山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

真壁に雛人形を見に行く

2009-02-24 22:42:06 | くるま旅くらしの話

今日(2/23)は気分転換に40kmほど離れた所にある真壁町(今は合併して桜川市)で開催されているひなまつりを見に行きました。

真壁町は、常陸の南西エリアの中では近世の歴史ではかなり存在感があったのではないかと思っています。この地に最初に築城した真壁氏は、当初は佐竹氏と勢力争い等をするほどの力を有していたとのことですが、やがては佐竹氏の家臣団に加わり、佐竹氏の出羽への国替えに従って角館へ移転したため、真壁にはその後浅野氏(浅野長政の隠居料として真壁5万石が与えられたとか)の居城となったとのことです。しかしその後藩主の転封により廃城となり、今は古城跡が残るのみです。しかし、町の方は江戸末期まで栄えて残り、今日に至っています。第2次世界大戦の被害にも会わなかったこともあり、往時からの屋敷や蔵などが現存しており、その多くは登録有形文化財として国の指定を受けています。

その真壁地区では、毎年2月下旬から3月上旬にかけてひなまつりが開催されています。守谷に住んでからは、都合のつく限り見に来ており、今回で3回目の来訪です。真壁の雛祭りは、町並みを形成する住民の方々が、夫々の家に伝わる歴代の雛飾りを、自家を開放して一般来訪者に公開するという形で行なわれており、今年の参加数は178軒となっていました。江戸時代から今日までの様々な雛飾りが並べられ、その家の先祖から伝わるお雛様に託す家族の絆への思いが伝わってきます。通常のお雛様だけではなく、吊るし雛やガラス製のもの、石で作られたものなどいろいろの種類のお雛様があることに驚かされます。

私自身はお雛様には全く無縁の、いとむくつけしジジイなのでありますが、今日は二人の孫娘のことなどを想いながら、かなりの数の雛飾りを見て廻りました。その中から幾つかを紹介したいと思います。

先ずは、ひなまつりの開催されている真壁の町並みの様子です。平日ですが、かなりの人気が有り、マイカーも多く、又観光バスも何台か訪れてきていました。観光客の大半は私共と同世代前後の人たちで、その8割は元娘の人たちでした。

 

真壁の街には、国の登録有形文化財が150件以上もありますが、この猪瀬家の医薬門もその一つです。

 

標準的な雛飾りの一つです。全体を収めようと撮影すると、お雛様の顔が見えなくなってしまい残念です。

 

年代ごとに飾られたお雛様には、江戸、明治、大正、昭和、平成と並べられていました。見事な飾りっぷり(?)です。

 

これは石で作られたおひなさまです。真壁は加波山の麓にあり、そこからは石が切り出されています。その石を使っての加工技術を駆使した作品なのだと思います。

 

この雛飾りは、石の中に様々な貴石を埋め込んで作ったものなのだそうです。石だけでこのような温かさの感ぜられる作品が出来るとは驚きです。

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早春の野草の花言葉(その4)

2009-02-24 02:41:34 | くるま旅くらしの話

今日は終日の雨でした。毎週月曜日は、家内のフォークダンスの練習日で、在宅の時にはここから25km近く離れた、つくば市内の練習会場まで出かけるのですが、その際にはお抱え運転手として一緒に行き、練習が終わるまでの3時間ほどを、市内の遊歩道(その殆んどは自分で作ったコースですが)を歩くことにしています。

昨日までに、いろいろストレスが溜まっていますので、今日は思う存分春を楽しみながら歩くつもりでした。しかし朝起きて外を見ると、すっかり雨降りの天気になっており、傘をさしての歩きは、少しばかり気の重さを感じたのでした。しかし、花粉の飛ぶ量がいや増している最近では、雨降りは歩きにとっては好条件の一つなのだと、気分を切り替えて出発したのでした。

いつものことですが、私の歩きは、歩き始めたら出発点に戻るまでは、3時間といえども休憩無しです。3時間も傘をさして歩き続けるのは、些(いささ)か精神状態に問題ありなどと、時には思ったりするのですが、私にとっての歩きというのは、いろいろなことを考えて楽しむ時間でもあり、休憩などしていると楽しみが途切れてしまうのです。

歩き始めたのは、50歳の時に正体不明の病で1ヶ月ほど勤務先を休んだのですが、どうやら糖尿病が原因らしいと宣告され、それ以降のことなのです。最初は治療のためと我慢しながら歩いていたのですが、糖尿病というのは一度罹病したら二度と元には戻らないということを知り、結局死ぬまで歩くことを強いられる病であると悟った次第です。それならば、苦痛を背負って歩くのは止めようと考え、楽しく歩く方法を自分なりに工夫するようになったのです。最初はAM、FM、TVの音声が聞ける携帯ラジオを聴きながら歩くことから初め、ウオークマン(有名人の講演記録や自分自身の講義原稿を吹き込んだものを聴く等)を経て、街の観察(マーケティングを兼ねて歩くコースの街のお店の点在状況などを数えたりして観察する)、野草や樹木の観察、等々いろいろなことをやりましたが、今一番大事にしているのは、野草の観察です。

というわけで今日の歩きは傘をさしながらの歩きとなりました。その中で拾った幾つかの野草たちの姿の中から、印象に残った4つの植物について、いつものように花言葉を付けてみました。

