山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第10回:その2/2

2008-06-25 04:55:38 | くるま旅くらしの話

休憩の後は再び北上を続ける。途中知りながらも今まで一度も訪ねたことのなかった、北上川の源泉のある公園に寄ることにした。R4から細い道を少し入った所にその源泉があった。御堂観音堂という社があり、その奥にある杉の老木の根元にその源泉があった。弓弭(ゆはず)の泉というとのこと。何やらその由縁が書かれていたが眉唾物のような気がした。その昔、前九年の役に、源の頼義・義家父子がこの地平定に兵馬を進めていたとき、炎暑で飲み水がなく苦しんでいたため、義家(八幡様の元祖)が天に拝し、観音に念じて持っていた弓の端で岩を突いたところ、そこから清水が湧き出たというようなことが、説明板に書かれていた。近くに彼の征夷大将軍坂上田村麻呂が自ら立木十一面観音を刻んで祀ったお堂があり、義家もそれにあやかったのであろうか。願えば直ちにそれが叶うという観音信仰が生み出した言い伝えなのかもしれない。

そのようなことよりも、この老木の間から静かに湧き出でた水が、延々と250km近くも東北の背骨を流れ下って、石巻で太平洋に注ぐということに大きな感慨を覚えた。岩手町と石巻市を結ぶ記念碑が建てられていたが、意義あることだなと思った。

   

北上川源流の弓弭(ゆはず)の泉。この杉の根本の小さな泉からの一滴がやがて大河となって海に注いでいる

再びR4に戻って北上を続ける。一戸町に入って奥中山高原入口という案内標識があったので、横道にそれて行ってみたのだが、牧場とスキー場などがあるだけで、一戸らしさを覚えるものは何もなかった。直ぐ引き返す。その後一戸町に入り、いつも案内標識で気にしていた「藤島の藤」とか「実相寺の大銀杏」などを訪ねようと近くまで行ってみたのだが、道が狭く、駐車場も無いため近くまで行っても見ることは出来なかった。このような状況ならわざわざR4に大きな案内板を出さなければいいのにと思い、少し腹が立った。

同じ町の中に「御所野縄文公園」というのがあるので、そこへ行ってみることにした。これは素晴らしかった。広大な敷地の中に竪穴式住居を復元したものなどが点在していた。又入口にある全てが木で出来ているという「きききの吊橋」という木造の吊橋があり、それを渡ると博物館の玄関に到達する。中には邦子どのだけが入り、自分の方は広い芝生や付近の林などを散策することにした。吊り橋の下には、その昔縄文の人々が使ったと考えられる水場などがあって、この辺一帯が暮らしの場であったことがわかる。

   

   御所野縄文公園内に造られた竪穴式住居などの景観。広大な敷地の中にその昔の名残を再現している。

思うに、竪穴式住居などを見ていると、これは何も縄文時代のものだけではなく、奈良時代辺りでも貴族などを除けば一般大衆は同じような掘っ立て小屋に住んでいたのではないか。地方によっては江戸時代も同様な暮らしぶりではなかったのではないか、そのように思った。食べるのに然()して困らない現代のような時代は、日本の歴史の中では稀有の恵まれた生活環境にあるのではないかと思う。それにつけても、縄文時代は我々から決して遠い所にあるのではないということを、もっと知っておく必要があるように思った。

邦子どのは、縄文時代の織物などに興味を持ったようである。館内で実際に織ってみることが出来るようなイベントもあるらしく、今度来た時には、終日それに参加したいなどと言っていた。今日は一戸のことはあまり知らなかったけど、この施設を通して一挙に縄文時代の一戸まで行ってしまって、何だかはぐらかされたような感じだった。ま、下見なのでそれも良かろうと思った。

次に九戸城跡に行きたくて、二戸の町の中に入ったのだが、駐車場が見当たらずやむなく合同庁舎という所の駐車場に車を入れる。時間も遅く、九戸城跡までは少し遠いので、今日は行くのは取り止め、今夜の宿は九戸村の道の駅:折爪にすることにして出発。九戸村は、山を越えた向こう側にある。30分ほど走って到着。

道の駅にはオドデ館という交流施設が作られており、以前1度だけ此処を訪ねたことがある。その時は雨降りで折爪岳は見えなかったが、オドデというのは、折爪岳にまつわる民話に登場する鳥で、どうやらフクロウをイメージしたものらしい。駅の売店の入口にその石像が建っている。泊るのは今日がはじめてである。水汲み場もあり、トイレもきれいだしゴミ処理もスムースに出来て、嬉しい道の駅だ。一つだけ残念なのは、地形の影響なのか、TVが殆ど映らず、音声で確認するレベルなのだ。見なければ済むことなので、心配は無用である。

早めに夕食を済ませ、早めに寝ることにした。ここは夜間の交通量も少なく、静かな夜を過ごすことができた。

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へのへのの旅(07東北春旅)第9回

2008-06-25 04:15:41 | くるま旅くらしの話

第9日 <5月07日()    

道の駅:中仙 → 八乙女公園 → (県道他) → 水神社・円満造翁生家など探訪 → (R46・県道) → 抱き返り渓谷 → (県道・R46) →小岩井農場一本桜の下見 → 七田の弘法桜 → JR雫石駅 → (R46) →  道の駅:雫石(岩手県・雫石町)(泊)  <113km

今日は少し北上しようと考えている。雲はあるけど明るい空なので、朝食の後、八乙女公園を散歩することにして出発。散歩には狙いがある。アケビの芽がたくさんあるに違いないと見込んだのである。八乙女公園は、古城の跡でもある。角館を流れる桧木内川と合流して水量を増した玉川が古城のふもとを流れ、その向こうに平野が広がっている。なかなかの景観である。桜の季節には、隠れた名所の一つといってよいのではないか。今は桜も終り、ショウジョウバカマも咲き終わって、桜の木の下に何本かその名残りを留めていた。アケビの芽は、探すまでもなく至る所で、お出でおいでをしていた。予想通りであった。1時間ほどかけてかなりの量を収穫。今年はもうこれで終りにしようと思った。充分に満足した。

