山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第4日)

2015-01-24 05:24:40 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 

第4日:11月20日(土)

 <行程>

道の駅:サンエイト美都 →(R191・R9)→ シルクウエイにちはら→(R9他)→ 道の駅:津和野温泉なごみの里 →(R9)→ 山口市:瑠璃光寺 →(R9・R435・R316)→ 道の駅:おふく[泊] <155km>

  夜が明けて、明るくなるにつれて美都の湯元館の周囲の状況がハッキリしてきた。懐かしい山村の景観だ。ふと中越大地震の山古志村を思い出した。といっても山古志村に行ったことは無い。だけど、偶然にも地震が起こる前までは、近々行きたいと考えていた場所だったのだ。でも、今はあんなにひどい被災地になってしまうなんて。気の毒を通り越して慰めの言葉も無い。もしこの美都に、今、震度7を越えるような地震が発生したら、山古志村と同じようなことになるのか、と想っただけでもぞっとする。この平和な情景が一瞬の内に地獄と化すなんて、こんなに恐ろしいことは無い。山古志村の方たちの心情を想った。同時に地震などの災害の無い、この村が平和であることの、当たり前の大切さを再認識したのだった。人は、当たり前の平和をこそ、不平不満を言わないで存分に素直に享受すべきである。

9時半出発。途中日原という道の駅にちょっと立寄ったあと、津和野に向かう。津和野も何回か来たことはあるが、久しぶりだ。新しく道の駅も出来ているらしい。古都の雰囲気の漂うこの町は、今でも大勢の観光客で溢れているのだろうか。20年以上のブランクがあり、どうなっているのか楽しみもある。

着いて見た津和野の道の駅は、山口県寄りの郊外に造られていた。温泉施設も付帯しており、P泊向きだなと思った。しかし町の中心部からは少し離れているので不便な気もする。とにかく駐車場にSUN号を停めて、付近の様子を窺うと、ぶらりバスというのがあり、1日乗り降り自由で切符は300円とのこと。それを利用することにした。車で来てバスに乗るというのはあまり合理的でない気がするが、たまにはいいことなのかもしれない。バスを降りる所までは一緒だが、それから先はクニバアとは別行動とすることにし、13時過ぎにはSUN号に戻ることを決めて出発。

津和野は四方を山に囲まれた、亀井家4万石の城下町である。歴史読本にそのように書いてあったが、それ以上のことは何も知らない。町を行く多くの人の殆どが亀井家のことなど考えたことも無いのではないか。だから安心して観光が出来るのだと思う。でもタクジイの場合は、亀井家のことを疎かにするのは、少し罪悪感のようなものを感じている。町というのはその規模の大小を問わず為政者の姿勢が反映されて出来上がったのだと考えるからである。

バスを降りて1時間ばかり散策。表通りよりも裏通りの方に興味があるのはタクジイの悪い癖か。バス通りは歩く気がしない。津和野の場合はアーケードも何も無い剥き出しのバス通りなので、敬遠するのは当然である。バスの通っていない観光向きの道路にも表と裏がある。まずは表の方を外れまで歩き、次にその裏側をもう一方の端まで歩く。それが何時もの歩き方である。津和野の町は思っていたよりも狭くて、JRの駅から道の駅に向かう古い町並みは3kmにも満たない距離だった。往復2回ほど歩くことになった。20年以上も前に来た時よりも昔が少なくなっており、新しい昔が付加されたように感じた。城下町としては角館(秋田県)や秋月(福岡県)の方により以上の感興を覚える。この辺は人により様々な印象があることであろう。

造り酒屋には必ず立寄る。「初陣」という名の酒を造っている店で一升瓶の奴を2本仕入れた。重いけど我慢できるのが不思議だ。酒飲みのタクジイだけど、吟醸酒は敬遠する。米を半分近くも削るのが気に入らないし、口当たりが旨いだけで酔い覚めが悪いものが多い。酒は酔い覚めの良し悪しが問題なのだと、この頃特に思うようになった。酒の飲み方にも入口と出口がある。入口は良くても出口の悪いのは本物ではないのではないか。それで、酒は上撰・本醸造のレベルが一番と思っている。ぬる燗でゆっくり飲める奴がいい。(実は、あまりゆっくり飲んだことが無いのだが…) 脱線多謝。

