未唯への手紙
未唯への手紙
項目の見直し 9.環境社会 オーラル2
9.3「グローバル化」
9.3「グローバル化」です。これが環境社会では大きなテーマです。グローバルに対して、グローバルのグローバルを対応させ、ローカルに対して、ローカルのローカルを対比させる。位相空間のカタチになります。
国に対して、超国家を対応させることで、本当に幸せになれるのか。個人が超国家にどうつながるのか。
ムスリムでは個人とアラーは直接、つながっている。それで幸せになっているのか。その間のコミュニティはどういう役割を果たすのか。実際問題として、宗派問題として、シーア派とスンニ派が在るのは確かです。だから、宗教も踏まえて、グローバル化に対してどう対応末うのか。アラブ社会での「オリーブの木」の発想です。地域の中で暮らしていく。だけど、このコミュニティ単位だと、国をすぐ超えてしまう。イスラム国ではないけど、国というものが意味を持たなくなる。
国ではギリシャとトルコでは連携できないけど、地中海沿岸の同じ価値観を持つ者として、コミュニティでは連携できます。レバノン人はドイツ人とは連携できないけど、ギリシャ人とは連携できる。アテレのソホクリスの世界です。
グローバルの中に企業の観点を入れ込みましょう。国よりも企業のグローバル化がベースになっています。グーグルとかフェースブックに言葉も国も関係ない。
9.4「サファイア循環」
9.4「サファイア循環」。急にサファイアが出て来るのかわからない。自分で書きながら。いよいよ、曖昧さをなくすための作業。中からやっていくか、小からやっていくのか。
第9章は上から見ていく。循環からみていくことで考えてきた。だから、サファイアの機能と空間を使って、循環を作り出していく。元々、サファイアは持続可能性のためにいかに循環するのか、その要素は何か、何を組み合わせていけばいいのか。
その配置をどうするかというところから作られているサファイアの考え方を社会に適応するとしたら、環境社会という持続可能な社会を作り出すために、最初にモデルありきでやっていく世界です。
第10章がなければ、それだけで済ませるけど、第10章で大きく変わっていきます。第10章は多くの人が生きられる、個人をどう変えていくのか、意識をどう作り上げていくのかのロジックになっている。いつも対比しながら見ていき、二つが合わさった世界がどうなっていくのか。
第9章と第10章はdual
第9章と第10章はdualです。それをどう表現すればいいのか、よく分かりません。例によって、ロジックだけを追ってみます。
ロジックで難しいのは課題です。今、限界を向かえている世界がある。ベースである民主主義は変わっていく。民主主義が多様化とグローバル化でいかに変わっていくのか。
多様になるのは、人が級数的に増えてきた。それぞれが独立している。自由が求めているものから始まっているのは確かです。
多様さを活かそうとすると格差が始まる。価値観が多様にして、てっぺんを多様化しても、格差は格差です。キリスト教のようにごまかしきれない世界に来ている。自由で格差が拡大していく。それをどうしていくかという以前に、それがどうなっていくかという予測。
単純に考えると、環境問題も含めて、超インフラの方に向かっていきます。税金問題一つとってもそうです。皆異なるものを画一的に抑えるのは無理です。格差が広がっていけば、インフレは起こります。国民国家はそれらを「自由」というところで抑えている。それが格差で抑えられなくなるので、新しい政治を考えないといけない、というところで一段落します。
企業のグローバル化
次に、グローバル化。これは国のグローバル化よりも企業のグローバル化の方が大きい。国という単位を容易に超えてしまう。超国家でやろうということになるけど、全体が大きくなるほど、格差が増すので、自由が制限される。
それ対しては、「未来方程式」ではないけど、シナリオを作っていかないといけない。バラバラなものをいかに、グローバル化とくっつけていく、やり方です。その方向が今、掴めていない。
9.5「サファイア機能」
取って、付けた理論としては、サファイアで循環と機能を当てはめてみます。個人よりも国のカタチを考えていこうという話です。地域の方針と対応策、国の方針と対応策でもって、それらの間をグルグル回していく。そして、スパイラルを起こさないようにする。ポイントは、従来のように国が回すのではなく、多様な地域が中心となって回すカタチになる。
機能はファシリテーション、インタープリテーション、インタープリテーション、リアライゼーションをどう配置するのか。その循環モデルになります。
その時に民主主義での9.5.4「合意形成」の仕方が難しい。いかに「多数決」でははなく、方向をどう決めるか。単位をなるべく、小さくして、結論を決めてしまう。あとはその間を人が動くこと。それとテーマも小さくして、組合せは1億通りにしていく。
9.6「共有意識」
