山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第3回

2008-06-19 00:56:33 | くるま旅くらしの話

第3日 <5月01日()

伊東さん宅 → (R4・13・287) → 伊佐沢の久保桜(山形県長井市)→ 草岡の大明神桜(長井市) → (県道・R287) → 道の駅:大江・舟唄温泉(大江町)(泊)  <217km>

昨夜は少し飲み過ぎの感があったけど、目覚めてみればすっきりした頭だった。いい酒は目覚めがいい。目が覚めるとジッとしていられない性分で、そっと抜け出し朝の散歩に出かけることにした。何処へ行っても、誰の家に泊まっても抜け出して散歩に出かけるのは、本当はあまりいいことではないのかもしれない。それでも黙って抜け出したくなるのだから、我ながら困ったものである。

今日もいい天気のようだ。この辺の田んぼは、田植えが遅いのか、未だ冬を越したままのような感じだった。道端の草々たちはすっかり元気付いて逞しく成長している。長い冬を乗り越えてきたものたちの喜びが、朝の太陽の光を受けて輝いているようだった。このようなのどかな田舎道を歩くと、この頃は少年時代に戻ったような気分になり、元気が増すような気がする。伊東さんのところに泊っているのも忘れ、歩きに精を出す結果となった。気がつかなければ、2時間くらいは平気で歩いてしまいそうだ。1時間ほど歩いて家に戻り掛けていたら、何と伊東さんが車で迎えに来られたので驚いた。朝ごはんだというのに、居なくなってしまうとは、困った客人ではある。申し訳なし。

美味しいい朝ごはんを頂戴した後は、またまた話が弾んで、気がつけば12時近くとなってしまっていた。これは大変と、慌てて出発する。いやあ、本当にお世話になりました。ご馳走様でした。ありがとうございました。

さて、今日の予定といえば、北に向うだけなのだが、去年開花のタイミングが合わなくて蕾しか見ることのできなかった、長井市の名木、久保桜や大明神桜を見ようと考えている。その後は、大江の道の駅辺りで泊ることになるのではないか。

R4を北上し、福島市郊外でR13に入って米沢へ。米沢から長井に向うR287は判りにくい道路だ。というのも米沢は上杉の城下町だったところなので、道路が狭く曲がりが多いのである。バイパスがあれば助かるのだけれど、長井街道にはバイパスはない。どうしても市街の中心地を通らなければならない。旧市街の店頭に、「おしょうしな」という方言の張り紙があるのが気になって目に入る。以前に通った時にもそれが気になって、土地の人に聞いたのだったが、忘れてしまっていた。邦子どのが思い出した。「おしょうしな」というのは、「どうもありがとうございます」という意味らしい。本当に土地の人がそのような言葉を気軽に使っているのか、以前土地の人に訊いた時には、あまりはっきりした返事は貰えなかったような気がする。商店街が力を入れて張り紙を出しているのだから、きっといい言葉に違いない。もう忘れないようにしようと思った。

今回は迷うことなく長井街道を進んで、久保桜のある伊佐沢小学校近くの駐車場に着いたのは、16時だった。途中昼食休憩を30分しただけで走り続けたので、邦子どのにはかなり厳しかったようだ。我がSUN号の助手席は椅子を前後に動かす装置が付いておらず、背もたれを倒すだけなので、長時間の着席は結構厳しいのである。トラックなので仕方がないのかもしれないけど、キャンピングカー専用のシャーシならば、助手席も改造の手を加えて欲しいものだ。

さて、久保桜は花が終わりかけていたが、未だ鑑賞に耐える力を残していてくれてよかった。伊佐沢の久保桜は、推定樹齢千二百年というから、彼の三春の滝桜よりも二百年も年長ということになる。確かにこの桜には老木の風格がある。江戸時代に幹の空洞に住んでいた浮浪者が、火事を起こしたとかで、幹が二分断されていて、二本の幹のように見えるけど、元は一本の幹だったとか。現在来年にかけて外科的大手術を施し、元の1本の幹に戻るようにするということらしい。成功を祈りたい。僅かだけれど、協賛金を収めた。来年はもう少し早く来て、元気になって満開の花をつけていてくれるのを見に来たいなと思った。

