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不平等研究から不平等対策に向かうのか

『格差と再分配』より すべてはこの本から始まった 『21世紀の資本』の原点 ⇒ 未唯宇宙のテーマの一つは、自由と平等をトレードオンにする政治体系です。分配の論理では格差はなくならない。

『21世紀の資本』の原点

 本書は、フランスの経済学者トマ・ピケティが2001年に刊行した3冊目の本であり、現在のピケティの仕事と経歴を決定づけた本でもある。英語版が予定されているものの、本書の翻訳としては日本語訳が世界初めてになる。

 トマ・ピケティといえば、今やロックスター経済学者ともいわれる著名人だ。その理由は、何と言っても、『21世紀の資本』が世界的なベストセラーになったことによる。ただ、世界的な、といってもブームに火が付いたのは英訳が出た2014年以降で、前年に出たフランス語版はさほど話題になっていなかった。

 英訳がブームの発火点になった理由は、ピケティ自身の研究から明らかである。要するに、英語圏ではトップ一%で測った富裕層への所得と資産の集中が著しく、不平等についての懸念が盛り上がっていたからだ。「ウォール街を占拠せよ」運動が始まったのは、2011年の秋。その時のスローガンは「我々は99%だ」というものだった。

本書の位置づけ

 本書は大部で記述は詳細だが、主張は簡潔である。フランスの所得は、賃金格差については安定的であり、所得分配の格差は主として資本所得から生じている。資本所得については1914年から1945年に圧縮されたことで全体の所得の平等化が進んだ。それゆえ、クズネッツ曲線が想定するように資本主義には所得・富の分配が不平等な状態から平等な状態へと「自然に」、「自発的に」変化する傾向は存在しない。むしろ、所得・富の分配は政治や歴史的偶然といった要因で決まる。それゆえ今後についても平等化が進むとは限らない。

 本書で注目すべきは、『21世紀の資本』で著名になる概念や方法がすでに使われていることだろう。たとえば、所得の不平等度について本書では、通常用いられるジニ係数ではなく、富裕層トップの1%に着目する独特の測定方法が使われている。また、先行研究としてのいわゆるクズネッツ曲線への批判も明確に述べられている。さらに、理論が先にありきではなく、データを収集・作成し事実をもって語らしめる方法が採用されている。第7章の国際比較は、まさに『21世紀の資本』へと直結していく仕事である。そこでは統計資料の不足から国際比較は困難としながらも、米国での事例はフランスとほぼ同様のパターンをしめしているという。『21世紀の資本』と比べると、r>g(資本収益率が経済成長を上回る)といった数式による不平等化の簡潔な理論的説明はないし、グローバル累進課税のような単純明快にすぎるくらいの政策提言もないとはいえ、ピケティの不平等研究の基礎は本書で確立したといってよいだろう。

 数学に秀でた経済理論家が、歴史家も顔負けの事実収集に打ち込む研究に「転向」したことはピケティに特異なことのように思われる。『21世紀の資本』で現在の経済学に対してピケティが批判的な見解を述べたことからも、ピケティの仕事は現在の経済学では例外のような印象を受けるかもしれない。しかし、こうした印象は正しくない。現在経済学では大きな変化が進行している。その変化の根底にあるのはコンピュータの計算処理能力とデータの利用可能性の向上である。かつて経済学では理論家にあらずんば人にあらずという風潮すらあった。たとえば、1973年に経済学者のアクセルーレイョンフーヴッドは、文化人類学者が経済学者の部族を訪ねたという設定で「エコン族の生態」という風刺論文を書いている。そこでは、理論家が学界の頂点から実証家を見下している姿が描き出されている。

 そうした時代は今や終わった。理論には重要な役割があるとはいえ、現在の経済学は、少なくとも最先端の部分ではデータサイエンス化しており、「現象」の解明の学問に変貌を遂げている。そうした変貌の象徴が実はピケティであり、『ヤバい経済学』で知られているスティーヴン・レヴィット(1967-)であったりする。ピケティは「実証の時代の経済学」を代表する存在なのである。

不平等研究の現在

 「新版への序文」でピケティ自身が述べているように、本書の研究を起点としてピケティは国際的に研究ネットワークを構築し、不平等研究は今や一つの知的運動となっているとすらいえる。本書の概要を英語で発表したのち、ピケティはLSE時代の恩師であり、不平等・貧困研究の現代での創始者の一人アンソニー・B・アトキンソン(1944-)、そしてピケティとよく似た経歴をもつエマニュエル・サエズ(1972-)との共同研究を活発に行なっている。2003年のピケティとサエズとの共著論文(Piketty and Saez2003)は、20世紀の米国での所得分配の動向に焦点を当てたものである。米国のトップ10%、あるいはトップ一%の所得の占める割合が20世紀の前半に減少し、そして後半に上昇していく有名な図はこの論文に掲載されたのが始まりである。また、ピケティのもとからは、タックスヘイブン研究で早くも単著のあるガブリエル・ズックマン(1986このような若手も着々と育っている。

 そうしたチームワークの結晶ともいうべきものが、2011年から構築が始まったWorld Top Incomes Datebaseであり、これは2015年にWorld Wealth and Income Databaseと名前を変えてさらに発展している。

 不平等研究は近年、さらなる広がりを見せている。まずピケティの恩師であるアトキンソンも一般向けの本を出した。『21世紀の不平等』と邦題のつけられたこの本は、『21世紀の資本』とは好対照である。アトキンソンの本では事実関係はかなり英国に限定されている一方で、不平等対策は14項目と広範囲にわたる。そしてピケティよりも教科書的でもある。

 次に比較研究は先進国間だけでなく、開発途上国も含んだグローバルな研究に及んでいる。ピケティらのグループと並ぶ不平等研究の拠点であるニューヨーク市立大学ルクセンブルク所得研究センターのブランコ・ミラノヴィッチ(1953-)は、近著『グローバルな不平等』で世界的に見るとむしろ平等化が進行していること、先進国においてもクズネッツ曲線のような平等化の進行と、現在のような不平等化の進行が景気循環のように繰り返すと論じて話題になっている。彼がピケティらの研究を意識していることは明らかだ。

 さらに、最近の欧米の経済論壇の話題といえば長期停滞論である。これはそもそも米国の元財務長官で現在でも政策論争をリードするラリー・サマーズ(1954-)が復活させたもので、経済危機後の世界経済の停滞を持続的な需要不足と診断したことがきっかけである。現在では、ロバート・J・ゴードン(1940-)が生産性の停滞を強調し、論争が起きている。興味深いのはどちらも経済停滞、経済成長と所得分配との関係を指摘していることだ。サマーズは、所得の不平等化が総需要を減らす経路を指摘し、ゴードンは所得の不平等化は生産性向上を阻害すると警戒している。

 本書から始まるピケティの不平等研究は経済学に一大潮流を作った。この研究は現代の政策論争に多大な影響を与えつつ、なお継続中である。本書はそうした経済学の潮流の現代の古典というべきであり、味読に値するといえよう。
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