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未唯への手紙

未唯への手紙

ライブラリアンの存在感

2019年01月13日 | 6.本

『ライブラリアンのためのスタイリング超入門』より
図書館は世界の中心……ではない
 図書館業界の中にいると、私ですら世界がまるで図書館を中心に回っているかのように錯覚することがあります。仕事の現場に限らず、SNSでのつながり、リアルでつながりの多くが業界人で占められているため、どこどこの図書館が新館オープンした、○○さんが本を出版した、○○先生のこんなセミナーに参加した、○○図書館を見学した、といった情報が、あたかも重要なニュースのように耳に入ってきます。示し合わせてもいないのに、セミナーでは何人もの知り合いに会います。メディアの報道にしても、誰かがシェアしたものが真っ先に目につきます。「へえ、図書館ってこんなにニュースになるほど世の中に認知されているのね」、などと感じることもあります。
 私たちはあまりにも図書館業界にどっぷり漬かりすぎていて、実は業界外の人に図書館がどう見えるのかがわかっていない場合も少なくありません。
人間は集団の中で平均に近づこうとする
 アラン・ビーズとバーバラ・ビーズは『自動的に夢がかなっていくブレイン・プログラミング』の中でこう書いています。
  よくいっしょに行動する友人が5人いると、好むと好まざるとにかかわらず、あなたは「その5人の平均的な存在」になる。
  あなたが友人グループのなかでいちばん成功した人物だとすると、つねにグループの友人からの暗黙のプレッシャーにさらされて、いつのまにか、あなたの収入も、業績も、持ち物も、人生に対する姿勢も、グループの平均レベルになる。
 つまり、似た者同士のコミュニティに埋没していると「自分の外見や雰囲気もそのコミュニティの平均にどんどんどんどん近づいていく」のです。地味な集団にいれば、自分も自然にそうなっていきます。
 地味地味というけれども、おしゃれにはシックなおしゃれというものもあるし、ナチュラル系のおしゃれもあるじゃないかと思うあなた、それはそのとおりです。しかし、ここでいう「地味」はニュアンスが異なります。戦略も立てずに、ただなんとなく存在感を消しているという意味だと理解してください。
 同質のコミュニティだけにいると自分もその平均に近づく。たまにアウトライアー、つまり「外れ値」なおしゃれな人がいても、あの人は例外だから、変わっている人だからと思って気にしません。そして、生き方もどんどんどんどん平均化していき、自分の今いる世界が当たり前になってきます。
 これは一般論ですが、日本社会はいま、いたるところにこの罠が潜んでいると私は感じています。似た者同士で本当に手軽に情報が共有できるので、ともすれば異質な人、グループを無意識のうちにいじめてしまいやすい社会です。
 ですから、異なる文化的背景をもった人、外国人、異なる価値観や考え方の人、そうした人たちとはとにかく意識的に交流すべきだと、私は常々思っています。
業界外の人にライブラリアンはどう見えるか
 では、ふだん図書館になじみのない人には、ライブラリアンはどう見えるのでしょうか。つまり、ごく普通の世間一般の人の認識はどのようなものなのでしょうか。
 イメージコンサルタントの竹岡さんは、私と出会うまで「図書館業界」というものが世の中に存在することすら知りませんでした。確かに一般の人は図書館自体の存在は知っていても、その背後に専門職の集団とそれをマーケットとするビジネス業界があるなんて、あまり想像しませんよね。
 竹岡さんは私の紹介で何人かの図書館関係者にスタイリング指導をしたり、講演会の講師を務めたりしたこともあり、徐々に図書館関係者の知り合いが増えてきました。
 そこで彼女が認識したのは、「ライブラリアンは総じて知的で、いろいろなことを知っていて、それを表現する語彙も普通の人に比べて豊富。話もとても面白い、非常に魅力的な人が多い。しかし、残念ながら多くの人の場合それが外側に現れていないので、わかりにくい。そこが大変もったいない」ということでした。
