未唯への手紙
未唯への手紙
井上の日独伊三国軍事同盟反対の理由
『海軍大将 井上成美』より 井上の日独伊三国軍事同盟反対の理由
戦後の昭和二十年十二月から翌年一月にかけて都合四回にわたり、開戦前後の海軍首脳二十九名を集めて、特別座談会が開かれた。
席上、日独伊三国軍事同盟に日本海軍が賛成した経緯について、出席者の問で活発かつ率直な論議がたたかわされた。
吉田(善吾) 私は十四年八月から十五年九月初迄(海軍)大臣をやったが、在任中同盟の話は出なかった。近衛内閣組閣前、首相と私と東条、松岡が荻外荘で会談した時、枢軸強化の話が出たので、それは結構だが同盟なんて夢想だにせぬと言って置いた。前米内内閣は陸軍のために倒されたのだ。当時南方に一気に突っ込んで取ってしまうという空気もあったので、これにも一本釘を刺しておいた。就任後独伊と情報交換および宣伝を緊密にやるという案が外陸海関で出来ており、これで律しようと言う事になったが、この意見が一向に実現しないで東条と二人で松岡に催促したが、松岡は実行しない。その内私は病気で引き入れ入院中突然同盟成立を聞き、余りに早いのでびっくりした。スターマー(独外相特使)はその三ヵ月前に日本に来たことがある。そこでこれはてっきり陰謀で出来たと直感した。
同盟については、陸軍、松岡らの間で早くから話が進められていたと思われる。スターマーが来た時、松岡らは一週間余りも見えなかったが、この間に陸軍らと一緒に決めてしまったのではないか。正面からでは海軍の反対で駄目と思って、裏から来たのだろう。東条の案でもなかったろう。下の方の暗躍組で作って、成案として持ってきたのではないか。
私は松岡は気狂いとみている。彼を外務の要職に就けたのは大失策である。一旦要職に就けたら権限があるので、なかなか反対は困難である。
豊田(貞次郎)……即ち支那事変解決の為、日本の孤立化を防ぐため、米参戦を防止するには、ソ連を加えて四国同盟の他なく、この度は自動的参戦の条件もなく、平沼内閣当時海軍が反対した理由はことごとく解消したのであって、出来た時の気持ちは他に方法がないという事だった。
大野(竹二)、三代(辰吉) 軍令部としては、少なくとも一部長(宇垣纏)、一課(一課長中沢佑)、私は反対であった。……理由(は)結局自動的参戦の域を不脱。
近藤(信竹) 連絡会議の席上……松岡は米と戦争をせぬためのものだから、曲げて賛成して貰いたいと頼んだ。我々としては自動参戦は具合悪しと答えたところ、彼は和戦は天皇の大権に属し、国家が自主的に決するのでスターマーとも話か出来るという。そこで従来の海軍の反対理由はなくなり、次長として困ったことになったという気持ちであった。
榎本(重治) 松岡さんが大丈夫と言うので、押さえつけられてしまった。
竹内(馨)……近衛手記には、従来同盟反対なりしに、海軍が海相更迭後急に賛成云々の記事あ及川(古志郎) 先ほど豊田大将の言の如く、反対理由解消せり。但し陸軍の策動により海軍の反対理由を巧みに糊塗されしやも知れず。
豊田 当時陸海軍の対立極度に激化し、陸軍はクーデターを起こす可能性あり。延いては国内動乱の勃発を憂慮せられたり。何と言っても(陸海軍派は)車の両輪、股肱の皇軍として、かかる事態は極力避けなければならぬ。
及川 真に然り。
井上(成美) 先輩を前にして甚だ失礼ながら敢えて一言す。過去を顧みるに海軍が陸軍に追随せし時の政策はことごとく失敗せり。二・二六事件を起こす陸軍と仲良くするは、強盗と手を握るが如し。同盟締結にしても、もう少ししっかりして貰いたかった。陸軍が脱線する限り国を救うものは、海軍より他にない。内閣なんか何回倒しても良いのではないか。
藤井(茂) ここに考えねばならぬのは、日本の政治組織と当時の情勢なり。輔弼の責を有する外相、陸相の所掌に関し、その主張を押さえんがためには、天皇、総理の権限を要し、海相としては事故の責任外に逸脱せざる限り、よくなし得ざる所なり。また陸軍の政治工作に対抗し、何故海軍も政治工作をなさざりしやと言われればそれまでなるも、海軍は政治力貧弱にして、事務当局は政府、陸軍との接触面においては、刀折れ矢尽きて屈服せるものなり。
井上 閣議というものは、藤井君の言うが如き性質のものではない。海相と雖も農相や外相の所掌に関しても、堂々と意見を述べて差しつかえなし。閣僚の連帯責任とはこういうものだ。
意見が合わねば内閣は倒れる。国務大臣はそれが出来る。また海軍は政治力がないと言うが伝家の宝刀あり。大臣の現役大中将制これなり。海相が身を引けば、内閣は成立せず。
この宝刀は戒慎すべきも、国家の一大事に際しては、断固として活用せざるべからず。私は三国同盟に反対し続けたるも、この宝刀あるため安心していたり。
榎本 法理上より言うが、井上大将お説の通りなり。近衛公手記に、政治の事は海相心配せずともよい、とあるは公の誤解なり。
吉田 外交権と言うが常識に過ぎず。海軍でも外交委の事はどんどん言える。
井上 軍令部は政治に関係なきが如きも、三国同盟の如く最後に戦争に関係する件については、軍令部が引き受けなければ、大臣なんとも出来ぬ訳なり。
日独伊三国軍事同盟に無定見のまま同意した、当時の海軍首脳陣に対する井上の厳しい批判は、戦後になっても緩むことはなかった。
