山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

甲信越ちょっと旅:第3日

2009-06-21 04:06:09 | くるま旅くらしの話

第3日 <6月13日()

道の駅:信州蔦木宿 → (R20)→ 富士見パノラマスキー場・駐車場(富士見町) (泊)      <11km

昨夜は思ったより静かだった。この道の駅はトラックの出入りや宿泊が多い。以前は夜間にエンジンを掛けっぱなしの車が多かったのだが、ここも不景気の所為なのか静かだった。朝は、雲が多いけど雨降りに心配はなさそうで、まあまあの天気のようだった。外に出てみると、数台のキャンカーが停まっていた。中に同じキャンカークラブのKさんやHさん、Iさんなども居られて、しばらく歓談する。キャンカーが多いのは、ここばかりではなく昨夜の中央高速道双葉SAもそうだったということで、我々のクラブだけではなく、AC(オートキャンパー)誌主催の大会が同じ富士見町の別の会場で行なわれるそうで、そちらには全国から150台ものキャンカーが参加するという話である。我々の方は30台ほどであろうから、その5倍の台数といえば、これはもう壮観というべきであろう。TACOSの集まりは、諏訪の方向に向ってR20の左側にある富士パノラマスキー場であるけど、AC誌の方は右側にある富士見高原のスキー場ということらしい。最近はあまりAC誌を読んでいないので、その情報は知らなかった。そういえば、今度発売される号には、先日の御所での大会の記事が掲載されるに違いない。間もなく発売になるので、手に入れなければと思ったりした。

食事の後しばらく休んで、9時過ぎに会場に向って出発。同じ仲間のHさんも一緒である。10分ほどで到着。富士見パノラマスキー場というのは初めて来る場所である。このようなイベントでもない限り、スキー場を訪れることは無い。何故なら、自分は全くのスキーオンチだからである。スキーだけではなく、スケートも水泳も、水に関わるスポーツや遊びは全くダメな人間なのである。辛うじて水の中に放り出されても浮くことだけは出来る。泳げないのに、潜って海底の獲物などを探すのが好きで、これだけが水との関わりの中で唯一の救いである。但し、水を飲むということに関しては結構うるさいことを自認している。ま、どうでもいいことなのだが、久しぶりのスキー場への来訪であった。

このスキー場は、入笠山の麓にあって、想像以上に来訪者が多いのに驚いた。入笠山(にゅうかさやま)は、ここへ来て初めて知ったのだが、この辺では人気大の山らしい。1,955Mの頂上からの展望が素晴らしいとか。また頂上近くまでゴンドラが敷設されており、これを使って自転車(マウンテンバイク)で上まで行き走り下るという、何というスポーツなのか、それができるというので、若者たちに人気がある場所でもあるらしい。スキーシーズンでもないのに、大勢の人たちが来訪して活気に溢れていることに驚かされたのだった。

会場はスキー場の広大な駐車場の一角ということで、着いてみると副会長のMさんとメンバーのHrさんだけが先着で我々を迎えてくれた。早速指示に従って車を停める。何しろ広いので、大らかな駐車の仕方でも大丈夫である。明日までの定住()の準備をした後、付近の状況を確認しようと少し散策する。山裾なので、駐車場は何段かに別れて造られており、我々の位置は下方だった。トイレや水場を確認する。少し遠いけれどその分良い運動になって好都合でもある。運動のために通常の道の駅などでもわざわざ遠い場所に駐車するように心がけているので、遠いのは気にならない。要するに水場やトイレがありさえすれば、もうそれだけで十分という考えなのである。それにしても大勢の人たちである。若い世代は自転車を組み立てている人が多く、年配の世代は登山のスタイルが殆どである。スキー場というのは、北海道の夏では無人化されているような場所が多いのだが、ここはそのような常識とは無関係な場所らしい。やっぱり無人の場所というのは落ち着かないものがあり、このような活気を呈している場所が安心だなと思った。

