山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

羽黒山のこと

2007-06-23 04:37:14 | くるま旅くらしの話

古来からの日本の宗教といえば、神道と仏教に2大別できるように思いますが、それでは修験道というのは神道なのかそれとも仏教なのか? このようなことにあまり惑わされずに、今まで生きて来たのですが、今回羽黒山を訪ねて、初めて疑問を感じました。単純に神道は神社、仏教はお寺というように分ければその違いは明らかだ、などと思っていたのですが、どうやらそのように簡単なことではなさそうです。

羽黒山は、奥州における修験道の道場の中心的な存在であることは知っていたつもりですが、一体その修験道というのはどんなものなのか、これについては実は神道の一部だと思っていたのです。吉野の大峰山を訪ねた時も、ここは神道の道場であり、神社なのだと思っていたのですが、雰囲気としてはどうもお寺の感じがするのです。それで調べてみましたら、修験道というのは、仏教なのでした。

役の小角(えんのおずの~この人は伝説の存在ですが、私にとっては、超魅力的な人物です)を祖と仰ぐ日本仏教の一派、と広辞苑には書いてありました。山岳仏教と呼ばれるもので、自然との一体化による即身成仏を重視する、とも書いてあります。なるほど、そうならば境内に鐘楼があっても、五重塔があっても何の不思議も無いわけです。

しかし、羽黒山には出羽三山神社という立派な建物がデンと構えておりますし、境内にはたくさんの神様を祭った社が建っています。これは一体どう考えればいいのか、頭の中がグジャグジャにこんがらかってしまって整理が出来ません。

羽黒山は、明治の神仏判然令にはどう対応したのでしょうか。そもそも宗教を神と仏に分けるというのは、無茶な話のように思いますが、国政が大声を上げ、旗を振ってこれを促進したのですから、もともと無宗教に近い大衆はその気になって排仏棄釈に勤しんだのでしょうが、往時羽黒山はどのような扱いだったかは、気になるところです。

少し理屈が長すぎました。羽黒山には以前国宝の五重の塔を見に行きたいという相棒の要請で、そこだけを訪ねたことがありましたが、山頂の出羽三山神社などへは参拝しませんでした。今回は時間もたっぷりあり、天気も上々でしたので、1日かけての参拝であってもいいと思っての訪問でした。参拝は、本来ならば麓から歩いて行くのが筋だと思いますが、そこは手抜きをして山頂まで続いているドライブウエイを利用させて貰いました。

有料道路に入る前に、月山ビジターセンターというのがあり、先ずはそこを訪ねたのですが、構内にある十数本のオオヤマザクラが満開で迎えてくれました。彼方に真っ白な月山の頂上付近の広がりを眺望することができます。とても良い所です。ビジターセンターの建物の中には、月山の動植物に関する資料や写真などが展示されており、四季を通じた月山の様子を知ることが出来ます。私の中では、月山は憧れの山の一つで、お花畑にあるという黒百合の群落を一度見てみたいと思っていました。黒百合は、香りの方は全くダメですが、姿かたちには凛としたものがあります。知人から聞いたその群落の話は、魅力的でした。実現せぬまま今日に至ってしまいましたが、果たしてこの後それらを見る機会が訪れるかどうか、半ば諦めの気持ちになっています。

近くの池には今を盛りの水芭蕉が咲いており、僅かな間しかない楚々とした佇まいを見ることができて最高でした。水芭蕉は観る期を逸するとそのイメージを損なうほどがっかりさせてくれる植物です。1時間ほどかけて付近を散策の後、いよいよ羽黒山への参拝です。

羽黒山頂までは僅かな距離ですが、駐車料込みの有料道路となっており、車社会ではお山を守るためには、不可欠な措置なのかもしれません。連休の最中とあってか、駐車場は大変な混み様で、ようやく空きを見つけて車を停めました。車の後ろの藪には、黒い残雪の塊が未だ融けきれずに残っていました。寒い所なのだと改めて思いました。羽黒山はたった415mの標高なのですが、北国にあるため、恐らく福岡で言えば宝満山(標高869mで、ここも修験道の山です)位の高さに匹敵するのではないかと思いました。登って来るのではなく、最初から下りながら山を見るというのは、何とも横着で腑に落ちない感じがするものです。

初めて見る出羽三山神社(三神合祭殿)は荘厳で迫力のあるものでした。真ん中に月山神社、その両脇に出羽神社と湯殿山神社が祀られています。自分としては羽黒山神社というのがあるものとばかり思っていましたが、そのような神社は無く、出羽神社なのでした。羽黒山というのは、まさに山そのものを指し、そこが修験道の道場であることを意味しているのだということにようやく気づいた次第です。

参拝の後、境内を散策しイヤシロ地の大気を胸いっぱいに呼吸しました。イヤシロ地というのは風水の世界でケガレ地に対応するイメージの世界だと理解していますが、その昔から人々の魂の浄化・安息を図ってくれる場所を指しているようです。その様な場所に神社・仏閣は建てられていると聞いています。羽黒山は、文句なしのイヤシロ地です。境内の大木の根元には、未だショウジョウバカマの花があちこちに咲いていました。心の癒されるいい時間でした。

境内にある歴史博物館にも寄りましたが、そこに展示されている資料や仏像などを見て、やっぱり修験道というのは仏教なのだと再確認をしました。日本人というのは、外国人から観ればかなりいい加減な宗教態度だと思われているという話を聞きますが、仮にそれが偶像崇拝であったにとても、平和裡に信教を調和させて取り入れる能力は、世界各地で血を流し、殺しあっている信仰のあり方よりは、むしろ優れているのではないかと思ったりしました。

羽黒山には、東北に住む人々のそして日本人の信仰心の全てが詰まっているような感じがしました。論理的に不可解な部分は幾つもありますが、それら全てを呑込んだ形の宗教があってもいいのかもしれません。ま、いずれにしましても信仰というのは神や仏よりも、一人一人の、信仰する側の問題なのだと思います。

今度羽黒山に参拝する時は、修験道の精神、大自然と一体になるということを思いながら、麓からじっくりと時間をかけて、歩いて登ってみたいと思います。

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