戦後の昭和二十年十二月から翌年一月にかけて都合四回にわたり、開戦前後の海軍首脳二十九名を集めて、特別座談会が開かれた。
席上、日独伊三国軍事同盟に日本海軍が賛成した経緯について、出席者の問で活発かつ率直な論議がたたかわされた。
吉田(善吾) 私は十四年八月から十五年九月初迄(海軍)大臣をやったが、在任中同盟の話は出なかった。近衛内閣組閣前、首相と私と東条、松岡が荻外荘で会談した時、枢軸強化の話が出たので、それは結構だが同盟なんて夢想だにせぬと言って置いた。前米内内閣は陸軍のために倒されたのだ。当時南方に一気に突っ込んで取ってしまうという空気もあったので、これにも一本釘を刺しておいた。就任後独伊と情報交換および宣伝を緊密にやるという案が外陸海関で出来ており、これで律しようと言う事になったが、この意見が一向に実現しないで東条と二人で松岡に催促したが、松岡は実行しない。その内私は病気で引き入れ入院中突然同盟成立を聞き、余りに早いのでびっくりした。スターマー(独外相特使)はその三ヵ月前に日本に来たことがある。そこでこれはてっきり陰謀で出来たと直感した。
同盟については、陸軍、松岡らの間で早くから話が進められていたと思われる。スターマーが来た時、松岡らは一週間余りも見えなかったが、この間に陸軍らと一緒に決めてしまったのではないか。正面からでは海軍の反対で駄目と思って、裏から来たのだろう。東条の案でもなかったろう。下の方の暗躍組で作って、成案として持ってきたのではないか。
私は松岡は気狂いとみている。彼を外務の要職に就けたのは大失策である。一旦要職に就けたら権限があるので、なかなか反対は困難である。
豊田(貞次郎)……即ち支那事変解決の為、日本の孤立化を防ぐため、米参戦を防止するには、ソ連を加えて四国同盟の他なく、この度は自動的参戦の条件もなく、平沼内閣当時海軍が反対した理由はことごとく解消したのであって、出来た時の気持ちは他に方法がないという事だった。
大野(竹二)、三代(辰吉) 軍令部としては、少なくとも一部長(宇垣纏)、一課(一課長中沢佑)、私は反対であった。……理由(は)結局自動的参戦の域を不脱。
近藤(信竹) 連絡会議の席上……松岡は米と戦争をせぬためのものだから、曲げて賛成して貰いたいと頼んだ。我々としては自動参戦は具合悪しと答えたところ、彼は和戦は天皇の大権に属し、国家が自主的に決するのでスターマーとも話か出来るという。そこで従来の海軍の反対理由はなくなり、次長として困ったことになったという気持ちであった。
榎本(重治) 松岡さんが大丈夫と言うので、押さえつけられてしまった。
竹内(馨)……近衛手記には、従来同盟反対なりしに、海軍が海相更迭後急に賛成云々の記事あ及川(古志郎) 先ほど豊田大将の言の如く、反対理由解消せり。但し陸軍の策動により海軍の反対理由を巧みに糊塗されしやも知れず。
豊田 当時陸海軍の対立極度に激化し、陸軍はクーデターを起こす可能性あり。延いては国内動乱の勃発を憂慮せられたり。何と言っても(陸海軍派は)車の両輪、股肱の皇軍として、かかる事態は極力避けなければならぬ。
及川 真に然り。
井上(成美) 先輩を前にして甚だ失礼ながら敢えて一言す。過去を顧みるに海軍が陸軍に追随せし時の政策はことごとく失敗せり。二・二六事件を起こす陸軍と仲良くするは、強盗と手を握るが如し。同盟締結にしても、もう少ししっかりして貰いたかった。陸軍が脱線する限り国を救うものは、海軍より他にない。内閣なんか何回倒しても良いのではないか。
藤井(茂) ここに考えねばならぬのは、日本の政治組織と当時の情勢なり。輔弼の責を有する外相、陸相の所掌に関し、その主張を押さえんがためには、天皇、総理の権限を要し、海相としては事故の責任外に逸脱せざる限り、よくなし得ざる所なり。また陸軍の政治工作に対抗し、何故海軍も政治工作をなさざりしやと言われればそれまでなるも、海軍は政治力貧弱にして、事務当局は政府、陸軍との接触面においては、刀折れ矢尽きて屈服せるものなり。
井上 閣議というものは、藤井君の言うが如き性質のものではない。海相と雖も農相や外相の所掌に関しても、堂々と意見を述べて差しつかえなし。閣僚の連帯責任とはこういうものだ。
意見が合わねば内閣は倒れる。国務大臣はそれが出来る。また海軍は政治力がないと言うが伝家の宝刀あり。大臣の現役大中将制これなり。海相が身を引けば、内閣は成立せず。
この宝刀は戒慎すべきも、国家の一大事に際しては、断固として活用せざるべからず。私は三国同盟に反対し続けたるも、この宝刀あるため安心していたり。
榎本 法理上より言うが、井上大将お説の通りなり。近衛公手記に、政治の事は海相心配せずともよい、とあるは公の誤解なり。
吉田 外交権と言うが常識に過ぎず。海軍でも外交委の事はどんどん言える。
井上 軍令部は政治に関係なきが如きも、三国同盟の如く最後に戦争に関係する件については、軍令部が引き受けなければ、大臣なんとも出来ぬ訳なり。
日独伊三国軍事同盟に無定見のまま同意した、当時の海軍首脳陣に対する井上の厳しい批判は、戦後になっても緩むことはなかった。
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