新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

«落ち穂ひろい» 実は穏やかな絵ではなかった····

2022年07月02日 | テレビ番組
林先生の「名画ミステリー」を録画予定でしたが忘れていました。でも大丈夫、お助けアプリがあるのです。

解説は山田五郎さん。ぶらぶら美術館でもお馴染みですが、とても分かりやすいのでずっとファンです。

この中で目新しかったのが、フェルメール«窓辺で手紙を読む女»の修復で後ろの壁に浮かび上がったキューピッドの画中画。それがなぜ消されていたかについてでした。
それは売買の段階で「売れない画家フェルメールの絵ではなく、国民的な画家だったレンブラントの作品に見せかけて高額で売りたかったから」というものでした。
現地ドレスデンで見たこの作品にはキューピッドはありませんでした。
修復された絵を見て背景が賑やか過ぎ、余白の美として修復されないほうが良かったのに・・・。
でもフェルメールには「恋文」の意図があって描いたもの。消されていた部分が表れてきっと喜んでいるでしょう。

ミレーの«落ち穂ひろい»はソフトな色使いと農婦の穏やかな雰囲気が伝わって私の好きな絵のひとつでした。
オルセー美術館で感動したし、近くの美術館で開催された時のバスカードが残っています。

···が~、実はこれが穏やかな収穫風景ではなく悲しい状景だったのです!
1948年の2月革命の年に製作されたミレー«箕をふるう人»は、農民を生き生きとリアルに描写したことが、革命と結びつけられて高く評価されました。
これがもとでミレーは単なる農民画家ではなく、歴史画家としての夢も捨てきれないでいたのです。

麦畑の「落ち穂」は刈り入れで落ちた穂ではなく、キリスト教の教えでもある「意図的に」残された穂、福祉の一貫として落とされた穂だったのです。
3人の女は夫や働き手を失ったかわいそうな人たちで、恵みのために落とされた穂を集めていたのです。背景の刈り入れ風景には、働く人や馬に乗った管理者も描かれています。

ミレーは「ただ農民を描くのではなく、キリスト教の教えを埋め込むことで、歴史画家としての一面ものぞかせる」という手法をとったのです。

紹介された8作品のうち唯一実物を見ていないのがムンク《叫び》です。
強烈な印象を残すこの作品は、「叫んで」いるのではなく、実は「耳をふさいでいる」のでした。

過去に妹や母の死に直面したことから死への恐怖心、女性関係にだらしがなかったムンクが必要以上に女性を恐れていたこと、このことで常に不安を抱えており、「自信の心の中の叫び」「自然を貫く果てしない叫び」にさいなまれていました。その叫びから逃れようと耳をふさいでいたのです。
叫ぶとふさぐは全く逆ですが、この色とタッチと構図には、見ている方が不安になるほど強烈な印象であることには変わりません。

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今日のおやつは昨日作ったギモーヴです。



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