そして、9.6「共有意識」になります。個別の人間よりも、シェアする形をどう持っていくのか。それで地域をどういうカタチにするのか。ベースとして個人の分化と地域の分化があります。それで変えていく。個人のベースで、多様化をもっと多様させていく。グローバル化の逆のローカライズで、大きな単位で示していく。
9.7「分化と統合」
分化でバラバラになるものをどう統合していくのか。やらかい統合をすることで、企業も行政も分化できる。バラバラでは、彼らは生きていけない。
企業の分化と行政の分化と書いてあるところは変えていきます。分化と統合では統合の方に企業も行政も動きます。中は分化するけど、外は統合の方に動きます。
9.8「環境社会」
最後は、9.8「環境社会」。ここはまだまだ収まっていません。仕事と教育と家庭という循環の中で見ていくのが手です。循環を変えていく時に、仕事と教育と家庭の循環を全て、変えていかないと、滞留が起こります。
そこで、「環境哲学」が出て来るのは、違和感があります。これを第10章に移しましょう。
9.8.2「環境哲学」
取ってつけたような「環境哲学」は第10章の「歴史哲学」との関係が大きい。
第10章はなにしろ、自分の生きている意味とか、生まれてきた理由からできている。与えられたものではなく、存在の力とか、生きるための目的を主にして作っている。完全に内なる世界の答です。
第9章は社会としてどう持っていくのか。サファイア循環は元々、仕事から出てきたものです。そして、皆が居るということで、販売店システムでの配置を考えてきた。
教育、仕事、家庭の循環
9章はサファイアの方に、教育、仕事、家庭の循環を加えて、持続可能なものとして、環境社会を描いて、皆に進めるものとしてやっていく。
第10章はそれとは異なり、個人がどういう世界を作っていくのか、宗教的な世界も意識して、あまり、タブらせずにより分けましょう。
環境哲学は哲学として、第10章に渡します。分化そのもののメインは第10章です。
第9章側に、教育、仕事、家庭の関係の循環を項目として入れます。人の配置は、あくまでも持続型社会をどう作り上げるかですから、第9章になります。
第10章の特徴
第10章の特徴的なところは、10.7「すべてを知りたい」から10.8「存在の無」に戻ってくるというところです。第7章も含んだ結論になっています。完全に内なる世界で考えていけるところです。
「独我論」を含めた、人間の役割みたいなものは第10章だけにします。
9.3「グローバル化」です。これが環境社会では大きなテーマです。グローバルに対して、グローバルのグローバルを対応させ、ローカルに対して、ローカルのローカルを対比させる。位相空間のカタチになります。
国に対して、超国家を対応させることで、本当に幸せになれるのか。個人が超国家にどうつながるのか。
ムスリムでは個人とアラーは直接、つながっている。それで幸せになっているのか。その間のコミュニティはどういう役割を果たすのか。実際問題として、宗派問題として、シーア派とスンニ派が在るのは確かです。だから、宗教も踏まえて、グローバル化に対してどう対応末うのか。アラブ社会での「オリーブの木」の発想です。地域の中で暮らしていく。だけど、このコミュニティ単位だと、国をすぐ超えてしまう。イスラム国ではないけど、国というものが意味を持たなくなる。
国ではギリシャとトルコでは連携できないけど、地中海沿岸の同じ価値観を持つ者として、コミュニティでは連携できます。レバノン人はドイツ人とは連携できないけど、ギリシャ人とは連携できる。アテレのソホクリスの世界です。
グローバルの中に企業の観点を入れ込みましょう。国よりも企業のグローバル化がベースになっています。グーグルとかフェースブックに言葉も国も関係ない。
9.4「サファイア循環」
9.4「サファイア循環」。急にサファイアが出て来るのかわからない。自分で書きながら。いよいよ、曖昧さをなくすための作業。中からやっていくか、小からやっていくのか。
第9章は上から見ていく。循環からみていくことで考えてきた。だから、サファイアの機能と空間を使って、循環を作り出していく。元々、サファイアは持続可能性のためにいかに循環するのか、その要素は何か、何を組み合わせていけばいいのか。
その配置をどうするかというところから作られているサファイアの考え方を社会に適応するとしたら、環境社会という持続可能な社会を作り出すために、最初にモデルありきでやっていく世界です。
第10章がなければ、それだけで済ませるけど、第10章で大きく変わっていきます。第10章は多くの人が生きられる、個人をどう変えていくのか、意識をどう作り上げていくのかのロジックになっている。いつも対比しながら見ていき、二つが合わさった世界がどうなっていくのか。
第9章と第10章はdual
第9章と第10章はdualです。それをどう表現すればいいのか、よく分かりません。例によって、ロジックだけを追ってみます。
