山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

甲信越ちょっと旅:第7日

2009-06-27 04:03:28 | くるま旅くらしの話

第7日 <6月17日()

道の駅:白沢 → (R120)→ 丸沼高原ロープウエイ乗り場駐車場(片品村) → (R120) → 菅沼脇駐車場(片品村) → (R120・金精峠トンネル) → 戦場ヶ原・三本松駐車場(日光市) → (R120) → 龍頭の滝(日光市) → (R120) → 立木観音脇駐車場 → (R120・いろは坂・R119) → 日光市内・杉並木公園 →(R119R461)→ スーパー・ベイシア(日光市) → (R461R4・県道) → 与一温泉ホテル(大田原市) →(県道・R293) → 道の駅:きつれがわ(さくら市)→(R293・県道)→ 道の駅:はが(芳賀町)(泊)   <171km

旅も今日が実質最後の日となる。今日は尾瀬の脇を通って、丸沼高原から日光白根山の隣にある金精山の脇の金精峠を越えて中禅寺湖に至り、その後は大田原市の郊外にある、「与一温泉ホテル」という、これも温泉博士掲載の場所であるけど、これに入ってそのあと喜連川を経由して芳賀の道の駅に泊まる予定でいる。

昨夜あまりに降り過ぎたのか、さすがに雨は止んで、雲は多いけど何となく晴れてくる予感がする朝だった。近くには一夜を過した旅車が何台かあった。山口県から来られたご夫婦は、全国の名山を登られているとか。北九州から来た人は、唯一つ大間からのフェリーは大丈夫かという質問だけをして、まあ代わりの会社が運営しているから大丈夫でしょうと答えると、そのまま自分の車に戻ってしまった。世のかなにはいろいろな人がいる。波長の合わない人とは会話も成り立たない。面白いなあと思った。出発の準備が終ったのは9時少し前だった。一路金精峠を目指す。

白沢の道の駅には何度もお世話になっているが、そこから先日光まで行くのはこれが二回目である。何しろとんだ山道なので、なかなかその気にはなれない。金精峠は標高が2,000m近くもあるのである。実はまだ尾瀬に行ったこともない。邦子どのは高校時代にクラブの旅行で来たことがあるらしい。自分は青春時代の山といえば、奥多摩と秩父と南アルプスばかりで、高原や湿原といえば霧ケ峰や美ヶ原ばかりだった。今ならその気になればいつでも行けるのだと思うけど、なかなかその気になるチャンスが無い。それは富士山登山も同じである。とにかく今日は、関東の奥地に向うことになる。

しばらく走って坂を登り、下って老神温泉の側を通過する。その少し先に吹き割りの滝がある。尾瀬の方から流れてくる片品川の抉(えぐ)った渓谷にある滝で、東洋のナイアガラなどと呼ばれている。まあ、随分とオーバーな呼び方をしたものだ。以前一度行って見たけど、それなりの迫力はあったが、まさかナイアガラだなんて、ましてや東洋などというのは恥ずかしすぎる話であろう。中国には行ったことがないけど、この程度の滝など幾らでもあるのではないか。ナイアガラを見たことがない人が、自己中心的に発想するとこのようなことになる。落語・お笑いの世界だなと思った。この滝見物には不愉快な思い出がある。それは、見物のための駐車場が、全てといっていいほど土産物屋などで占められているということだ。土産を買えば無料などと書いている所もあった。あまりにも滝に依存して見物者の懐を狙いすぎるのではないか。公共の駐車場がどこにあるのかもはっきりしない。今回も寄って見ようかなと思ったのだが、やっぱり以前と同じような雰囲気なので、パスすることにした。

しばらく走ると、尾瀬に行く道と別れることになる。尾瀬は左側の道を行って、どこか車をプールしておく駐車場に入り、そこから歩くということになるのであろう。自分の心の中では、依然として霧ケ峰のイメージの方が強いので、まだ尾瀬を訪ねる気にはなれない。尾瀬は「夏の思い出」という歌がとりわけて有名化するに貢献しているように思う。あの唄は尾瀬を実力以上に憧れの地に仕立て上げている感じがする。しかし、批判する気持ちはない。尾瀬が少し可哀想と思うだけである。

