山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第5回

2008-06-21 04:40:12 | くるま旅くらしの話

第5日 <5月03日()

    

道の駅:鳥海 → (R7112・県道) → 羽黒山・月山ビジターセンター → 羽黒山・出羽三山神社 → 月山ビジターセンター → 五重塔→ (県道・R112R7) → 道の駅:鳥海(泊)  <121km

朝、雲は未だ多いようだが、何となくよい天気になりそうな感じがする。今日は先を急がず、昨日訪ねそこなった羽黒山の探訪をすることに決める。羽黒山は、何年か前に国宝の五重の塔を見たいという邦子どの要請で、そこを訪ねただけで、本来の羽黒山には行っていない。奥州の山岳信仰のメッカとして、羽黒山はあまりにも有名だけど、実は未だ一度も参詣したことがない。今日は時間をかけてじっくり探訪しようと思った次第。

海のエリアに泊ったのだが、ここには温泉以外は特に何の店もないので、駅舎のある森のエリアの方へ移動する。山菜売り場の方を覗いてみたが、今年は数も少なく何だか元気がなさそうで、少しがっかりする。このところ来る度に山菜の質と量が低下しているような気がして残念である。隣の売り場で近海魚の唐揚にしたものを売っており、美味そうだったのでさっそく買って来て、既に終わっている朝ごはんに追加して腹を膨れさす。魚党なので、旨そうなものがあれば、時と所を選ばない。食べたい時が美味い時なのだ。

10時近く、羽黒山に向って出発。天気は回復し、空が明るくなり出し、青空も見えるようになって来た。11時少し過ぎ羽黒山の奥にある月山ビジターセンターに到着。今丁度オオヤマザクラが満開で迎えてくれた。ここからは月山がかなり近くに見える。大きな山だ。駐車場に車を停め、センターの建物の中を見学する。月山の情報や動植物などの資料が展示されていた。月山には一度は登ってみたいと思っていたが、この歳になると、もはや諦めるしかないようだ。黒百合が群生している所があるのだと知人から聞いたことがあるが、そこを一度見てみたかった。

    

    羽黒山の裏側に広がる霊峰月山の景観:5月は未だ冬である。

少し周辺を歩いてみようと建物の向こうにある休暇村の方まで40分ほど歩き回った。小さな池の周りには、たくさんの水芭蕉が今を盛りと咲いていた。最盛期の水芭蕉はやっぱり美しい。盛りを過ぎるとだらしないお化けのようになってしまうので、良いタイミングで来れて良かったと思った。林の中の遊歩道脇には、未だ咲き残ったキクザキイチゲやショウジョウバカマなどが愛らしい花を咲かせていた。

ビジターセンターに戻り、有料道路を羽黒山の神社の方へ。ここの有料道路は、駐車料金込みで400円となっている。ほんの少し坂を登って山頂の神域へ。羽黒山というのは、羽黒山という名の神社があるものだと思っていたら、そうではなくて山の名前なのだった。神社のほうは出羽三山神社という。さすがに奥州一の修験道の拠点だなと思った。特に出羽三山を祭る三神合祭殿はすごいなと思った。萱葺き木造建造物としては日本最大のものだそうで、威厳に満ちていた。中央に月山神社、左手に湯殿山神社、そして右手に出羽神社の掲額があった。境内を見渡すと、鐘楼などもあり、ここが神仏習合時代の名残りを留めているのがわかる。国宝の五重の塔は神社からは下方にあるが、神社なのに何故五重の塔なのかといえば、もうここに来れば神様も仏様も一緒なのだ。しかもどうでもいいといういい加減な考えではなく、敬虔な気持ちでそれを受け入れているのである。

   

  三社(月山神社・湯殿山神社・出羽神社)合祭殿(左)とその境内に咲いていたショウジョウバカマの花

時代の要請だったのかも知れぬが、明治の廃仏毀釈というのは、人の心には届かぬ愚かな政治のあり方だったように思う。羽黒山では、巧みにそれらを回避した故、鐘楼や五重の塔が残っているのかも知れない。現代の今日のような平日でも、参詣の人々が後を絶たないというのに驚かされる。単なる観光ではなく、人々の心の中には、何か神仏に縋らずにはいられない、悲しみのようなものが潜在しているのかも知れない。斯く言う自分自身にも。

参拝の後、隣接する出羽三山歴史博物館を見学する。あまり大きくない展示室だったが、修験道関係よりも仏像など仏教関係の展示品が多いのに驚かされた。往時の山伏の法力も、その奥では仏が支えていたのかも知れない。坊さんと山伏とは別のものだと思っていたが、このような現実を見ると、人間というのは(日本人というのは)、どのような時代、どのような世界でもかなり合理的なものの考え方をしていたようである。今、世界では源を同じくする宗教でありながら、抜き差しならぬ宗派間の対立から果てしない愚かな殺戮が繰り返されているが、日本人の場合は、それがないのが幸いである。信念・節操がないというよりも、本当の平安を願う知恵が日本人にはあるのだと解釈したいものである。

今日はとにかく羽黒山参詣だけにしようと思っているので、神社に参拝した後は、もう一度五重の塔を見ようと車を下に移動させ、駐車場から歩いて塔までを往復する。何時見ても感銘深い佇まいの建物である。大きいのでなかなか写真が上手く撮れない。大勢の参詣客に混ざりながら、往復の散策を楽しんだ。参道の道端にショウジョウバカマやミヤマカタバミ、それに西国サバノオに良く似た野草たちが散見された。殆どの人たちは野草などには目を向けないので、独り占めして楽しんでいる気分だ。欲張りなのかもしれない。

  

 国宝五重の塔:大きすぎてカメラに上手く入らない・右はその近くに咲いていたトウゴクサバノオの花

参詣を終え、帰途に。今日の泊りも鳥海の道の駅に決めている。邦子どのが天ぷらを揚げたいと張り切っている。山菜は既にゲットしてあり、てんぷら用の材料も準備完了して持参してきている。楽しみである。相棒の自慢をしても仕方ないけど、こと山菜の天ぷらに関しては、邦子どのはかなりの腕前である。これは保証していい。といっても、食べているのは殆ど自分だけだから、あまり当てにはならない保証かもしれない。

道の駅に戻り、天ぷらの仕事にかかっている間、こちらは写真のインプットや整理に時間を過ごす。やがて天ぷらが揚がり始めると、揚げながらビールで乾杯となる。我が家は全部上げ終わってから一斉に「いただきます」などというようなことはしない。冷めない内に、美味しい内に味わうのが第一という考えで、真に節操のない家庭運営なのである。このところ、アケビの芽ばかりだったので、山菜の天ぷらは美味かった。今日はこれで終り。

コメント
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