山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

人類は「旅」で地球を乗っ取った

2018-03-25 11:14:24 | くるま旅くらしの話

 昨年来ずっとこれからの旅のあり方を考えている。残り時間の少なくなった人生をどう生きるかの中で、自分たちのくるま旅くらしにかける比重は大きい。どのような旅をすれば悔いのない人生を終えることができるのか。そのような大げさなことを少しまともに考えて来たのである。

 最近の旅でずっと気になっていたのが、この日本という国は一体どのような国なのか。どのような歴史を刻んできたのか。子どもの頃からあれこれ学んできた知識はあるけど、その実際を確認するような意図が働いたことは少なく、旅をしていてもただ漠然と名所旧跡などを観光するだけだったのである。それが相棒(=家内)の影響もあって、神社仏閣や古民家、重要伝統的建物群保存地区、重要文化的景観、城郭・城址などを訪ね歩いている内に、だんだんとそれらを意識するようになった。それらを考えるようになって、そうだ、これからの旅ではこの日本という国の来し方を訪ねることをテーマとしようと思うようになった。

 旅というのは元々観光が原点となっていると聞く。観光というのは光を観ると書く。これを自分流に解釈すると、観光というのは、未知の世界にまばゆい光を当ててそれを観るということではないか。つまり既知・既住の世界ではない場所・対象に出向いて、そこに新しい発見と感動を見出した時、人はそれをまばゆい光の世界で受け止めるのではないか。一口に観光旅行というけど、その本質はそのような非日常の世界に、新たな感動を見出す、その期待に溢れた旅をそう呼ぶのであろう。

 そのように考えると、日本国の来し方を訪ねるというくるま旅も又観光旅行の一種となるに違いない。そう考えると、民俗学や考古学の学術・研究に携わる人たちの旅も、皆その本質は観光の旅ということになる。これをさらに敷衍(ふえん)して考えると、人は観光のために旅をしながら生きているのではないか。未知に対する新しい発見、感動を求めて、人々は様々な分野で旅をしながら生きているとも言えるような気がするのである。

 話がかなりオーバーとなっているが、そのような「この国の来し方を訪ねる」という旅のテーマを決定的にしたのは、昨年の秋、倉敷に住む知人宅をお邪魔した時に、知人に楯築遺跡という古墳というのか墳丘というのか、古墳時代に先駆けてのかなり規模の大きい遺跡を案内頂いて、そのあと古墳と墳丘墓についての講演を聴講したことだった。それまで古墳などというものに対しては表面的な関心を装うだけで、大した興味も覚えなかったのである。

 しかし、この遺跡の見学やら講演を聞いて気づいたのは、この国の来し方を訪ねると言うなら、古墳時代を置き去りにはできないはずだし、それよりももっと以前の弥生や縄文時代はどうだったのかについても、予めある程度の知識や自分なりの考え方のコンセプトを持っていなければならないのではないか、と思ったのである。

 それで、昨年末から古墳について書かれた何冊かの書を読み、古墳といえば前方後円墳くらいしか考えていなかったのが、それだけだはないというのを知り、更には古墳時代の前にある弥生時代というのは何なのか、更にはその前の縄文時代というのはどのような時代だったのか、そしてさらにその前の旧・新石器時代とはどうなのか。そしてついには、人類とはどこで発祥してどのように今日に至っているのか、等々とんでもない大掛かりな世界に迄目が向きそうになった。2ヶ月ほどかけて、古代や超古代の人類のあり様に関する何冊の本から得た知識として。幾つかを得ることができた。

 まだまだ人類の発祥の歴史の仮設の一部をほんの少し舐めたに過ぎないのだが、それによると人類の発祥はアフリカ大陸の中だったらしい。人類は、猿人→原人→旧人類→新人類というふうに進化したという。新人類に至ったのが約20万年前とのこと。これが今のヒトの祖先と考えると、アフリカで生まれた人類は、20万年を掛けて現在に至っているということになる。

一体どのようにして今日に至ったのかは興味深いテーマだが、どうやらそれは旅によるものらしい。といっても、アフリカから世界各国にちょっと旅するというようなものではなく、人々は20万年をかけて、後戻りをしない旅に出かけたのである。20万年前の地球がどのようなものだったのかは想像もつかないが、現在のような大陸の形が形成される前に、ヒトの祖先は皆歩いて新天地を求めて旅に出かけたのであろう。その最初はやはり観光の精神だったのではないか。既知の世界には無い新しい世界を求めて、何万年もかけて少しずつヒトの祖先は地球の大地を移動していったのであろう。

ところで、我が日本国の場合はどうなのか。凡そ1万5千年ほど前に(その当時は氷河期でまだ日本列島は大陸と地続きであったという)、この国の祖先は二手の方向、即ち南部方面と北部方面からやって来て、当時まだ半島だったこの地に住みつき、その後これらの人たちが混淆して和人(≒大和民族?)となり、縄文時代をつくってきたという。その後氷河期が終わり、融けた氷が海面を押し上げ、やがて日本列島が誕生したという。ここから日本固有の縄文時代が始まったわけである。一口に縄文時代というけど、石器から縄文土器にたどり着くまでには1万年以上もの時間がかかっているのだから、これは大変なことである。

弥生時代というのは、大陸からの稲作技術がもたらされたことによる一種の産業革命のようなもので、紀元5~6百年前の頃からというから、その始まりは中国大陸で孔子様が活躍された頃となる。縄文と比べれば極めて短い期間の新しい時代だったことが判る。それでも縄文と並べて取り上げられるのは、この時代が稲作という革新的な食料生産技術を獲得普及させたことで、縄文時代の狩猟・採取に依存する不安定な暮らしを大幅に改善・向上させ、安定的な食料を確保することができるようになったからであろう。

弥生時代の始まりを紀元前5~6百年と推定するならば、その終わりは紀元300年頃となるから、弥生時代というのは、およそ1千年足らずの期間だったということになる。日本国という国家体制が固まり始めたのは、古墳時代の後期頃からであろうから、それから現代までの歴史は、弥生時代の凡そ倍近くの長さとなっていることになる。

歴史というものを考える時、自分などは古墳時代より以前については、単純に弥生時代とか縄文時代と決めつけていたのだが、その長さについてはあまり念頭に入っていなかった。しかし、歴史というものを時間軸で見直してみると、縄文の圧倒的な長さ、そして僅か1千年足らずで国家体制までつくり上げた弥生時代、それから現代まで既に2千年近くが過ぎており、特にここ100年ほどの科学文明の進化は、目覚ましいというよりも行き過ぎの感じすらある。その科学文明を介して、今では単一国家や民族などの集まりを超えて、超スピードで暮らしの中の様々なものが世界化している感じがする。

このように人類の歴史を概観してみると、それらの動きの始まりが観光を求めての旅であったことに深い感慨を覚える。日本国の来し方については、さらに多くの情報を集めておく必要を痛感している。もう一度日本の歴史について書かれた本などを通読しなければならないと思っている。今までにも何回か読んでいるのだが、今回は改めて「旅」という視点から、時代がどのように変遷して行ったのかを捉えるようにしてみたい。

花粉まみれの季節の中で、この頃考え取り組んでいることである。取り敢えずの近況報告としたい。

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