お昼近くなっても意外とメンバーの集まりが遅い感じがして少し気になった。冷蔵庫のことが気になり、空いている時間Mさんに見て頂いたら、どうやらガスの火口にゴミなどが付着していて炎が小さくなっており、それが着火の不具合の要因らしいということがわかった。しかし、それをどうクリアするのかが解らない。以前も不調のことがあり、掃除をしっかりやるようにアドバイスを受けたのだが、どう掃除したらいいのかがよく解らないのだから、我ながら処置無しである。我が身の無知さ加減に呆れながらも、販売店やメーカーはアフターサービスやメンテナンスに関してあまりにも無神経なのではないかとも思った。購入時には、操作等の取扱いマニュアルは辛うじて作られているけど、故障やメンテナンスなどのアフターケアに関しては、殆ど書かれてはおらず、トラブルが発生した時には、一々購入先などに問い合わせなければ何も出来ないというのは、少々時代遅れの対応ではないかと思うのだが、中小企業のレベルではそのような言い分は、聞くのはとても無理ということなのであろうか。淋しい思いがする。

   

会場風景。一般車の向こう側のキャンピングカーの集まりがTACOSの会場。

夕刻までは特にすることも無いので、先ずは昼寝をすることにした。今日の集まりのメインイベントは、夕刻の一品持ち寄りのパーティである。その外に子供たちを対象とした大カルタ大会などが計画されているけど、我々の場合は、孫なしなので参加する気分にはなれない。オークションなどもあるようだけど、それは邦子どのに任せておけば良い。というわけでその後夕刻近くまで惰眠を貪った。この間、邦子どのはカルタ大会やオークションなどで結構楽しんでいたようである。

   

一品持ち寄り会場。中央のテントにご馳走をおき、それを囲んで各自がテーブルと椅子を持ち寄って、夜のひと時を楽しむ。

17時を過ぎて、いよいよ会のメインイベントが始まる。一品持ち寄りの料理を夫々が所定テーブルに供出し、後ほど各自がそれらを自分のテーブルに持って来て頂くというやり方で、この種の集まりの定番といって良い。我が家では、邦子どのが下仁田で買ったこんにゃく玉の煮付けやキャラブキなどを供出した。子どもたちには人気の無い代物だと思うが、酒飲みには向いているはず。キャンカーが30台くらいで、100人近いメンバーの集まりなので、かなりの規模になる。我が家では、1品の他にも、長らくのご無沙汰を免じて貰うべく缶ビールを1箱提供させて頂いた。

   

いよいよパーティ開始。会長の挨拶から始まり、新規参加者の紹介へと続き、その後は自由歓談となる。

間もなくイベントが開始され、新しい参加者等の紹介があった。いつの間にか我々も古手になり、見渡せば顔も名前も知らない方が殆どなってきている。たった7年ほどしか時間が経っていないのだが、その変化はとてつもなく大きいような感じがした。時代の流れというのは、本人の意識とは別のスピードを持っているなと思った。

その後のことは途中までは覚えていたのだが、アルコールが入り、特に「明るい農村」などというラベルの焼酎などがあって、それが気に入り調子に乗って飲みすぎてしまい、デジカメを落として壊したところまでで、その後は良く覚えていない。このごろは真にだらしなく、しまりの無い酒飲みに成り下がってしまった。参加メンバーの中に俳優の山谷初男さんがいて、隣合わせで歓談していたのだが、お話の中ではアルコールは只今飲まないことにしておられるとか。飲むと自分と同じような症状となり、危険だからということだった。そろそろ自分にもそのような自戒行動が必要なのかも知れないと、これは翌日の反省である。

私は酒席で動き回るのが嫌で、現役時代からよほど特別な状況でない限り、一度坐ったらトイレ以外は行かない主義である。一々酒を注いで回るなど真っ平ごめんだと思っている人間なので、このようなパーティでも、もし邦子どのがいなかったら、一品持ち寄りの食べ物も一度きりしか取りに行かず、酒だけを飲むということになりかねない人間である。とにかくアルコールが入ると動くのが嫌なので、酒は飛びっきり好きなのだが、宴会やパーティは苦手なのである。3、4人でじっくり話しながら飲むのが、正しい酒の飲み方だと思っている。真に我ながら困った愚かな人間だと思っている。しかし、この考えというか、性格はあの世に行っても変わらないのではないかと思う。

というわけでこの夜も動かず、皆さんの活動を観察しながら結局は飲みすぎて、我を忘れて寝床にもぐりこむといった状況でした。

   

山谷さん(ハッポンさん)(右)と筆者。顔が良く判らないのがいい。

   

山谷さんとの記念写真。女性右が相棒なる邦子どの。左はI夫人。右手前にある明るい農村という焼酎の一升瓶が曲者だった。

コメント
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