村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

みぶのただみね

2015-02-24 20:41:44 | 三十六歌仙
百人一首30番
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし(古今・恋三・625)
壬生 忠岑


壬生 忠岑 みぶのただみね
貞観2年(860年)頃 - 延喜20年(920年)頃)は、平安時代前期の歌人。
三十六歌仙の一人。
身分の低い下級武官であったが、
歌人としては一流と賞されており、
『古今和歌集』の撰者として抜擢された。

(中略)
また、『大和物語』によると藤原定国の随身であったという。

後世、藤原定家、藤原家隆から
『古今和歌集』の和歌の中でも秀逸であると
作風を評価されている。
藤原公任の著した『和歌九品』では、
上品上という最高位の例歌として
忠岑の歌があげられている。

『拾遺和歌集』の巻頭歌にも撰ばれ、
通常は天皇や皇族の歌を置いて
儀礼的意義を高める勅撰集の巻頭歌に
忠岑の歌が撰ばれたのは、
彼の評価がそれだけ高かったからと言える。

また、歌学書として『和歌十種』を著したとされるが、
近時は10世紀後半以降、
『拾遺和歌集』成立の頃に忠岑に仮託されて
作られたものとみる説が有力である。
『古今和歌集』(34首)以下の
勅撰和歌集に81首が入首。
家集『忠岑集』を残している。
《ウィキペディアより》

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