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未唯への手紙

未唯への手紙

ナチ支配のもとで オーストリアの「合邦」

2016年11月20日 | 4.歴史
『図説 ウィーンの歴史』より ナチ支配のもとで オーストリアの「合邦」

歓迎されるナチ・ドイツ

 ムッソリー二との合意により、オーストリアに対する自由行動の権限を得たヒトラーは、一九三八年二月一二日にオーストリア首相シューシュニクを、ベリヒテスガーデンの別荘に呼び出した。ヒトラーは軍事介入の脅しをかけ、さしあたりオーストリア・ナチ派のサイス・インクヴァルトを内相に採用することを強要し、シューシュニクはそれを認めざるをえなかった。それによってオーストリア・ナチは全面的な活動の自由を獲得した。

 三月九日にシューシュニクは自己の立場を守る最後の手段として、オーストリアの独立を守る国民投票を三月一三日に行なうことと決め、禁止していた社会民主党の勢力にも協力を求めた。社会民主党の労働者たちは、ウィーンの町中に国民投票への宣伝を広げたが、それは既に時を逸していた。

 三月一一日には、ドイツ軍は既に国境に集結し、いくつかの州都ではオーストリア・ナチが活動していた。シューシュニクは国民投票の撤回を指示し、首相を辞任した。大統領ミクラスはサイスーインクヴァルトに組閣を命じ、て一日の未明、ドイツ軍は誰もいない国境を越えてオーストリアに入った。戦闘態勢を整えオーストリアに入ったドイツ軍は、抵抗に遭うこともなく、逆に町や村では住民から歓迎の花を受ける。ある兵士の日記では「それは花戦争であった」と書かれていた。それは既にオーストリア・ナチの活動やドイツからの介入によって、地方の町村では、ナチ・ドイツを受け入れる準備と雰囲気が整っていたことを示す。

はためくハーケンクロイツ

 それは首都のウィーンにおいても同様であった。三月一二日のナチードイツ軍の侵攻に先んじて、同日五時には親衛隊長兼ドイツ警察長官ヒムラーがゲシュタポ長官のハイドリヒと共にウィーンのアスペン飛行場に降り立ち、主要人物の逮捕を指揮していた。当日既に数多くのユダヤの自殺者が出ていた。

 軍の侵攻の四時間後にオーストリアに入ったヒトラーは、夕方七時にリンツに到着、翌日には「ドイツとオーストリアの再統一法」を起草、ウィーンでの準備の頃合いを見計らって、三月一五日にハーケンクロイツの旗がはためき、沿道を群衆が埋めるウィーンに乗り込んだ。

 ヒトラーは王宮前の英雄広場で、新王宮のバルコニーから熱狂する群衆に合邦の成立を宣言した。合邦にはチリ、中国、メキシコと共和国スペイン、ソ連邦が抗議しただけで、ヨーロッパ諸国は、それを追認していった。翌日、ウィーンの市議会は解散され、議員は罷免された。新市長にはヘルマン・ノイバッハーが任名された。四月一〇日には合邦賛否の国民投票が実施され、ウィーンでは九九・五パーセントが賛成票を投じた。こうしてウィーンはナチ支配のドイツの一地方都市としての地位を与えられることとなった。そうした都市としてどのような動きと変化が表れたか以下に見ていこう。

組織的なユダヤ追放

 さらに、ユダヤの財産を奪っての追放と強制収容所への移送を組織化して推し進め、ウィーンのユダヤの壊滅を図ったのはアードルフ・アイヒマンであった。

 ドイツ人の父とオーストリア人の母を持ったアイヒマンは、幼少からリンツ近郊で育ち、青年期にはオーストリア・ナチの運動に加わった。一九三三年に一時捕まったが逃亡してミュンヘンヘ逃げた。ミュンヘンでは親衛隊の「オーストリア部隊」に入隊し、訓練を受けていたが、翌年一九三四年一〇月にベルリンの保安情報部に配属され、「ユダヤ人」、特にシオニズム組織の情報蒐集を担当した。

 一九三八年の「合邦」時に、上司ヘルバート・ハーゲンとともにウィーンにやってきて、ユダヤ教団の手入れ、その指導部の逮捕、収容所送りを強行した。その後、ユダヤの財産を接収した上での海外移民もしくは強制収容所への追放政策を組織化し、シオニスト・ユダヤの協力を得てその手続きを「ベルトコンベアー方式」で迅速に行なう仕組みをつくっていった。そのやり方は、極めて強引迅速でかつ「合理的」であった。

 ナチのユダヤ問題の指導者であったハイドリヒはウィーンでの追放方法を「アイヒマン・モデル」として、ドイツ本土および占領地地域にも導入することを提案し、認められた。

 ペルリンにはハイドリヒを長とする「ユダヤ移民のための帝国中央本部」がつくられ、ウィーンからはその指導のための人員が送られた。アイヒマン自身は同年七月に新たに占領したプラハに、「ユダヤ移民本部」を創設し、その指導に当たっていた。ウィーンからは何人かのシオニスト・ユダヤが随行していった。

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