ロジックで難しいのは課題です。今、限界を向かえている世界がある。ベースである民主主義は変わっていく。民主主義が多様化とグローバル化でいかに変わっていくのか。
多様になるのは、人が級数的に増えてきた。それぞれが独立している。自由が求めているものから始まっているのは確かです。
多様さを活かそうとすると格差が始まる。価値観が多様にして、てっぺんを多様化しても、格差は格差です。キリスト教のようにごまかしきれない世界に来ている。自由で格差が拡大していく。それをどうしていくかという以前に、それがどうなっていくかという予測。
単純に考えると、環境問題も含めて、超インフラの方に向かっていきます。税金問題一つとってもそうです。皆異なるものを画一的に抑えるのは無理です。格差が広がっていけば、インフレは起こります。国民国家はそれらを「自由」というところで抑えている。それが格差で抑えられなくなるので、新しい政治を考えないといけない、というところで一段落します。
企業のグローバル化
次に、グローバル化。これは国のグローバル化よりも企業のグローバル化の方が大きい。国という単位を容易に超えてしまう。超国家でやろうということになるけど、全体が大きくなるほど、格差が増すので、自由が制限される。
それ対しては、「未来方程式」ではないけど、シナリオを作っていかないといけない。バラバラなものをいかに、グローバル化とくっつけていく、やり方です。その方向が今、掴めていない。
9.5「サファイア機能」
取って、付けた理論としては、サファイアで循環と機能を当てはめてみます。個人よりも国のカタチを考えていこうという話です。地域の方針と対応策、国の方針と対応策でもって、それらの間をグルグル回していく。そして、スパイラルを起こさないようにする。ポイントは、従来のように国が回すのではなく、多様な地域が中心となって回すカタチになる。
機能はファシリテーション、インタープリテーション、インタープリテーション、リアライゼーションをどう配置するのか。その循環モデルになります。
その時に民主主義での9.5.4「合意形成」の仕方が難しい。いかに「多数決」でははなく、方向をどう決めるか。単位をなるべく、小さくして、結論を決めてしまう。あとはその間を人が動くこと。それとテーマも小さくして、組合せは1億通りにしていく。
9.6「共有意識」
そして、9.6「共有意識」になります。個別の人間よりも、シェアする形をどう持っていくのか。それで地域をどういうカタチにするのか。ベースとして個人の分化と地域の分化があります。それで変えていく。個人のベースで、多様化をもっと多様させていく。グローバル化の逆のローカライズで、大きな単位で示していく。
9.7「分化と統合」
分化でバラバラになるものをどう統合していくのか。やらかい統合をすることで、企業も行政も分化できる。バラバラでは、彼らは生きていけない。
企業の分化と行政の分化と書いてあるところは変えていきます。分化と統合では統合の方に企業も行政も動きます。中は分化するけど、外は統合の方に動きます。
9.8「環境社会」
最後は、9.8「環境社会」。ここはまだまだ収まっていません。仕事と教育と家庭という循環の中で見ていくのが手です。循環を変えていく時に、仕事と教育と家庭の循環を全て、変えていかないと、滞留が起こります。
そこで、「環境哲学」が出て来るのは、違和感があります。これを第10章に移しましょう。
9.8.2「環境哲学」
取ってつけたような「環境哲学」は第10章の「歴史哲学」との関係が大きい。
第10章はなにしろ、自分の生きている意味とか、生まれてきた理由からできている。与えられたものではなく、存在の力とか、生きるための目的を主にして作っている。完全に内なる世界の答です。
第9章は社会としてどう持っていくのか。サファイア循環は元々、仕事から出てきたものです。そして、皆が居るということで、販売店システムでの配置を考えてきた。
教育、仕事、家庭の循環
9章はサファイアの方に、教育、仕事、家庭の循環を加えて、持続可能なものとして、環境社会を描いて、皆に進めるものとしてやっていく。
第10章はそれとは異なり、個人がどういう世界を作っていくのか、宗教的な世界も意識して、あまり、タブらせずにより分けましょう。
環境哲学は哲学として、第10章に渡します。分化そのもののメインは第10章です。
第9章側に、教育、仕事、家庭の関係の循環を項目として入れます。人の配置は、あくまでも持続型社会をどう作り上げるかですから、第9章になります。
第10章の特徴
第10章の特徴的なところは、10.7「すべてを知りたい」から10.8「存在の無」に戻ってくるというところです。第7章も含んだ結論になっています。完全に内なる世界で考えていけるところです。
「独我論」を含めた、人間の役割みたいなものは第10章だけにします。
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