<ネコヤナギ(猫柳)>(ヤナギ科)

 花言葉:いっとき(一時)の愛 (馬骨命名)

少し風が出ていて、傘を傾けながら歩いていて、前が見えなかったのですが、ヒョイと傘を上げたらそこにこの猫柳が光っていました。通りすがりの民家の庭にうえられているものが、塀の外へはみ出していたのが、いきなり目に入ったわけです。思わず立ち止まってシャッターを切らせて頂きました。

猫柳は、もちろん柳の一種ですが、普通はこのような場所ではなく川辺など水のあるとことに自生しているのが多いのですが、最近はなかなかそれを見ることが少なくなりました。あまりそのような川などへは行かなくなった所為なのかもしれません。

春先の猫柳は、これは芽なのかそれとも花なのか、判別が難しいように思いますが、どうやら花のようです。その姿はとても愛らしく暖かい春の風情を覚えます。猫柳の呼び名の所以(ゆえん)は、あのふっくらとした有様が猫の尻尾に似ているところから来ているようです。なかなかの命名だと思います。

ちょっと脱線しますが、昔の田舎には何処の家にも猫一匹くらいは飼っていたものでした。今のようにシャカリキになって猫の面倒を見なくとも、勝手に棲みついていて、当たり前のように囲炉裏を囲む時には家族の誰かの傍に坐っているか、膝の中で眠っていたものでした。猫柳の命名は、そのような暮らしの中の猫の尻尾から取られたものだと思うのです。今のようにコンクリートの部屋や、縁側の無い家では、猫の尻尾から柳の花を連想することも、柳の花から猫の尻尾を連想することも出来なくなっているように思います。自然との共生などということばをよく耳にしますが、この猫柳を見ていると、その昔の人間の暮らしの中での動物との自然なる共生の姿が思い起こされ、懐かしく感じます。

その猫柳も、花が咲き終わると、春に熔かされてしまうのか、あっという間に姿を変えて、ただの何の変哲もない、柳であることすらも判らないような姿に変わってしまうのです。

<ダイコン(大根)>(アブラナ科)

花言葉:九死に一生 (馬骨命名)

少し前にハマダイコンの花を紹介しましたが、今日は本物の大根の花です。雨の道脇の畑の中に、採り忘れられた大根が何本か残っており、その1本が花を咲かせていました。咲かせているといっても、本番はこれからという状態で、未だ咲き始めたばかりのようです。

大根にも花が咲くのだと、多くの人は、一応それを知っていると思いますが、実際に花を見るのは、農家の人でも少ないのではないかと思います。採り忘れるというのは、多くの場合、畑の面倒が見切れなくなって途中から放置せざるを得ないような場合だと思います。まともであれば、花の咲く前に胃の中に入ってしまうからです。今日の畑もまさにそのような状態でした。

私の記憶している大根の花は、このようなたくましいものではなく、もっと優雅な風情のある雰囲気だったと思いますが、これは未だそこまで辿り着くには至っていない花のように思いました。花言葉というのは、同じ植物の花であっても、咲いている状態によって異なっても良いように思います。次回この株の花の咲き振りを見たときには、別の花言葉を思いつくに違いないと思います。

<ブロッコリー>(アブラナ科)

花言葉:脱出  (馬骨命名)

ブロッコリーの花を見るなどというのは、都会の人たちには想像もつかないかもしれません。食用にしているあの董(とう)立ちの状態をほんの少し放って置くと、菜の花状の花が咲くのです。アブラナ科の植物の花は、皆菜の花なのだといって良いと思います。

ブロッコリーに良く似た食材となる植物にカリフラワーがありますが、この双方はキャベツの変種ということですから、親戚みたいなものだと思います。カリフラワーの花というのは、未だ見たことがありませんが、恐らくブロッコリーと同じようなものなのでしょう。

この花も、大根と同じ畑に、採り忘れられて咲いていたものですが、大根よりも必死になってたくさんの花を一時に咲かせようとしているように見えます。ブロッコリーとしては、いつももう少しで花を咲かせるぞと思う寸前にちょん切られてしまうのですから、この株などは、ようやくその恐怖から脱出できたと、先を急いでいるのかも知れません。

<アネモネ>(キンポウゲ科)

花言葉:忘れられた誠実  (馬骨命名)

 

 つくば市は1987に発足した新しい市ですが、研究学園都市のエリアを除いては殆んど田舎です。私はそれを誇りとすべきだと思っています。この人口21万人の都市の中心部には発足時に建てられたマンションやアパートなどが多いのですが、中には幾つかの廃屋となっているものがあります。一時的に安普請の建物を作って、20年足らずで用済みとなっているのは、殆んどが公務員宿舎のようですが、今話題のかんぽの宿以外でも、国の役人連中のやることは、いかにも中途半端でお金をいい加減に使っている感は否めません。

その廃屋らしきコンクリートの建物の庭の片隅に、このアネモネを見つけました。洋花にはあまり関心はないのですが、この花の雨に濡れた楚々たる姿に気がつき、もうどこかに消え去った植え主の一時の優しさに応えて咲いているいる感がして、思わず足を止め、シャッターを切りました。

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