次第に急な登りになってゆく坂道をしばらく走ると、山の中に別荘地のような場所が出現する。丸沼高原スキー場である。坂道続きを1時間近く走って、車もシンドそうなので、少し休むことにして、ロープウエイの下の駐車場に車を停める。もうこの辺りは1,500mを越えているのだろうか。かなり涼しい。ロープウエイ乗り場まで歩いてみた。案内板に「只今シラネアオイ開花中」とあった。シラネアオイは憧れの花である。確か日光白根山が最初に発見された場所ではなかったか。是非行って見てみたいなと思った。今回は何の準備もしておらず、思いつきで行くのは無謀で危険なので思いとどまった。ロープウエイでかなり近くまで行けるらしい。何としても一度は訪ねなければと、思いを新たにしたのだった。

再び車に戻って出発。金精峠の手前に菅沼という小さな湖があり、ここでちょっと止まって写真などを撮る。良い天気で、春ゼミなのかヒグラシのだみ声のような鳴き声が山の中から伝わってきた。その後は金精峠の下のトンネル潜って、そこから出ると栃木県の日光市である。日光市は平成の合併で日本有数の面積を持つ市となった。飛騨の高山市には及ばないけど、行政単位としてはその広さは3本の指に数えられるのではないか。何しろトンネルを抜ければもう日光市内なのである。男体山が際立って見えて、やがて下るにつれて光る中禅寺湖も見えてきた。大きな景色である。

   

金精峠を越えて下る坂からの景観。正面は男体山、湖は中中禅寺湖。

坂を下りてしばらく走って、平らになったところが戦場ヶ原である。ここで少し休憩を取る。戦場ヶ原の湿原には様々な植物が見られるのだろうが、今の時期ニッコウキスゲなどはまだ蕾(つぼみ)にもなっていないようだ。歩くのは止め、写真などを撮った後、再び下って、竜頭の滝を覗く。左右二つの川からの流れが小さな滝となって合流している。竜頭という名称は、滝の形ではなくここに竜頭観音が祀られていたところから名付けられたらしい。そのようなことが案内板に書かれていた。竜頭(りゅうず)というようなものに変身する観音様も居られるのかと、珍しさを感じたのだった。ここには大勢の観光客が押し寄せていて、駐車場も満杯近かった。写真を撮った後は、中禅寺湖湖畔をしばらく走って、華厳の滝の上の方にある立木観音の傍の駐車場に車を入れ、しばし中禅寺湖の景観を味わう。男体山は半分以上が雲に隠れていて、時々頂上が見えそうになるのだけど、もう少しという所で又見えなくなってしまう。晴れの天気だけど、なお山の上の方は不安定な天候なのだろう。湖面を走る遊覧船などを眺めながらしばらく時間を過ごす。中禅寺湖というのは、周囲が25kmにも及ぶ大きな湖で、水面の標高が1,269mもあるというから驚く。筑波山の山頂よりも400m近くも高いのだ。男体山の火山爆発で出来た堰止(せきとめ)湖ということだが、その時代は地獄絵図そのものであったに違いない。いまは穏やかにその男体山を映す鏡となっている。

11時半、出発して本格的な下山に入る。華厳の滝見物はパスして、いろは坂を下り続ける。まあ、よくもこのような道を作ったものよ、という感じである。20分ほどかかって下りを終え、日光東照宮を脇に見ながら市街を通過する。下界は雨だった。東照宮は一昨年だったか来訪しており、パスしても未練はない。日光から代わったR119を少し走ると、日光杉並木があった。しばらく杉並木に沿って走っていると、公園の駐車場があったので、車を停めしばらく杉並木の中の道を歩くことにした。先ほどまで降っていた雨も上がって、歩くには好都合だった。

日光杉並木は有名だが、実はまだ一度もその中を歩いたことがない。いつもバスや車の中で見るだけで、確かに杉の巨木だというのは判るけど、傍に行って実感することはなかった。実際にそこを歩いてみると、実に清々しく、人間などというものは、これらの植物たちの力によって生かされているというのが良くわかるように思った。家康公の墓参というか、神になった人の参詣道に杉を植えるという発想は、どなたが気づかれたのか知らないけど、東照宮というお宮以上に、今の世にその力を伝えているように思う。この文化遺産は自然遺産でもあり、大切に保存されなければならないなと思った。

   

日光杉並木の景観。鬱蒼と繁る大木の醸す空気は、人が安心して生きられることを立証しているかのようだった。

杉並木から別れて、大田原に向う道に入ってしばらく行くと大型スーパー店があったので、ここで昼食休憩とすることにした。今頃は郊外に広い駐車場を持つスーパーが続々と造られており、我々も時々休憩地としても利用させて頂いている。ちょっと買い物をと中に入ったら、書籍売り場があり、そこにAC誌が置いてあった。早速購入する。先日の御所の記事が乗っていたけど、邦子どのの期待する写真などは気づかなかった。ところが、後になって邦子どのが二人とも載っているのを見つけ出したのだった。虫眼鏡で見るとそれらしき人物が写っていた。それにしても、いやあ、邦子どのの執念のようなものには恐れ入りました。コロッケなどを食べていると、一発雷が鳴って再び雨が降り出した。どうやら下界の方の天気は不機嫌らしい。早々に食事を済ませて出発する。

