村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

金太郎

2015-05-02 23:35:26 | お勉強
写真は 金太郎と熊

最近金太郎と桃太郎と浦島太郎の
テレビCMをよく見る

金太郎とは

<伝説>
金太郎にはいくつも伝説が存在する。

静岡県駿東郡小山町の金時神社
(金太郎が祭られている神社)に記されたものによると、
天暦10年(956年)5月に誕生したという。
彫物師十兵衛の娘、八重桐が京にのぼった時、
宮中に仕えていた坂田蔵人と結ばれ懐妊した子供とされる。
八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、
坂田が亡くなってしまったため、
京へ帰らず故郷で育てることにした。

成長した金太郎は
足柄山で熊と相撲をとり、
母に孝行する元気で優しい子供に育った。

そして天延4年3月21日(976年4月28日)、
足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、
その力量を認められて家来となる。
名前も坂田金時(きんとき)と改名し、
京にのぼって頼光四天王の一人となる。
なお、他には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が四天王に名を連ねる。

永祚2年3月26日(990年4月28日)、
丹波の国、大江山(現在京都府福知山市)に住む
酒呑童子を退治する。
酒呑童子は都に訪れては悪いことをするため、
源頼光や四天王たちが山伏姿に身をかえ、
神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って退治した。

坂田金時は寛弘8年12月15日(1012年1月11日)、
九州の賊を征伐するため築紫(つくし・現在北九州市)へ向かう途中、
作州路美作(みまさか)勝田壮(現在の岡山県勝央町)にて
重い熱病にかかり死去。
享年55だったという。

勝田の人々は金時を慕い、
倶利加羅(くりがら、剛勇の意)神社を建てて葬った。
その神社は現在、栗柄神社と称する。

以上が金時神社に記された金太郎の伝説である。
《ウィキペディアより》





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藤原氏

2015-05-02 00:18:43 | Weblog
写真は平等院の藤棚
平等院は藤原道長の子の頼通が
1052に道長の別荘宇治殿を寺院に改めたという
藤は藤原の藤だ


藤原氏は
姓の代表的なものの一つとして
源氏・平氏・橘氏とともに
「源平藤橘」(四姓)と総称され、
その筆頭名門氏族である。

中臣鎌足が大化の改新の功により
天智天皇に賜った「藤原」の姓が、
子の藤原不比等の代に認められたのに始まる。
鎌足が中臣氏の出身であるため、
祖は中臣氏と同じく天児屋命と伝える。

奈良時代に南家・北家・式家・京家の四家に分かれ、
平安時代には
北家が皇室と姻戚関係を結んで
摂関政治を行った。
藤原氏の一族は、
奈良時代から平安時代までは
本姓の「藤原」を称したが、
鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、
「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」
などの苗字に相当する家名を名のり、
公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった。
これらをあわせると特に朝廷における比率は圧倒的であり、
地方に散った後裔などもふくめ、
日本においては皇室(およびその流れを汲む源平など)に次いで
大きな広がりと歴史を持つ家系である。
《ウィキペディアより》




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