山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第11回:その1/2

2008-06-27 04:23:48 | くるま旅くらしの話

第11日 <5月09日()

道の駅:折爪 → 村内探訪【枝垂れ栗 → 長興寺 → 千本松 → 九戸神社】 → 折爪岳山頂 → (R340395R4) → 道の駅:三戸 →(R4) → 二戸市民族資料館 → 九戸城址(二戸市) → (県道他) →九戸村・ふるさとの館 → 道の駅:折爪(泊)  <109km

いい天気だ。眼前に折爪岳が見える。山頂らしき所にTVの電波塔のようなものが何本か建っているのがみえる。案内図を見ると、どうやらあの頂上の展望台まで車で行けるらしい。今日はいい天気なので、思い切って行ってみようかなどと思った。今日は此処にもう一泊させて貰うことにして、九戸という所の探訪をしたいと思っている。

九戸といえば、九戸政實の九戸の乱が有名だ。政實という人は、南部の一族だったが、宗家の継承問題に関連して豊臣秀吉に反抗する立場となり、6万を超える秀吉側の大群を前に6千の軍勢で九戸城に籠って善戦したのだが、衆寡の差には敵わず、空しく破れ去った武将である。この戦を以て戦国時代が終わったと言われているが、地元では人望の高かった人物のようである。九戸城は今のこの村には無く、二戸市の方にある。九戸村には九戸神社と九戸南部氏の菩提寺などが残っているが、今日はそれらを訪ねてみようと思っている。

遅い朝食を済ませ、道の駅の売店が開くのを待って新鮮な山菜などをゲットし、まずは九戸家の菩提寺である長興寺を訪ねることにして出発。少し行った所に何やら小さな案内板のようなものがあったので、車を停めて行って見たら、何と枝垂れ栗の木の案内板だった。よく見ると、丸い傘の骨のように四方に枝を広げた樹がそこにあった。未だほんの少ししか葉が出ていないので、目立たず気づかなかったが、なるほど栗の樹である。枝垂れの樹というのはいろいろ目にするが、栗の樹は初めてで、珍しい。説明板ではちゃんと実もなるという。秋にも来て、その実がついているのを見てみたい、そしてあわよくば2、3個手に入れて口にも入れてみたいものだと思った。

  

   桃の向こうに見える笠がかった鳥の巣のようなのが枝垂れ栗の木。何とも珍妙な木だ。

長興寺は名刹の趣きがある。もし政實公が滅びることが無かったら此処は菩提寺としてもっと大切に扱われたに違いない。歴代の藩主の墓が並んでいたが、心なしか勝者の側のお墓に較べて寂しい感じがした。合掌。境内にかなりの樹齢らしき銀杏の大木があったが、政實公の手植えだとか。これはあまり信じない。

   

  九戸家菩提寺の長與寺本堂(左)と九戸実政手植えといわれる大銀杏の古木

お寺の近くに千本松(別名箒松)という変わった松があるというのでそれを見に行くことにした。どんなものなのだろうと思いながら行って見ると、イヤー、あった、あった。ほんとに箒を逆さに立てたような姿をしている。松といえば街道に植えられた曲がりくねった姿のものを思い描くが、この松はどの枝も真っ直ぐに伸びて、箒のような形になって立っている。何だか日本の松の木ではないような気がした。明らかに異端者ならぬ異端樹である。先ほどの枝垂れ栗といい、この松といい、その異端性は九戸の地の意地を現しているのかもしれない。

   

長與寺近くにある千本松(別名箒松)と呼ばれている変わった枝振りの松の大樹

九戸神社は長興寺からは2kmほどの山の麓にあった。創建は842年、この地を知行した九戸氏の代々の祈願所だった所とか。思ったよりも小さな社殿だった。

   

   小さいけれど往古の九戸家の歴史を感じさせる端麗な風姿の九戸神社本殿の景観  

その脇に政實公を祀った政實神社というのが有志の方たちにより建立されていた。その説明書きによれば平成6年に取り掛かったと言うことであるから、新しいものであり、政實公の徳望は400年を経た今でも不変であるようだ。人間の評価は、それぞれの時代の、評価する者の思いによって、大きく変わるものであるが、政實公はあの世でこれらの遷り変わりをどのような顔でご覧になっているのであろうか。

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へのへのの旅(07東北春旅)第11回:その2/2

2008-06-27 04:23:12 | くるま旅くらしの話

九戸城へ行きたくなったが、その前に目の前にある折爪岳に上ることにした。少し雲が出てきて視界はあまり良く無いけど、行ってみれば何か面白いものが見られるかもしれない。

  

  九戸村の道の駅:折爪から見た折爪岳の遠望。頂上が平らの山なので、たいしたことがないように見えるけど、筑波山に近い高さの山である。

R340を軽米町の方へ少し戻り、案内板に従って左折すると、急坂の途中に現役の麦藁屋根の家が数戸建っていた。道がいきなり細くなったので、心配になってその家の傍にいた人に大丈夫なのか尋ねると大丈夫だと言う。邦子どのはこのような民家に興味があるので、さっそくおばちゃんたちに話しかけて写真を撮っていた。此処には未だ少し古い岩手が残っているなと思った。