 

伊佐沢の久保桜(山形県長井市):樹齢1200年の老大樹。花の見事さも素晴らしいが、その幹の逞しさに圧倒される

伊佐沢の次は、草岡という所にある大明神桜という、これもまた千年を超える老大樹に会いに行く。何だか怪しい雲行きとなっていた空から、雨が少し落ち出してきた。本降りではなさそうだが、落ち着いて観るのは難しそうな気配となった。大明神桜は、久保桜と較べて樹高がある。写真を撮るのに苦労する。こちらは何だか花数が少なくて、寂しい感じがした。地元のおばあさんが言うには、今年はウソ(鳥の名前)が花芽を食べてしまったので、咲きがさっぱりなのだという。少しがっかりして先に車に戻ったのだが、邦子どのはなかなか戻ってこない。どうやら先ほどのおばあちゃんと話し込んでしまったらしい。後で聞くと、何とこの大明神桜というのは、個人の持ち物であり、あのおばあちゃんはその家の方なのだとか。驚いた。もう90歳になられるという。どういう訳なのか、そのおばあちゃんの作ったという小さな飾りの手まりを頂戴して戻ってきた。そしてそのお礼にと、これは自分の母が作った保険証入れをもって、おばあちゃんのところに再度引き返して行った。90歳になっても野良着で畑に行ってこられたらしく、又その手づくりの手まり細工も立派なものであって、すごい人がいるものだと思った。来年来る時には、おばあちゃんに何かもっと気のきいたプレゼントを考えなければなるまい。どうぞお元気でお過ごし下さい。

長井街道には、桜回廊といわれる老名木がこの二本の他にもあるのだが、もう夕方5時を過ぎており、宿のこともあるので、それらを見ることは諦め、出発することにした。

しばらく走って、何だか考えている道とは違う所を走っているような気がし出した。どこかで道を間違えたらしい。無かった筈の長い登り道が続き、トンネルを潜ってしまった。これは変だと地図を見たら、何と左折しなければならない交差点を、気づかず直進して来てしまい、山形市方向へ来てしまったのだった。山形市付近にはあまりいい道の駅などがないので、やっぱり当初考えていた大江にしようと、道を戻ることにした。往復20km近く無駄をした勘定になる。よくあることではある。

大江町の道の駅に着いたのは、18時半近くだった。ここには直ぐ近くに温泉施設が二つある。その一つの舟唄温泉というのに入ることにした。ここは前に来た時は工事中で入れなかったのだが、今回は工事も終了し、駐車場なども立派に整備されて広くなっていた。行って見ると何と料金は200円なのだ。以前もそうだった様に記憶しているが、風呂の方があまりきれいではなかったので、安いのは当然と思っていた。でもこれだけきれいになると、何だかすごく嬉しい気分になる。もう、もう一つの方へは入ることはないだろうと思った。受付の人の話では、単に修理工事を行なっただけではなく、新しい湯井も掘ったとのこと。かけ流しの天然温泉である。お湯の良し悪しの比較はよく解らないが、新しい湯はきっと以前に層倍していい泉質なのかも知れない。入浴施設の下の方に最上川の急流が奔っているのが見える。この辺りもその昔は舟唄の聞こえてくる場所だったのだろうか。リッチな気分になって、ゆったりと風呂に浸かって、運転疲れを癒す。

車に戻って、乾杯の後は最早就寝。ところが、相棒のガサゴソと何やら紙などを弄って整理しているらしい音が耳について、寝そびれてしまった。「なんとかしろ!」と声を発したら最後、眠りは何処かに吹き飛んでしまう。我慢しきれず遂に発声。もうこれでだめ。相棒の方は、さっさと寝床に入り高いびきである。益々寝そびれていると、今度は雨が天井を叩き出した。2時過ぎになって、ようやく眠りに辿り着いた。眠くない時は起きているのが主義なのだが、何故か今日は起きるのが億劫なのだ。こんなことは珍しい。

 

コメント (1)
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