山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(はじめに)

2015-01-17 00:01:38 | くるま旅くらしの話

初めに

この記録は、今から10年ほど前に九州・山陰エリアを旅した時のものです。一部記録の誤りを訂正し、漫遊紀行としてリライトしたものです。それだけでは面白くないと考え、これからくるま旅を本格化されようとされている方に、少しは参考になるかと、「10年後の現在の目線」でのコメントを、必要に応じて付加してみました。コメントは青色の字で記しています。なお、登場される人物の皆さんは、全て仮名で記しています。

 

<旅の概要>

・旅くらし人:タクジイ&クニバア

・旅くらし車:SUN号

・期間:2004.11.17 ~ 2004.12.16 

・宿泊日数:29泊30日     

・総走行距離:<4,970km>  

 

旅に出る前に

   2004年、10月末をもって現役を完全引退した。待って、待ち続けた定年という奴がようやく手に入った。定(停)年ということばは、考えてみればおかしな表現だ。長期雇用契約が終了したという意味なのだろうが、漢字のイメージからは、もうそこで人間としての動きが止まってしまう、つまりこれ以上は活動停止の年ということだから、あの世への旅立ちのようで、あまりいい感じはしない。きっぱりと過去(=今までの仕事中心のくらし)と決別をし、新たに自分の時間を、自分自身が王様となって支配して行くという意味での、せめて「帝年」とでも書いてもらいたい。これからは自分が王様なのである。

 とにかく、今それが手に入って、しばらくはワクワクした気分だったのだが、考えていたことをいきなり行動に移せるわけでもなく、あっという間に1週間が過ぎ、10日が過ぎて、ワクワクの実感は薄れてゆくばかりで、何だか毎日何もせずに無駄暮らしをしているような気分になってきた。待てよ、こんなはずではなかったぞ?と不安になって来た。ホームページを立ち上げようなどと一応は取り組んで、それらしきものを作ってはみたが、よく考えれば掲載する材料があまりにもプアーである。よって、ますますワクワクはアレレレとなって行った次第。

 このような不安状態から脱却するためには、何と言ってもこれからの目標である「くるま旅くらし」を実践するしかない。そう思って、11月の14日から九州方面へぶらり旅くらしに出掛けようと考えていた。が、たちまちその出鼻を挫かれたのだった。でこぼこコンビの相棒である家内(=クニバア)が、出発予定日の数日前になって突然の腰痛に見舞われ、寝たり起きたりの半病人となってしまったのである。このような時に、普通の夫というものは、妻に対して労わり、同情するものなのであろうが、自分(=タクジイ)の場合は本気で(半分くらい)怒っている。この種のドジは許しがたいのだ。なぜなら、度々腰痛に見舞われ、その原因も体重超過と筋肉の不鍛錬によるものというのが解っているのに、何の努力もしないままに、又また同じことを繰り返して起こしているからだ。しかもこの大事な(?)ときに。

 いっそ取りやめようかと思ったのだが、本人は意外としつこくて、九州へはどうしても出掛けたいらしいのである。何しろ彼女にとっては18年ぶりの九州行であり、福岡にある我が家の状況確認や知り合いを訪ねたいという楽しみもあるのであろう。それで、相当に痛い筈なのにどうしても行くという。「旅をしながら治すから」などと言っている。それほど言うのなら、ま、何とかなるか、と安易な妥協心が揺れ動いて、やっぱり行くことにした。それでも少し大事をとって、3日ばかり遅れた出発と相成った次第である。

 九州には福岡に7年間(1979~1986)住んでいて、持ち家(マンションだけど)もそのまま貸家として置いてある。我々家族にとっては、福岡は第二のふるさとのような所である。自分はつい先日まで(完全引退の前まで)、福岡での仕事をやらせて頂いていた。子供たちも、長男は小学校から高校1年まで、二男は小学校から中学2年まで暮していたので、彼らにとっては、福岡が故郷そのものとなっているようだ。だからもっと頻繁に訪れてもよい場所なのだが、関東からは何しろ遠くて、お金もかかる。結局、仕事とは無縁の相棒だけが、18年前の引越し以降一度も里帰りをしていない、ということになっていた。それで今回はその里帰りを含めて、九州の東半分を主力に、宮崎県の鵜戸神宮辺りまで行って引き返すという案を決めていた。途中せっかくの久々のチャンスなので、湯布院にある元勤務先保有の保養所にも1泊させて頂き、まだ現役でがんばっている管理人の井口さんご夫妻の顔も拝したいと考え、関係者の方々に我がままをお願いした次第である。本当はもっとゆっくりしたいのだが、年末にはどうしてもやらなければならないことがあり、12月の15日頃までには帰宅しなければならない。

出発前に大ざっぱに決めているのは、この他にとりあえず往路は東名、名神、中国、舞鶴道で福知山まで行き、そこからはR9などの山陰地方の一般道を使って九州へ向かうということだけである。例によって宿泊先などは一切未定である。出たとこ勝負で行くだけだ。

 山陰の方は、先日の大雨で豊岡市の大洪水があり、今頃どこまで回復しているのだろうか、あの辺りを通るのは不謹慎ではないか、などという気持ちもどこかにある。11月も半ば過ぎとなるので、大山や出雲大社の辺りは、もう相当に寒いのではないか、などと思いを巡らしている。津和野や萩などにも寄ってみたい。こんな按配だと、九州に入るのがかなり遅くなってしまうのかもしれない。いずれにしても毎日が思いつきの連続となるだろうから、もしかしたら考えていることの殆どが実現しないかもしれない。何を考えているのかって? それは秘密。というより自分でもよく分らないのだ。ある種の夢というか、願望というか、気まぐれというか、期待というのか、特別の楽しみが旅の前にはある。

クニバアのドジで出端を挫かれたのだが、そのおかげで出発前の準備の時間はたっぷりあり、用意万端整った。タイヤも冬用のスタッドレスに替え、オイル交換も済ませた。バッテリーの充電もガスの充填もOKである。水も今回は新しいペットボトルを12本買い込んだ。食糧、衣料品、その他の携行品の積み込みも済んで、さあ出発となる。時に11月17日午前10時である。

【コメント】

 まえがきについては、特にコメントすることはありません。いつもの長ったらしい能書きを、我慢しながらお読み頂ければありがたく思います。ま、リタイア後間もない方ならば、一時味わう複雑な心境を、タクジイも同じように味わって来ているということをお汲み頂ければ幸甚です。複雑な気持ちを抱いて悩む時には、それを超えるためのしっかりした目標を持つということが大事だと思っています。そしてその目標に向かっての行動の継続が重要です。タクジイは、そのようにして今まで生きてきましたし、これからもそのつもりです。

コメント
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