山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第1回

2008-06-17 03:10:48 | くるま旅くらしの話

前置き

今日からしばらくの間、昨春東北を1ヶ月ほど旅した時の記録を掲載したいと思います。昨年の同時期には、携帯からの記事をブログに投稿しましたが、これには写真も無く、簡略な記事でしたので、旅の実際は少ししか解らなかったと思います。それらをカバーするつもりで、今回は写真なども出来る限り多く載せたいと思っています。基本的に、1回に1日分の記録を掲載することにします。季節が少しずれていますので、違和感があるかもしれませんが、何かの参考になれば幸いです。

 

東 北 春 の 旅 で こ ぼ こ 日 記

 

期 間:4月29日~5月28日

宿泊日数:29泊30日

総走行距離:3,464km

旅の人:山本拓弘&山本邦子

旅のくるま:SUN号   

<旅に出る前に>

 毎年東北の春を訪ねて旅するのを楽しみにしている。去年は佐渡へ行ったため、新潟以北へは行かず終いだった。今までは桜の花を訪ね歩くのが旅の主な目的だったが、今年は少し趣向を変えて、新緑の眩しさに目を細めながら、東北らしさの中から、柄にも無く民話などを拾ってみたいなどと考えている。特に民話に関心があるわけではないが、素朴な話に耳を傾け、目を向けることによって、日本人の原点を探ることができるかも知れない、などと大げさなことを思ったりしている。それから、何年か前から考えている「へのへのの旅」との下見のようなこともやって見たいと思っている。へのへのとは、戸の戸のということであり、現在も東北北部に残っている一戸から九戸までのエリアの様子を探ってみたいと思っている。その昔の南部一族が奥州入りした時の区割りが戸の始まりというか、呼び名となったものらしい。そこにどのような歴史が展開されてきたのか、今現在はどのような様子なのかを、少し目的的に意識しながら旅してみたいなどと思っている。

 しかし、あまり強く意識しすぎて、こだわりすぎると、旅が旅ではなくなってしまうので、本当のところは気まぐれに、ずぼらに毎日を過ごすことを楽しみたいと思っている。いつものように旅に出る前は、期待と不安が胸を駆け巡り、この緊張感が何ともいえないのである。

第1日 <4月29日()

 自宅 → (R294) → 道の駅:二宮 → 尊徳資料館・尊徳神社(栃木県二宮町) → (県道) → 道の駅:芳賀 → (県道)→ 道の駅:喜連川(さくら市)(泊)  <106km

 今日は、急がず喜連川の道の駅泊まりにしようと考えている。明日福島県は矢吹町の伊東さん宅にお邪魔することにしているので、その予備日のようなものだ。12時半過ぎ出発。快晴のいい天気だ。陽春の最中という感じで、守谷の郊外を抜けると、植えつけたばかりの田んぼの苗が僅かに土を緑に染めてそよ風に輝いている。筑波山も春を迎えて機嫌よさそうである。朝から3時間近くもかけて出発の準備をしたので、忘れ物はないだろう。いい旅ができることを期待しながら、いつものように旅の初日のこの感覚は何とも言いがたい楽しさがある。

 茨城県との県境を過ぎると栃木県の二宮町に入る。此処の道の駅で小休止。此処はかの有名な二宮尊徳が頼まれて下野の荒廃した村を再興した所である。尊徳といえば、小田原出身で地元での功績のことを知る人が多いと思うが、彼の経営の実力は、この下野の再興で発揮されたといっていいのではないかと思う。いつもだとちょっと休んでパスしてしまっているのだけど、今日はちょっと町の二宮尊徳資料館へ寄ってみることにした。今回の旅では、郷土資料というか、町や村の資料館などをより多く訪ねて、旅の深みを増したいと考えており、今日はその手始めの練習(?)というようなつもりである。

 国道から脇に入り、田んぼや畑の中をしばらく行くと資料館と神社、それにそこが往時の陣屋だったらしく、その建物が復元され一円が公園として整備されていた。

二宮尊徳といえば、国民学校時代の日本では、どの校庭にも薪を背負って本を読みながら歩く彼の銅像のようなものが立てられていた。自分は国民学校が新学区制に切り替わった最初の小学入学だったが、尊徳の銅像はしっかりと記憶にある。唯ひたすらに刻苦精励の人というイメージがこの人にはあり、本当のところどういう人物だったのかよく知らなかったというのが、正直なところである。最近になって経営という切り口から尊徳の手法というか、仕法のあり方を知る機会があり、今日はその実態を知るいいチャンスだと思って出向いた次第である。

 資料館に入り、尊徳が36歳でこの地に赴任し、以後30年近くを様々な挫折を乗り越えて所期の目的を果たした、その歴史を学んだ。裏に神社と桜町陣屋と称される役所跡が復元されていたのを、参拝、見学する。いい勉強の時間だった。神社の境内の碑に、彼の道歌が刻まれていた。

「声もなく 臭いもなく 常に天地は書かざる 経を繰り返しつつ めしと汁もめん着ものは 身をたすく その余は我を 責むるのみなり 天津の恵みつみおく 無尽蔵 鍬でほり出せ 鎌でかりとれ」

 何とも凄まじい生き様である。これほどまでにして生きなければならなかった時代だったのだ。これほどの覚悟がなければ、荒廃の再興はありえなかったのだ。現代の生ぬるい、甘ったれた感覚では、この尊徳先生の教えは到底理解し得ないように思った。報恩・報徳とは、主君に向ってのそれでは決してなく、自らを生き、生かす天に向ってのそれなのだということがわかったような気がした。それにしても凄まじい。

   

     二宮町の尊徳神社                       二宮尊徳が拠点とした桜町陣屋

 尊徳先生に気合を入れられたような感じになって、出発。喜連川の前に、芳賀の道の駅に立ち寄り、野菜などを買おうと思ったのだが、今日は日曜ということもあり、かなり混んでいて、野菜は殆ど売り切れ状態だった。残念。この道の駅の販売は、朝に一度篭入れて並べたら、売り切れても補充はしないというやり方のようである。今日の様に人出の多い休日には補充することも考えてはどうか、と思った。尊徳先生なら何とおっしゃるだろうか。

 喜連川では、まずいつもの露天風呂へ。思ったよりも混んでいなくてよかった。今日の湯は少し熱い感じがしたが、時にはピリッとするぐらいのも良いのかもしれない。風呂から上がって、車に向う途中、丁度真っ赤な夕日が沈む直前で、どうしてこんなに太陽が大きくなるのかなと思うほど大きな夕日が、日光の山々辺りに沈んでいった。日本海の夕日もいいけど、今日の此処の夕日もいいなあと思った。

 風呂の後、道の駅へ行って見ると、キャンピングカーの同じクラブ(=TACOS)のメンバーの、林さんご夫妻と森さんご夫妻が滞在しておられた。昨日からお出でだとのこと。我々も近くに車を停めさせて頂き、さっそく話の仲間入りをさせて頂いた。空に星が輝き、少し寒かったけど、久しぶりに仲間との歓談が続き、いい時間を過ごすことができた。クラブキャンプとは又違った形で話が出来て、一層親密感を深めることが出来てよかった。 

コメント
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