雨の中、R461を矢板に向って走り、R4に出て直ぐ右折して県道に入り、大田原市の佐久山という所にある与一温泉ホテルというのを目指す。R4を曲がって県道に入った頃から猛烈な雨となった。昨日の白沢での豪雨にも引けをとらない酷さである。あっという間に側溝から溢れた水が、道路の半分を占領して流れるといった状態である。温泉まで無事辿り着けるのかと、早くも邦子どのは大げさな心配を口にしていた。まさか水に沈むこともなかろうと、とにかく道を間違えないように、安全運転を心がけ前進する。その雨の中を20分ほど走り続けて、温泉に辿り着く。樹木に囲まれた静かな雰囲気の宿だった。ホテルと名付けられているように、和風ではなく洋風の建物だった。とにかく猛烈な雨なので、しばらく待って小康状態となってから温泉に出向く。

なかなか良い湯だった。100%掛け流しの五つ星の温泉で、「源泉湯宿を守る会」というのの会員だとか。45.5℃の源泉が毎分330Lも湧出しているという。浴槽は内湯も露天も皆源泉掛け流しというから、温泉好きの人にはたちまちお気に入りの湯となるに違いない。泉質はアルカリ性単純泉で、入るとすべすべして女性が喜びそうなお湯である。まだ少し降っている雨を気にしながら、露天風呂にしばらく浸る。今日で連続4日間も無料の優れた温泉に入ることが出来、真に満足である。お湯それぞれの特徴があって、どれも甲乙付け難い。皆名湯だなと思った。ここはもし温泉博士がなかったら来ることの無い場所であろう。兄弟会の宿にもいいなと思った。

風呂を出る頃までには雨は上がって、駐車場を取り巻いて植えられているもみじの若葉から雨の残した水玉が滴(したた)り落ちていた。これからは隣のさくら市にある喜連川の道の駅に寄り、その後今夜の泊まりを予定している芳賀の道の駅に向うつもりである。

喜連川には思ったよりもかなり早く到着した。10kmくらいしかなかったのではないか。道の駅の売店などもまだ開いていたので、ここで名物の温泉パンなどを買う。温泉饅頭というのはどこの温泉でも定番だが、温泉パンというのは珍しい。喜連川の温泉パンは、普通のパンと違って、ずっしりと重い。ドイツ菓子風のなかなか風格のある食べ物で、レンジで温めたりしても美味なのである。ここを通るときは必ず寄って買求めることにしている。この他この地では温泉を引いた地熱を利用した、温泉ナスと呼ばれるのが作られており、冬を通しての栽培が行なわれていて、このナスが又美味なのである。今頃の季節では、温泉ナスはもう終ったのかも知れない。明日、芳賀の道の駅で野菜を買うことにしているので、温泉ナスは買わないことにした。

喜連川からは40分ほどで芳賀の道の駅に到着。駅近くになって妙に渋滞しているなと思ったら、何と交差点で事故があったらしく、レッカー車が来て車を積んでいるその向うに、へし折れた信号機のコンクリート製の柱の下に軽自動車が潰されかかっていた。信号は倒れたままでちゃんと動いていたが、なんとも珍妙にして危ない風景であった。もし我々が運悪く通りかかっていたらと思うと、ぞっとした。どうやらレッカー車に積まれていたのは信号機を倒した車らしく、その後に通りかかった軽自動車が倒れてきたコンクリート製の柱にやられたということらしい。それにしてもかなりの渋滞となっているのに、警察も来ていないというのは一体どういうことなのだろう。何だか、今日の終わりの出来事としては、あまり見たくないものを見てしまった感じがした。

      

 交通事故現場。軽自動車はとんだ災難だった。信号は青になっているけど、本当に大丈夫?ようやく警察も来たようだ。

ここは温泉も隣接して作られており、夜間にトラックも結構多いので、騒音を避けるべくトラックが来ない場所を選んで泊まりの準備をした。久しぶりにTVでも見ようかとセットしたのだが、さっぱり映らない。何か問題があるのかもしれない。帰ったらチエックする必要があるようだ。何もすることがないので、今夜も早めの就寝となる。

コメント
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