山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

モンスターペアレンツに思う

2011-01-20 01:03:12 | 宵宵妄話

 

今日から冬休みでゆっくり冬眠したいと思っていたのですが、今朝の新聞を読んでいたら、以下のような記事が目に入り、こりゃあどうしても一言・二言、言わなくちゃあなるまいと眠気が失せてしまいました。学校や先生にクレームばかりを捻じ込むいわゆるモンスターペアレンツに対して、先生が慰謝料を求めて家裁に提訴したという記事です。それが埼玉県の話だというので、一層気になり、とうとうここまで来てしまったのかと、今の世の救いのない有り様に、ちょっぴり眠るのを延ばしたという次第です。先ずは、その記事を紹介します。 

 

教諭が保護者提訴~慰謝料求め「苦情で不眠症に」(埼玉の市立小)

 

行田市内の市立小の女性教諭が担任する女児の親から再三嫌がらせをうけ、不眠症になったとして両親に慰謝料500万円を求める訴訟を埼玉地裁熊谷支部に起こしたことが分った。訴状などによると、昨年6月、女児はクラスの女児とトラブルになり、教諭が解決のためにクラス内で話し合いをしたところ、母親から「相手が悪いのに娘を謝らせようとした」と批難の電話があった。母親はその後、7月中旬まで計8回、連絡帳に「先生は人間関係を円滑にする能力も著しく劣る」「自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけている」などと書き込んだ、としている。  

また、県教委や人権擁護委員会、文部科学省にも、教諭を批難する文書を送ったり口頭で伝えたりしたという。 

市教委を仲介役に学校、教諭側と両親で話し合う場も設定しようとしたが、両親は拒否。9月には、給食の片づけを指導するため女性教師が女児の背中に2回触れたところ、両親は警察に暴行容疑で被害届を出したという。  

訴えでは、一連の苦情への対応で女性教諭は不眠症に陥ったと主張している。  

学校側は取材に「管理職不在で話せない」とするが、市教委の説明で「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表し訴訟を行なっていると受け止めている」との文書を提出したという。市教委は「裁判中なのでコメントできない」としている。  

女児の両親は「うちの子が女性教諭や友だちにいじめられているのに、学校にモンスターペアレントに仕立て上げられている。こちらが精神的なダメージを被っており、和解はあり得ない」と話している。(1月19日付 東京新聞25面記事)

 

 さてさて、くるま旅の人ならずとも皆様はこの記事を読んで、この国の未来に対してどう感じられるでしょうか? 親も親だし、先生も先生だ、と思われるでしょうか。それとも、立派な子ども思いの親だなあと感心されるでしょうか?或いは、酷い先生も居るものだと学校の対応に憤慨するでしょうか。はたまた良くぞ先生は頑張ったと、その勇気に拍手を送るでしょうか。そしてこのような事件では、どこでもそうですが、慎重な状況判断の管理者(校長・教頭)や市の教育長や教育委員会に対しては、それが当然の処置だと納得するでしょうか。そしてもう一度、この国の未来は一体どうなると思われるのでしょうか?

 このような問題については、どこに視点を置くかによって様々な理解の仕方があると思います。従って、安易にその是非や良否を判断するのは危険ともいえるわけで、先ずは事実を正確に把握することから開始しなければならず、これは大変に難しいことといえます。というのも、当事者間では既に事実の受け止め方や理解の仕方が食い違っており、その多くは水掛け論となりがちだからです。

私がこの記事に何故注目したのかといえば、現役最後の頃、私はご縁があって埼玉県のあるエリアの学校で教師の皆さんの前で何回か話をさせて頂いたことがあり、講演の後で教師の皆さんとの意見交換のような場を持ったことがあるからなのです。その時深刻に思ったのは、教師の皆さんの父兄に対する恐怖感とも思えるほどの気遣いでした。父兄からのクレームが来ることを何よりも恐れておられるようで、自信と信念を持った教師としての言動が大きく損なわれているように感じたのでした。もしかしたら、先生は子どもを見ているのではなく、その後ろに控えている親たちの厳しい目を見ながら仕事を果たしているのではないかと思ったくらいです。父兄と対峙するような出来事が起ころうものなら、管理者からは叱責を受け、教育委員会からはその非のみを責められるという構図が出来上がっているように感じたのを思い起こします。

