村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

六月は酒を注ぐや

2024-06-03 21:39:53 | Weblog

 与謝野晶子
六月は酒を注ぐや香を撒くや 
春にまさりて心ときめく

三井記念美術館
展示室1にあった黒楽茶碗
重要文化財
「俊寛」シュンカン

俊寛は
平安時代の僧侶。
僧都。
康治2(1143)~治承3(1179)
祖父は大納言源雅俊。
父は仁和寺法印寛雅。
後白河院の信任を得た。

藤原成親,師光らは
俊寛の鹿ヶ谷 (ししがたに) の山荘に会合して
平氏打倒のための相談をしたが (→鹿ヶ谷事件 ) ,
多田行綱の密告によって発覚し,
治承1 (1177) 年6月逮捕されて
共謀者藤原成経,平康頼らとともに
薩摩鬼界ヶ島に流された。
翌年中宮御産の大赦により,
成経と康頼は京都に召還されたが,
俊寛は許されずに島に残された。

俊寛は
能の曲名でもある。
四番目物。
五番立の能の
神,男,女,狂,鬼の
狂にあたる。

中宮の安産祈願のため,
大赦を伝える赦免使 (ワキ) が
鬼界ヶ島へ下る
島では,
流人の丹波少将成経 (ツレ) と
平判官康頼 (ツレ) が,
熊野三社を勧請して都への帰参を祈る。
俊寛 (シテ) は
道迎えに2人に酒をすすめて
都をなつかしむうちに,
赦免使の船が着き,
成経,康頼の大赦を伝える。
赦免状にわが名のない俊寛は驚き悲しむ (クセ) が,
赦免使の船は成経と康頼を乗せ,
船にすがる俊寛を残し,
都でとりなすと約しつつ去っていく。

同じ題材で浄瑠璃では
享保4 (1719) 年8月に
近松門左衛門作『平家女護島』が
大坂で初演された

利休が手に取っただろう
黒楽茶碗 俊寛
いまでもまな裏に残っている


写真はヤマボウシ

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