもので国宝となっているとか。ジサマは、はあ、そうですかというだけです。その大宝寺がなかなか見つかりません。地図では直ぐ近くまで来ているはずなのですが、入って行く道が判りません。何度も周辺をうろうろして探したのですが、どうやら一方通行になっているらしく、それがどうも細い道で駐車場に辿りつけそうもありません。行くのを諦めることにしました。ま、こんなことがあっても仕方のないことでありましょう。石手寺に向かうことにしました。

 

松山城の堀端を通り、愛媛県庁の辺りを通過して、こちらの方は何度も来ていますので、迷うことなく到着しましたこのお寺は道後温泉という有名歓楽街を近くに控えているせいなのか、いつ来ても参詣客の多いお寺です。札所の一つとあって巡礼参拝の方もここではホッと一息できるのでありましょう。今日も大勢の人たちで賑わっていました。それにしてもいつものことではありますが、現代の今も尚、時代を超えてこれほど大勢の人々の浄心を惹きつけている弘法大師というお方の力には驚くばかりです。石手寺は仁王門が国宝で、これも鎌倉時代初期の創建だとか。只今境内の建物は至る所で補修作業が行われており、何だか落ち着いて見学するには些か余裕のない状況となっていました。家内が何を学んでいるのか、何が参考になったのかはジサマにはさっぱり判りません。

 

石手寺の参詣を終えて、今治市の方のしまなみ海道の入り口に向かうのですが、その前に奥道後かどこかの温泉に立ち寄り湯をしようと考えています。R317を奥道後に向かって行ったのですが、温泉街に入っても気楽に立ち寄り湯が出来るような施設が見当たらず、あるのは高級風ホテルのような建物ばかりです。ありきたりの現代風温泉風景そのものには、殆ど魅力を感じません。そのまま通過してしまいました。やがて道は山の中に入り、温泉などとは無縁の環境となってしまいました。何という山なのか知りませんが、どうやら石手川の源流に向かって道が続いているようです。しばらく登ると、やがてトンネルに入りました。山道の中のトンネルは峠に近づいた標(しるし)でもあります。かなり長いトンネルを潜ると今度は下り坂となって、しばらく行くと鈍川温泉という案内板が目に入りました。この辺りは玉川町という所らしく、近くに玉川湖というダム湖がありました。そこを右折してしばらく行くと鈍川温泉があり、そこにせせらぎ交流館という温泉施設がありました。町営の施設のようです。早速入らせて頂くことにしました。料金400円也はリーズナブルです。とてもいい湯の、本物を感じさせる温泉でした。この辺りは山間の渓谷となっており、温泉館の直ぐ脇を清流が音を立てて流れていました。モミジの木もあるのですが、四国の紅葉は遅くて、間もなく11月という今の季節はまださっぱりの風情です。ちょっぴり残念でしたが、1時間ほどゆっくりと温泉を味わい十二分に満足でした。

 

温泉を堪能した後は、坂道を下って直ぐに今治市内です。しまなみ海道に入る前に給油をしておこうとスタンドを探しました。この辺りも油の価格が高くて、経由がリッター辺り82円くらいです。その中で76円のスタンドを見つけて満タンにしました。これで明日の福山までは大丈夫でしょう。しまなみ海道は初めてです。一体どの様な様子なのか、期待に胸が膨らみます。今治市内の一般道からしまなみ海道(この辺りは西瀬戸自動車道というのがちゃんとした名称のようです)に入って、最初の来島海峡SAという所でしばし興奮を鎮めることにしました。少し暮れ出した瀬戸内の海に巨大な橋が海を跨いで向こうの島に向かって架かっていました。その下には船の航行の難所として有名な来島海峡が、今は凪なのか穏やかに横たわっています。その昔にこの辺りに跋扈(ばっこ)した海賊たちがこの橋を見たなら、何と思うのでしょうか。「おれたちの時代は終わっちまった」とでも呟くでしょうか。まあ、とんでもないものが出来上がっているものだなと思いました。明石海峡大橋は橋桁の下から見上げての迫力が凄かったですが、来島海峡大橋はこのSAから見ただけでも迫力を感じます。あそこを歩いて渡ったら、どんな気分なのだろうかと、思っただけでもぞっとしました。

 

今日は大三島にある道の駅「しまなみの駅御島」に泊ろうと予定しています。この島には2つの道の駅がありますが、しまなみの駅御島と選んだのは、明日近くにある大山祇(おおやまづみ)神社に参詣する都合を考えてのことなのです。この神社には国宝の武具類が多数収められた宝物館があり、この見学が家内の主目的となっているからです。先ほど見た来島海峡大橋を車で渡ったのですが、この橋は1本ではなく3つの橋がつながって出来ているのでした。車で走る分には普通の高速道を走るのと同じであり、暮れかけて視界の悪くなった状況では海の様子などよく判らないままのあっという間の通行でした。この西瀬戸自動車道というのは、広島県側まで全て高速道で一本化されてつながっているのではなく、島に渡る橋の先は一般道となっており、その意味ではしまなみ海道というのは高速道ではなく、島と島をつなぐ橋を中心とした道なのでした。来島海峡大橋も高速道は隣の大島までで、その先は一般道となり、再び隣の伯方島に架かる橋から高速道となり、同じ要領でその隣の大三島に渡るという風になっているのでした。

 

伯方島と通る頃から急速に日が暮れて、大三島ではもうかなり暗くなっていました。付近の景色もさっぱり判らないままに道の駅に到着しました。かなり広い駐車場がありましたが、停まっている車は2~3台で、それらの車も泊るような様子はないようです。ここにはトラックなどが入ってくることは先ずないでしょうから、今夜は静かな一夜を送れると思いますが、神社の森の脇にたった一台で過ごすのは、些か心細いというべきでしょうか。問題は家内の心のありよう次第です。ジサマの方には何の心配もありません。

 

近くにスーパーのような所があり、まだ営業中でしたので何か目ぼしいものはないかと入って見たのですが、かなり価格が高いので一寸買う気にはなれませんでした。店内にはダイエーホークスの応援歌が流れていました。そういえば、日本シリーズはどうなったのかなと思い出しました。殆どTVなど見ていませんので、世の中の動きがさっぱり分かりません。まあ、いいや、と車に戻り、一杯やってたちまち爆睡です。家内も静かさを心配するには至らず、安眠に恵まれた一夜だったようです。

 

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