 ある時、彼女を連れて、彼女が居住する都内のある公共図書館の現場に出かけました。その図書館は来館者も多く、若いビジネスマンの姿も見られる、業界では比較的評価の高い図書館です。オーソドックスな昔ながらの古い建物ですが、多文化サービスなどにも力を入れていますし、平日の夕方でもかなり賑わっています。その日もカウンターまわりは本の貸出や返却の手続きを待つ人が15人ほど列をなしていました。カウンターの職員の方々は黒いベストと黒い前掛けというソムリエのような制服に身を包み、利用者には丁寧に接していて、誠実に真面目に仕事に取り組んでいるように私には見えました。
 ところが、竹岡さんは、しばらくカウンターで貸出や返却に対応する何人かの職員の方々を遠巻きに観察していたかと思うと、小さな声でこう言いました。
 「あの人たち、大学で図書館学か何かの勉強をしてきた人なんだよねえ?
 とてもそんな風には見えないわ」
 「あれじゃあスーパーの店員と何も変わらないじゃない」
 素朴かつ単刀直入に問い続けます。
 「なんて皆あんなに無表情なの? 笑顔がないの?」
 「何か困ったことがあっても、相談できるような気がしない」
 「相談に乗ってくれる能力が彼らにあるなんて、あの雰囲気から誰も想像できないよ?」
 図書館をふだん利用しない人が、先入観なしに公共図書館の職員を見ると、なるほどスーパーの店員と同じように見えるんだ。私は少なからずショックを受けました。
 スーパーの店員だって立派な仕事じゃないか、そんなの職業差別だ。そのとおりです。でも、だとすると一般の人が、ライブラリアンは資格があろうがなかろうがある程度の訓練で誰でもできる仕事だという印象をもったとしても、それを責めることはできません。
 よくよく観察すると、竹岡さんの言わんとすることがわかる気がしました。ひとことで言うと、そこにいた人たちは、
  「自分を大事にしていないという信号をぼんぼん発している」
 のです。
 制服に身を包んでいるのはいいとして、ただ制服を着ているだけ。女性はメイクをしていないし、男女共に前髪が長すぎる、後ろで束ねた女性の髪はぴーんとした直毛、くたびれた靴を履いている、などなど。そのほかの身なりはなんとなくそれなりであまり関心がない、つまり、自分を大事にしていないという情報しか読み取れないのです。
 自分を大事にしていませんという情報は、利用者である顧客にすぐに伝わります。そうすると人によっては「この人のことは軽んじてもOK」という刷り込みから、横柄な態度で接したり、理不尽な要求をしたりします。そこまでいかない場合でも記憶の中に「これがライブラリアンなんだ」というイメージが定着し、それが知らず知らずのうちに社会的評価につながっていきます。
 一方で、無表情問題については、これは、どんなにマナー講師に来てもらって無理やり口角を上げるトレーニングを受けても、モデルでもないかぎり意図的につくるのは難しいでしょう。笑顔は余裕と自信と楽しい気分から自然に生まれるものだからです。逆に言うと、生真面目に頑張っているから笑顔を見せる余裕もない。しかし、「あなたに向かって話していますよ」という意思が伝わらないので、利用者は目の前にいるこの人がまさか調べ物などの高度な相談に乗ってくれるとは思えない、つまりレファレンスサービスの能力があるようには見えないという印象を与えてしまっているのです。
 図書館におけるレファレンスサービスの研修を受けたことがある人は「利用時の思い込みをできるだけなくす工夫をしましょう」と指導されていると思います。こんな質問は受け付けてくれないのではないか、こんなことに答えるほど高度な能力はないのではないかなど、利用者にはライブラリアンに対するさまざまな思い込みがある。だから、たとえばカウンター付近を行ったり来たりしている人にはこちらから積極的に声をかける。最初の質問を額面どおりに受け取らず、本当に聞きたいことは何かを知るまでインタビューを繰り返し行う。そんな風に研修では教わります。大学の授業でもおそらくそう習ったでしょう(私も記憶にあります)。
 しかし、先に竹岡さんが受けた印象、つまり見た目の雰囲気で最初に「相談できる気がしない」という印象をもたれ、多くの潜在的な利用者から心のシャッターをガラガラと下ろされているとしたら、これは大変もったいないことです。
 このようなことを言うと「いやいや、自分は図書館にそんなものは求めていないし、外見なんかどうでもいいから、専門性のあるサービスをきちんと提供してくれればそれでいい」と断言する利用者も必ずいるでしょう。しかし、そうした「図書館サポーター」の方々は、本来の利用者のごく一部にすぎません。


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