酒を買ってしまうともう用は無いというのがタクジイの性分なのだ。直ぐに帰りたがる。我ながら困ったものだ。何しろ1升ビンが2本もあるので重い。4kgはある。これをぶら下げたまま歩くのは結構こたえる。ぶらりバスの停留所で時刻表を見たが20分以上も待ち時間がある。しょうがない、バスが来るタイミングが合うまで、停留所を先取りして歩くことにしようと、道の駅方向に向かって歩き始めた。

次の停留所は丁度いいタイミングかな?と期待しつつ、酒2本をぶら下げて歩いているうちに、何と道の駅が見える所まで来てしまった。こうなるとバスに乗るのがバカバカしくなって、もう通過するバスなどは見向きもせずSUN号まで歩いてしまった。片道切符でよかったものを、楽をしようと考えたのがそもそもの間違いだったと、空しい結果論を自分に浴びせ掛けた。バカモン!であった。それにしても4kgを持ちながら3kmも歩き続けるのはきつかった。

クニバアはまだ帰っていない。帰るのを待つのを止め、お湯を沸かしてお茶を淹れ一人で軽く昼食。やれやれ。やがてクニバアがバスで戻って来た。ぶらりバス運行の不満と歩き疲れの愚痴を、一くさり勝手に話しかけつつ一休みする。その後14時過ぎに津和野をおさらばする。

R9を1時間ほど走って15時過ぎ山口市郊外の瑠璃光寺を訪ねる。ここは室町時代の周防の実力者大内氏の菩提寺で、五重塔は国宝である。今回で3度目の来訪か。何時見ても美しい建造物である。晩秋の遅い午後の陽を浴びて、周囲に未だ残る紅葉の名残りを絡ませながら、五重塔は気高くそびえていた。また、池に映るその姿もカメラ愛好者にはたまらない被写体であろう。多くの人がカメラを向けていた。40分ほど散策、休憩して出発。

そろそろ泊りのことを考えなければならない。まずは秋吉台の方へ行ってみて、温泉などがあればそこに泊ってもいいし、ダメなら美祢市の外れの方にある「おふく」という名の道の駅に泊ることにして、瑠璃光寺を出発。R435に入って美祢市に向かう。途中、「みとう」という名の道の駅もあったが、ここに泊る気はなくパス。秋吉台も一見したかったが、早や暗くなりかけており、車の燃料も残量が僅かとなったので先を急ぐことにした。美祢市の入口で給油。そこから20分ほど走って道の駅:おふくに到着。ここには温泉もある。さっそく入浴の準備をして温泉に。温泉は悪くはなかったが、昨日の美都のほうが遥かに優れていると思った。

車に戻り、一杯やって就寝。寝たあと、度々騒音で眠りを妨げられた。ここはR316沿いにあるため交通量が多く、トラックも多く停車している。連中はエンジンを切らずに終夜騒音を撒き散らす。又、キャンピングカーも4台ほど泊っていたが、滅多に無い遠出なのか、子供も大人も夜遅くまではしゃいで騒ぎまくって、もう、「タイガイニセイヨー!」と叫びたくなるほどであった。もうここには二度と泊りたくないなと思った。

【コメント】

◆旅先での夫婦の観光などについての考え方ですが、私どもの場合は基本的には別々に好きなように時間を使うことにしています。元々長旅の場合は、否応なしにいつも二人顔合わせの時間を強制されざるを得ないわけであり、時々は夫々が自分の好きなように時間を使うことがあってしかるべきと思っています。

勿論一緒に訪問や見学をすることがあっても何の異存もないのですが、100%いつもベッタリコンというのは、疑問を感じます。どちらか一方が相手に寄りかかり過ぎるというのは、主体性を失うということであり、余り健康的ではないという感じがするのです。夫婦といえども元々は別々の主体的な個人であり、自分を失わないということが大切だと考えています。(少し難しげな話となりましたが、別々の時間を持つことによって、夫々が新鮮な自分を作れるような気がします)

◆宿泊場所の選定についてですが、この日の泊り方はあまりにも不用意で、当然の報いを受けたのではないかと思います。道の駅に泊まるような場合は、トラックヤードが設けられているような場所なら助かりますが、そうでないケースが多いので、やむを得ず泊る場合には、駐車場全体のレイアウトなどを確認し、トラックなどが入ってきたり仮眠で駐車したりする可能性の最も少ない場所を選ぶように留意することが大切です。この日の「おふく」の道の駅の場合は、最初からもう少し離れた場所を選んで泊るべきでした。

 

コメント
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