山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

書くことの意義

2009-06-29 04:57:27 | 宵宵妄話

ちょっと旅の長い掲載を終えて、一息ついたところです。今日は、書くことについて、今思っていることを少しばかり記すことにします。

毎日書き続けることは結構しんどいのですが、去年の一年間と比べれば大したことはありません。去年は1日5千字以上書くのが必須の日課でした。ブログ掲載の有る無しに拘らず、1日5千字が目標でした。年間では182万5千字以上書いたことになります。一見多そうですが、プロの作家のならこの倍以上は書かれているのではないかと思います。

 何故このようなことをするのかといえば、思ったことを自在に書くための訓練を自分に課してみようと考えたからなのです。元々仕事もいわゆる事務屋でしたから、書くことは仕事の基本でしたが、これがいけませんでした。実にビジネス文書というものは、自分の個性を消失させるものかと、それは今でも後遺症として多分に残っており、反省しきりなのです。

ビジネス文書というのは、先ずは形式のようなものがあり、それを踏まえてビジネスの意思を伝えるということになりますので、油断も隙も見せない文語(もんご)となってしまいます。どこかに自分という書き手を隠すという意図が秘められているのです。表に出すのは自分ではなく、会社であり組織であるからです。当方(=自分ではなく組織であり、会社である)の意思を、礼儀を失せず、且つ簡潔にして、如何にうまく、正確に相手に伝えるか、というようなことばかり考えていると、どうしてもコチコチの計算された文章となってしまうのです。これはビジネス社会の文書としては、ある意味で必要不可欠の要件なのですが、普通の人が自由に生きている社会では、そのような計算された文章など埒外(らちがい)の話であり、親近感などとは無関係の特別扱いとなってしまうのは当然かも知れません。

 ま、そのような習癖というか、職業病から逃れるためには、何でもいいから好き勝手なことを自由に書きなぐってみることが必要なのではないかと思ったのでした。それで1年間ほど無茶な訓練を続けたのでした。とにかく旅に出かけていないときには、手当たり次第にテーマを見つけて、思いつくままにいろいろなことを書き綴ってみたのでした。

 ものを書くというのは、自分の気持ちを書く、自分の考えを表現するということですから、その基本は何でも正直にことばに表わせば良いということになります。テーマが決まればそれにまつわる自分の体験や思いなどを絡ませて自分の気持ちを披瀝しているうちに、何となく言いたいことの結論のようなものが見えてきて、収まるようになるということが解ってきました。

 年間100万字以上書いていれば、自然とそのようなスタイルが身についてくるような気がしました、しかし、書くというのは読まれるということを前提としているわけですから、ただ書いていれば良いというわけには行きません。つまり、読み手のことを意識した書き方が大切となってきます。ここで気がついたのは、我が文章のくどさということです。解り易くしようと説明をたくさん加えれば加えるほど、却って読み手には解り難くなるということがハッキリしてきました。必要最小限のことばで最大の成果が期待できる伝わり方を工夫することが肝要であり、そしてやがては、工夫などしなくても自分の書き方のスタイルとして、自然とそれが身についている必要があることに、今頃ようやく気づいたところです。まだまだ前途多難です。

 ここで、ちょっぴり夢の話です。実は私は密かに小説のようなものを書いてみたいと思っています。その対象は同世代もしくは先輩世代と考えています。いわゆる高齢者と言われ、簡単に言えば老人という世代です。若い人たちの世界に向って何かを発信するという考えは殆どありません。化石が情報化の真っ只中にさ迷っている若者に何かを発信しても、それが届くとは考えていないからです。

 我々の先輩を含めた同世代のこれからは、今までかつて経験したことのない高齢化社会であり、老人生活の時代だと思っています。家族が崩壊し、心を失う病などが溢れてきている世の中は、今までにはなかった恐るべき新世界のような気がしてなりません。生き過ぎというような言い方は不謹慎なのかも知れませんが、生きているということの意味や価値が、死という終焉よりも軽く、薄く受け止められるようになったとしたら、それはあながち不謹慎とは言えないような気がするのです。今、少しずつそのような考え方が増えつつあるような気がしています。

 私は自分を含めた同時代の人たちが、死ぬ直前まで、自分が生きていることの価値をしっかり確認できる生き方(=本当に生きてきてよかったと実感できる生き方)をしたいものだと願っています。私がくるま旅くらしをするのも、提唱するのも、そのための大切な手段だと考えるからです。

 何だか少し話が脱線しかかって来ているようです。同世代の人たちに、仲間世代に向って何が言えるのか、まだまだはっきりしているわけではありませんが、書くこと通して、何かが見えてきているような気がしています。今年の書くことへの取り組みは、ただ徒(いたず)に書きまくるばかりでなはく、少しずつ量から質への転換を図ってゆかなければならないなと思っています。

旅の記録の掲載が一つ終って、今日は、目くらましのような見当違いの話となりました。

   

私の仕事場の様子。これは机の上の乱れたありさま。直ぐ後ろが書棚で、椅子を回すと360度何でも必要と思われるモノに手が届く狭さ。天国ではあるけど、時には焦燥の苦しみを味わう場でもある。暗いのは夜の所為ばかりではなさそう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする