この連休中に炉から風炉へ
道具を変えるが
やる気が出ない
一昨日お弟子様のサカチカさんが
いつでもお手伝いしますとのラインあり
初風炉まで三日間あるが
この調子では独りじゃやらない
お言葉に甘えてお願いすることにした
早めに仕事すれば良いのに
来てくれるという一時まで
ぎりぎり動かず
三十分前から
のそのそと動きだす
ずっと仕事してました雰囲気で
炉の灰を掃除して
炉を塞ぐが
たいした仕事をしてないので
怠けていたのはすぐバレた
使っていた炉釜の
透木釜と手取釜をしまい
押入に入ってる風炉を出す
さて 朝鮮風炉にしようか迷ったが
灰器を使う方が炭手前の勉強になるから
雲華の道安風炉と
眉風炉にした
風炉灰に前瓦、
敷瓦や五徳に敷板
奉書も忘れてはならない
蓋置と柄杓を風炉用に変えて
棚の上の
羽根を皆取り出し
ナフタリンを入れ替えラップする
この作業は半年ごとに
毎回サカチカさんが必ずしてくれる
でないと羽箒は虫にやられる
次は香合
前回の自粛中に私が
炉の香合を月ごとに分けて紙袋へ
その月の袋を入れ替えれば
季節も気分も変わる
風炉のもそうすれば良いが
思っただけでしてない
サカチカさんに月ごとに分けてもらった
お稽古に使う用の五月の香合
いつ買ったのか
みたことのないのもあった
そのうち五つくらい箱から出しておいたので
どれでもお好きなのをどうぞ
茶碗
水指も変えた
銘々皿も
水次も薬缶も
写真は
奉書を出そうとしたとき出てきた
近衛信伊の短冊
極め札もついてるけど
頗る怪しいと思って
紙類のところに置いておいたもの
忘れてた
春の夜や宵あけぼのの其中に
蕪村
四月もはや明日は十日
もうすぐ春とは言えなくなる頃合いになる。
今日は大仏の日・大仏開眼の日
聖武天皇の発願で
745年(天平17年)に制作が開始され、
752年(天平勝宝4年)のこの日、
奈良・東大寺の大仏が完成し、
開眼供養会が盛大に行われた。
明日(4月10日 )は
女性の日(婦人の日・婦人参政記念日)
今日は南方録の勉強に
新橋まで。
人が多い。
茶入の袋のはずし方
せい高き茶入は袋を下へ、
低き茶入は茶入を上へ
と覚書三十にあり。
先日、社中で柄杓の湯返しの件で質問があった。
改めて調べて見ると。
棚の根本は台子にあり。
普通の棚の場合は
台子・長板に準じ、
荘る、荘らないにかかわらず
湯返しをする。
運び棚は何れも湯返ししない。
写真は御覧の通り
ペコちゃんの藤娘
今日はアイさんのお宅へ
アイさんは今年86歳
宗栄先生が亡くなるまで
一緒にお稽古していた
一度か二度お宅に伺ったことはあるが
十何年か振り
迷わないと思っていたのだが
曲がる道を間違えて
しまった
たまに
どうしてるのとお互い電話して
一時間の長電話をする
月に一度だけれど
おうちでお茶のお稽古をしてるとのことで
今日 遊びに行くことにした
四畳半の茶室では濃茶点前
隣の洋間には点茶盤に瓶掛に銀瓶
各自茶箱を持参して
月の点前をするのだそうだ
皆さんそれぞれ立派な蒔絵の茶箱
お一人は桐に木目込みで
手毬の文様を入れたもの
好みを注文したそうだ
初めて見た
いつもは五名集まってお稽古してる
メンバーは
もと教師のTさん
歯医者の先生
不白流のSさん
九十歳の方は今日はお休み
アイさん入れて五名
いつも
点前の本を見て研究しながら
今出来ることを
楽しみながらしているのと
大きな声でお喋りしてる
平均年齢は物凄く高いらしい
飾り気のなく明るい雰囲気
活気がある
暫く会ってないので
アイさんが心配でもあったのだが
しあわせなアイさんと
暖かいお友達を見て
私自身が元気になった
写真はアイさんの掛物
白珪尚可磨ハッケイナオミガクベシ
白珪とは白く清らかな玉
完全無欠な玉をも
なお磨き続けるべし
終わりなく
磨き続ける
これでいいと
止めないこと
偉いね
中々出来ないもの
明治時代に
外来種の西洋タンポポが入ってきたが
在来種の日本タンポポは
鼓草ツヅミグサとも
蕪村の俳句にもこうして登場
英語ではダンデライオン
漢字では蒲公英タンポポ
今日は大炉を開く予定
本勝手の炉を塞ぐ
後炭所望に使った焙烙ホウロクを終う
炉の大きさは
昔は色々あり
決まっておらず
利休の頃より一尺四寸となり
大炉は宗旦が
一尺八寸四方と定めた
と言われる
大炉は
玄々斎が
1849嘉永二年に
知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)を
迎えて献茶の折
茶室咄々斎の暖のために
隣の六畳間に大炉を切られ、
薄茶もここで行われた
とネットにあった
以前 先生から
この六畳を待合にし
暖房の為大炉にした
のだと聞いた
「大炉は一尺八寸四方
四畳半左切が本法なり
但し、六畳の席よろし」
二月に限り開き
炉縁は北山杉木地丸太、
炉壇は聚楽土に
墨を混ぜた鼠土で
灰色に仕上げます
と
写真は母貝バイモ
もう芽を出している
それもけっこう伸びて
暖冬なのだ
開門落葉多カイモンラクヨウオオしの軸と
竹一重切の花入
雲龍榛ウンリュウハシバミと西王母
見事な枝振りである
雲龍榛ウンリュウハシバミってどんなの
スマホで調べようと
探すと
2016年12月の拙ブログに写真が出ていた
その枝を持ってきて下さった瞳様
ちょうどその頃にその木を買って
庭に植えたそうだ
もう三年経った
居心地の良いお庭にすっかり定着したことだろう
雨を聴キいて寒更カンコウ盡ツクシ
開門落葉多カイモンラクヨウオオシ
11月には必ず登場する
この対句
サラサラと出てくるように
覚えよう
背中合わせに入れるのは
何故か
濃茶入には
亭主が用意したお茶
棗には
客が用意したお茶を入れる
茶通箱は回して扱う
背中合わせにすると
回して方向が変われば
どちらも正面を向いている
つまり同格
差をつけず同格に扱うという意味で
背中合わせにするのだと
これで茶通箱に入れる時は
背中合わせだ
悩むまい
今日は
千葉のお寺で法事
母の三回忌
一緒に従妹の典ちゃんの三回忌
快晴
5月だが夏日
心地良い風が吹き来る
子供の頃から貧しかったので
家族旅行などは一度もなかったが
お墓参りや法事には
行かないと叱られるので
年に何度か出かけた
家族や親戚と出かけるのは
面倒で嫌だった
でもお寺に来ると
まわりの景色や若き家族の集うさまを
懐かしく思い出す
思えば揃ってお寺に行くのが
唯一の娯楽でもあったのだ
写真はお寺の銀杏の大木
薫風自南来
殿閣生微涼
つひ明けやすき丸寝かな
芭蕉
今日は月に一度の茶の稽古
風炉になり初めての稽古だ
初炭に四ヶ伝の唐物に台天目と盆点
初風炉には堆朱の香合を使うと
エス先生に習ったが
今日の先生も
初風炉の香合は堆朱や堆黒だと
教えて頂いた
点前の三要素
1.位置の決定
2.順序
3.動作(働き)
基本にかえり確認しよう
今日は朝から具合が悪かったが
お稽古の途中からなんとなく熱っぽい
お稽古のあとにはお食事会だったが
それには参加せず帰ることにした
早く帰って
家で寝よう
重陽の節句
「高み(丘や山)に登り、
茱萸をつけて、菊花酒を飲む」
という古代中国の風習がある
又菊の香りが邪気を祓い、
長寿をもたらすとされて
菊の着綿がある
着綿とは
重陽の節句の前日に
菊に綿をかぶせるそして
夜露と香りを移し
翌日その綿で体や顔をぬぐう
そうすれば
顔を拭くと老いが去り、
体を拭くと長寿になる
そうだが
着綿には綿の色が決まっている
紅の菊には 白い綿
白い菊には黄色に
黄色の菊には紅に染めた綿をかぶせる
と聞いた
写真は
きのう水道橋の宝生能楽堂へ行く途中の
左の角にある喫茶店
ニューヨークカフェ
写真の左側の店だ
お能の開演時間には早かったので
ここで軽く食べて
珈琲を飲んだ
お店で
横にいた外国の人もお能を観ていたという
日本の伝統芸能だが
お客さまの平均年齢は高そう
日本人なら
伝統芸能を大切に
義務教育の時にでも勉強できたら
よいのにねえ
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死ぎらひ 一茶
昨日は母の通夜
今日は葬儀
親戚だけの家族葬は
無事に終わった
もう心配事は何もない
母の毎日を心配することはない
介護する私と妹が
もし病気になったり
怪我をしたら
母の介護は
どうしようと思っていた
その心配もない
あとは自由だ
家に戻ると
明日のお稽古のしたく
灰型を作らねば
冷房を23度にして