車に戻り、出発。まずは昨日寄り損なった、秋田県唯一の国宝の鏡があるという、中仙町郊外の水神社に行くことにした。直ぐに到着。田畑に囲まれた小さな森の中に神社はあった。宝物庫らしきものもあったが、鏡は普段はここには置かれはいないようだ。宮司さんも不在のような小さな神社なので、保管は無理なのかもしれない。少し期待外れだったが、仕方ない。その帰路昨日の円満造翁の生家というのを見つけた。現在も子孫の方が住んでおられるようで、それほど遠い時代の話ではないのを改めて感じた。

    

   秋田県唯一の国宝の鏡がある水神社(左) 右は円満造翁の生家

角館を離れ、R46を田沢湖方面へ。途中、抱返り渓谷という妙な名前の案内標示板があり、いつもどういう所なのだろうと気になってはいたのだが、渓谷というからには細い道で。厳しいのではないかと不安があり、一度も寄ったことはなかった。しかし、どうやらバスも通っているらしいので、今日はちょっと行ってみることにした。行き止まりまで行って見ると、そこはキャンプ場になっており、その奥に抱返り神社というのが建っていた。又幾つかの顕彰碑などが建てられていた。その中の一つに、江戸時代の昔、この玉川は源泉近くに毒水の熱湯が湧いており、そのため魚が一匹も棲めない川だったとか。それを私財を投じて魚の棲める川にしたという、先賢を讃えるものがあった。その後再び毒水が流れ出すという出来事もあったが、明治以降先賢の努力を無にせぬよう、行政がこれを担って現在の玉川があるということが記されていた。なるほどなあと思った。北投石で有名な玉川温泉辺りがその毒水の源泉となっているのかもしれない。末期がんにも有効と聞く玉川温泉には、まだ行ったことが無い。

  

  玉川(雄物川支流)の源流近くにある抱き返り渓谷の景観

此処で昼食とすることにし、お湯を沸かし、今朝採ったアケビの芽を茹でたりして、のんびりくつろぐ。渓谷には遊歩道が作られているので、散策をしようと出かけたのだが、途中から工事をしていて通行止めとなっていた。崖の崩落などがあり、危険な状態となっているらしい。今秋にはその補修工事が完了するとのことだった。新緑も素晴らしいが、秋の紅葉も見事なのだろうなと思いつつ、散策を終え、元のR46に戻り、盛岡方面へ。

今日は小岩井農場の一本桜の下見をし、その後雫石の道の駅に泊ることにした。小岩井農場の一本桜は、今NHKの朝ドラでやっている「どんと晴れ」に使われているシンボルの木である。邦子どのが新しいカメラに収めたいらしいので、天気の良い日が来るまで待っても何とか撮影できるようにしようと考えている。今日は天気があまり良くないので、恐らく岩手山は見えないのではないかと思いつつ仙岩トンネルを抜け、雫石町へ。坂を下りた所にある道の駅は一先ずパスして、そのまま小岩井農場へ。一本桜はTVで取り上げられたこともあり、訪問者が多いらしく、ちゃんとガイドの立て札も立っていた。少し遠い駐車場に車を置き、700mほど歩いて現場へ。こちらにも駐車場はあるが、大変混み合っていた。

問題の一本桜は、何だか冴えないように見えた。傍へは行けないようになっており、花が咲いているのか終わったのかも定かでない。たくさん花がついていないことだけは確かである。岩手山も雲がかかっていて、裾野のホンの少し上くらいまでしか見えない。写真を撮るには不向きな状況であった。それでも大勢のカメラマニアが押しかけていた。

  

  小岩井農場の一本桜。この年はNHKの朝ドラ「どんと晴れ」で有名となってしまった  

話では、今年はウソという鳥が花芽を食べてしまったので、桜の花数が少ないのだとか。どこかで聞いた話である。そうそう、長井の大明神桜もウソにやられたと90歳のおばあちゃんが話していた。ウソは桜の天敵なのかもしれない。桜は咲き始めたばかりで、これから盛りになるとか。樹齢100年ほどの、然()して大木とも思えぬ木なのだが、岩手山を背にする位置取りが実に良い。これが買われたのであろう。本番は明日にすることにして、此処を去る。

道の駅に戻るには未だ少し早いので、寄り道をして雫石の街中を通って見ることにした。雫石の町は鯨の背のようなところを走る県道が町の中心街を形成していた。そこを横切って坂を下るとJR雫石駅があった。銀河ステーションと付記されているのは、この辺りでは晴れた夜空には銀河が見えるのかもしれない。或いは郷土の天才宮沢賢治の銀河鉄道の夜からつけられた名称なのかも知れない。きれいな駅舎で、町の案内などもキチンと整理されて行なわれているコーナーがあった。「しずくいしの昔話を聞く会」発行の冊子があったので、買い求めた。地元の方たちがおばあちゃん達から昔話の聞き取りを行い、それを原語に近い形で冊子にまとめているとのこと。係りの方の話では大変な作業らしい。でも大切なことだなと思った。今回の旅では、民話も少し集めてみようと思っており、これがその収集の第1号ということになった。

駅舎を出る頃から空模様がおかしくなり、風が強く吹き出した。途中で食材などを仕入れて道の駅へ。その夜は、強風時々雨の天気だった。これだけ風が吹けば、もしかしたら明日は良い天気になるかもしれない。そうなることを祈りつつ、長い夜を過ごす。

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