山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

「こっちゃ来い」たちの恋の季節

2018-03-12 05:35:10 | 宵宵妄話

「こっちゃ来い」が鳴いている。「こっちゃ来い」は、守谷市の市の鳥である。本名をコジュケイという。漢字では小綬鶏と書く。ものの本によれば、この鳥は中国原産で、何時の時代か日本に持ち込まれ、それが野生化して今日に至っているとか。丁度チャボを一回り小さくしたくらいの大きさの鳥で、飛ぶのがあまり上手ではなさそうで、空を飛んでいるのを見たことが無い。守谷市が市の鳥に指定したのは、小綬鶏たちがあのカルガモの親子たちと同じように、雛鳥たちをひきつれて藪の中を歩いているのが愛らしく、親子仲良くというイメージからだという。小綬鶏たちの多くは、農家の屋敷林の中や取り残されている林の藪の中、それに川の土手の竹や篠の藪の中などでくらしているようだ。人間をかなり警戒しているようで、人から見られるような場所には滅多に顔を見せることはない。同じ仲間に雉がいるのだが、雉の方は人間を恐れる度合いが少なくて、畑などにも姿を見せているようである。守谷には雉も小綬鶏も結構多く住んでいるようで、この季節は鳥たちのノドの競演で結構賑やかとなる。

さて、「こっちゃ来い」の話である。この鳴き声を「ちょっと来い」と聞きとめている人も多いようようだ。だが自分的にはこの鳥は関西弁が似合うのではないかと勝手に思っている。何しろ鳴き出せばその引き攣った叫びは止まらず、誰が何と言っても「こっちゃ来い」なのだ。「ちょっと来い」は関東の標準語的な発声で少し冷たい感じがするのだが、「こっちゃ来い」の方が少し温かくて地力がある感じがするのだ。東西のご婦人が、大声で人を呼ぶ競争をしたととしたら、その迫力において西方の、とりわけて大阪のおばちゃんに叶う筈が無い。この鳥の鳴き声はそのおばちゃんを凌ぐほどのものなのだ。

守谷市の「こっちゃ来い」は、ほぼ一年中何処を通っても耳にすることができるのだが、この花粉が舞う季節になると一段と声量を増し、が鳴り立てる頻度も多くなりだす。恋の季節という奴らしい。しかも彼らの恋は全員が盲目的と言ってよい。周囲がどうであろうと、犬が近づこうと私という人間が傍にいようと、そのようなことには一切構っていられない、傍若無人となるのである。

今日は朝の歩きで小貝川のコースを2時間ほど歩いた。この間堤防の下方の狭い川原の竹と篠の藪の中で、集団になって「こっちゃ来い」が重唱というのか、斉唱というのか、リズムもメロディもハーモニーも一切無視してぶち壊しの大声をあげていた。それに呼応するかのように500mほど離れた田んぼの向こうの民家の屋敷林の中から負けじと「こっちゃ来い」とやり合っている鳴き声が聞こえてくる。空を見上げると何時の間に舞い上がったのか、雲雀がこれ又賑やかに訳の判らぬ囀り声をあげて天を目指して騒いでいる。ふと気がつくと、竹やぶの中にウグイスがいて、小さな声で「ホーホケキョ」と鳴いている。彼女たちも間もなく「こっちゃ来い」につられて、「ホー、コッチャコイなどと鳴くようになるのだ。

昨年の日経BP社の行った「住みよい街2017」の「シティブランドランキング」で、守谷市は東京武蔵野市と福岡大野城市と並んで、全国1位となったとか。守谷市が、武蔵野市や大野城市と比べて間違いなく優れているのを強調するとすれば、この鳥たちの鳴き声の豊かさを挙げることができるのではないかと思う。「こっちゃ来い」は少し鳴き方に品が無いけど、茨城県の県南の温かさを象徴しているような気がする。

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