今回の事件は、その延長線上にあるような気がしたのでした。教師と子どもの間の相互不信が、教師とその子の両親との不信に拡大し、それが爆発して訴訟問題にまで至ってしまったのです。このような不幸は、恐らく氷山の一角に過ぎず、埼玉県のみならず全国至る所の教育現場に内包されているように思います。このような問題は、今の世のみならず、過去の時代でも繰り返して起こっていたとも言えますが、それにしても教員の内の何万人もの人が精神的な安定を欠いて仕事を休んだり放棄したりしているという現実を見聞きすると、今の世における学校教育の危機を思わずにはいられない気持ちです。教育の危機は国の未来に対する危機でもあり、それは根本的には、今の世の矛盾や社会病理に起因するものであるといえるような気がするのです。

簡単に言えば、家庭教育と学校教育の不整合というか、PTAというものがあまり機能していないということなのかも知れません。子どもをどう育てるかということは、国にとっても大変重要な課題テーマですが、国が学校教育を通して子どもに教えていることと親たちが子どもをどう育てようとしているかがかけ離れていればいるほど、その矛盾は子どもの現在と将来に大きく影響してきます。今回の問題では、この中身がよく判りません。結果的には子ども本人を置き去りにして、先生と両親が火花を散らすということになってしまったということでしょう。真に悲しむべき不幸です。訴訟の結果どちらが勝っても負けても、笑顔などありえず、子どもの将来には小さな(或いは大きい)トラウマが残るだけでしょう。

私はこの問題は、教育委員会や管理者がもっと突っ込んで考えるべきではないかと思っています。裁判の成り行きを見てからという一面はあっても仕方ないと思いますが、そのような日和見的な取り組みではなく、子どもを国としてしっかり育ててゆくために、教師と子どもの親たちに、それぞれの立場で何を教えなければならないかの判断基準のようなものを明示し、教師のみならず子どもの親に対してもより強く指導すべきと考えます。管理者の方も身を乗り出して対処すべきです。訴えた側も、訴えられた側も頭に血が上ってしまう前に、その双方を管理すべき立場の人たちはもっと身を乗り出してPTAのあり方を考える必要があるのではないでしょうか。

 教育長や教育委員会は、学校の管理者にマネジメントの充実を求めたりされているようですが、マネジメントについて、もっともっと学び実践しなければならないのは、教育長や教育委員会のメンバー自身ではないかと思ったのでした。そしてモンスターペアレンツなどという怪物が決して現れないような世の中をつくって欲しいと思うのです。

(この問題については、まだまだ言いたいことはたくさんあるのですが、とりあえずここまでとすることにします)

 

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2 コメント

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将来が心配です。 (hoso)
2011-01-21 11:31:03
コメントご無沙汰しております。m(_ _)m

「親も親だし、先生も先生」、
そこまでこじれる前に、
収められなかったのかな~、
とも思いますが、

一部の先生の
能力の低下や、不祥事により、
親も子供も先生を信頼できないという、
悲しい時代になってきました。

マスコミの報道により、
疑心暗鬼になってしまった親が、
閉鎖的な教育の場から、
子供を守るために必死になるのも、
解りますし、

激昂した保護者の中には、
先生を辞めさせるまで引かない、
親が居る事も事実で、
司法の場を借りなければならない事情も、
理解できます。

教育の場に限らず、
いつからか日本は、
言った者勝ちの世の中となり、
相手との信頼を壊すことより、
自分の主張を通すことを、
大切に考える方が
増えたように思います。

相手の立場になって考えられる動物は、
人間だけのはずですが、
相手を思いやると言う考えは、
どこへ行ってしまったのでしょうか?。

日本の将来が心配です。
返信する
同感です (馬骨)
2011-01-21 23:18:57
コメントありがとうございました。この記事のような事件を見るたびに、個人主義というものの限界のようなものを感じて、世の中の未来がエゴで埋まってしまうのではないかと心配です。相手の立場担って考えることが出来る人が減らないことを願っています。
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