その後はヒメホタルラインと呼ばれる曲がりくねった急坂を20分ほど登り続け、ようやく山頂へ。SUN号は図体が大きいので、このような坂道はいかにも苦しそうだ。しかしディーゼルエンジンは結構坂道には強くて、心配することは無い。途中オドデの滝など幾つかの小さな滝を眺め、又石割桜などというものも見物した。石割桜と言えば、盛岡の裁判所前にあるものが有名だが、こちらの石割り桜は、少し趣きが違って、石を割っていると言うよりも支えていると言う感じだった。樹もあまり大きくない。

頂上からの展望はなかなかのものだった。空気が澄んでいれば太平洋ももっとはっきり見えるのだろうが、それでも岩手山や早池峰の峰などを遠望することができた。広い駐車場もあり、此処は自然公園になっているらしい。休日には天気が良ければ人出も多いのかもしれない。しばらく景観を楽しんだ後、下りを開始する。

下り始めて直ぐに、山の自然が育(はぐく)む小さなお花畑に気がつく。車を降りて見てみると、何と今頃だと言うのに早春に咲く福寿草が咲いていた。山エンゴサクやニリン草、それにコバイケイソウもあった。此処は北国の標高800mを超える高さだから、まだ3月レベルの気候なのだなと思った。思いがけなく早春の花たちに出くわして嬉しくなった。ヒメホタルラインを下りたが、そもそもヒメホタルというのはどのようなホタルなのかなと思った。ヒメというからには小型のホタルに違いない。いつかそれを見てみたい。

九戸城址に行く前に、燃料が少なくなってきたので補給に三戸まで行くことにした。所定の給油スタンドは、この辺では三戸の郊外にしかない。少し遠回りになるけど三戸の道の駅にも寄れるので,そこへ行って昼食休憩にすることにした。三戸の道の駅には13時少し前に到着。邦子どのの友達の竹林さんは店を出しておられるかなと期待したが、ダメだった。竹林さんは地元で手広く農業を営んでおられる方である。今頃は農作業に超多忙を極めておられるのであろう。

一息入れて二戸に向う。市内に入って、民俗資料館というのがあったので行ってみたのだが、閉館だった。別の窓口で、九戸城のことを訊いたら、SUN号でも安心してゆける道を教えて頂いた。直ぐに到着。

九戸城はスケールの大きな城だった。6万余の秀吉の軍を敵として戦った九戸政實の思いが伝わってくる感じだ。もともとは南部家の中の正統争いが絡んでおり、中央政権に対する政實の判断遅れが、謀反人として秀吉に敵対する結果となったようなことであり、戦の真実などは歴史の流れでその正邪などは判別できないような気がする。結局戦に破れた政實は反乱者として悪者になり、首を切られることとなった。その後、この城は手を加えられて南部宗家の当主となった南部信直が入城し、盛岡に移るまでの間南部家の本城として、福岡城と改称され、その役割を果たしたということである。

以前高校野球で、岩手県代表として福岡高校というのが出場したことがあるが、何で岩手なのに福岡なのかな、などと思ったことがあったが、福岡高校はここ二戸では名門校なのだ。その校名はこの城の名称に拠るものということがわかった。

本丸、二ノ丸跡は公園になっていて、それらを1時間以上かけてゆっくり散策した。城跡からは、馬淵(まべち)川に沿って発展した二戸の町並みが一望できる。政實公はここに立て籠もって、どのような思いで眼下の6万余の大軍を見下ろしたのであろうか。敗因は策謀によるものだったと聞くが、組織における人心というのは、なかなか一枚岩とはゆかなかったのであろう。

  

  九戸城本丸跡の景観。夏草や兵者(つわもの)のどもが夢の跡、といった感じがした

車に戻ってしばし休憩の後、今日は九戸村にあるふるさと館という所に入浴施設があるというので、そこへ行って風呂に入り、折爪の道の駅に泊ることにして出発。16時少し前、ふるさと館に着いたのだが、何と今日はお風呂の掃除日となっていて、開場が18時からだという。かなり待たなければならないので、少し迷ったが、邦子どのが天ぷらを揚げてくれるというので、風呂がOKとなるまでの間、待つことにした。ここは村の一大福利厚生施設のようで、湯っこという入浴施設の他に、体験学習施設やパークゴルフ場などもあり、なかなかいい所である。今回はパークゴルフの用具を持参しなかったのは失敗だったなと思った。やがて少し早やめに開場して頂いて、入浴。天ぷらは冷めてしまうけど、道の駅に行ってから食べることにする。湯船からは九戸村の動脈のR340に沿って点在する民家の灯りが一望できる。ここは温泉ではないらしいが、いい入浴施設だった。

19時折爪の道の駅到着。珍しく遅い到着となった。構内につくばナンバーの車を見かけた。声を掛けるには遅きに失していて、最早就寝されたらしかった。天ぷらで一杯やって今日も終り。

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