道安風炉と眉風炉の灰型つくり
テレビも音楽も聞こえない
エアコンの音だけする
灰型つくりに段々引きこまれ
灰匙を持って30分くらいで
二台完成した
雑念はいつの間にやら
失せたようだ
灰匙をひくこと
それだけ
思って
お茶があって良かった
することが
沢山あるから
しなければならない
事もたくさん
行かなくてはならない
茶会や美術館も
お茶をやっていて
ほんと
良かったと
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法水とは
清浄な法を水に譬タトえ、
写瓶とは
瓶から瓶へ水をうつすこと。
血脈相承をあらわしている。
伝承する人が変わっても
法は不変であることを、
容器が変わっても
中の水は不変であることをもってあらわしている。
茶の稽古をするというのは
まずは
一に写瓶
師の教えをそのまま
一から十 我が身に移す
自分勝手に変えたり
ぼんやりして見逃したりしない
ただそっくりそのまま移す事が重要だと
先生は仰る
学びはまねび
素直にまねる事をめざして
日々の稽古を励もうではないか
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茶杓の銘にあり
さて意味を説明しようと
奈良の枕詞よ
としておくが
ホントは中々難しい
万葉集の歌が有名だ
青丹よし奈良の都は咲く花の
におふがごとく今盛りなり
小野老オノノオユ
青丹よしは奈良の枕詞
青丹という色があり
青丹という重ねもある
万葉集の時代に花というと梅だが
桜のイメージが強い
菓子にも
青丹よしという干菓子がある
なんだかわからないから
またにしよう
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初夢だ
一富士
二鷹
三茄子
四扇
五煙草
六座頭
一富士はなんといっても日本一
無事という意味も
二鷹は高みを飛ぶ
三茄子は成す
四扇は末広がり
五たばこの煙は高く上がる
六座頭はケガ無い
てな感じだが
最近夢を見なくなったので
今夜も見れるかどうか
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風も無く暖かく明るい元日だった
この日の朝は元旦
千宗旦は
元旦に生まれたので
宗旦という
千 宗旦
せん の そうたん
1578年2月7日(天正6年1月1日)
- 1658年12月19日(万治元年11月19日))
父は利休の後妻
千宗恩の連れ子千少庵、
母は利休の娘お亀であり、
少庵の京千家を継いだ。
千家3代。
酉年の1年が始まった
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小習いの稽古いろいろ
貴人点
実際に御貴人様に
お茶を差し上げることは
殆どないし、
これからもないだろうが
もし
そういう方がいらしたら、
どうおもてなしをするかを
勉強するのだ
日ごろから
お客様は貴人様だ
と思いおもてなしをしよう
その時の
体の動きと
心のはたらきをちゃんと考え
勉強する点前なのだ
写真は雲龍榛ウンリュウハシバミと
初音という名前の椿
外は雨
音立てて雨が降る
風も強い
武蔵野を横に降る也冬の雨 漱石
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ちひさき鳥のかたちして
銀杏ちるなり
夕日の岡に
与謝野晶子
今年も銀杏を頂戴した
月に一度の茶の稽古である
先日松山城での茶会があったが
空から瀬戸内海や淡路島が見えたことから
大八洲オオヤシマ
が話題に上がった
古事記や大八洲のこと
知っているような
知らないような
結局
よく分からない
大八洲
おおやしま とは
日本の古称。
国生み神話に由来する国名。
『古事記』では,
イザナミノミコト所生の
淡路,
伊予 (四国) ,
隠岐,
筑紫 (九州) ,
壱岐,
対馬,
佐渡,
大倭豊秋津島 (本州) の
8つの島から成る。
とのこと
だ…
床の花は
満作と白玉椿
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