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「中東欧」とはどこか ハンガリー、ポーランド

『ヨーロッパの政治経済・入門』より

「中東欧」とはどこか

 「中東欧」という地域の名称は、耳慣れないものかもしれない。これはヨーロッパの中で, 1990年前後まで社会主義が存在していた国のうち、バルト三国以外の旧ソ連を除いた諸国を広く指す言葉である。その中で中部ヨーロッパのチェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキアは「東中欧」または「ヴィシェグラード諸国(1991年にハンガリー、ポーランド、および当時のチェコスロヅァキアの3カ国の首脳が、ハンガリーのヴィシェグラードで地域協力の枠組み形成を協議したことに由来する)」と呼ばれることがあり、またバルカン諸国は「南東欧」と称されることもある。

 本章で取り上げるのはこの中東欧諸国の中で, 2004年に欧州連合(EU)加盟を実現した諸国、具体的には、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、スロヴァキア、スロヴェニアの8カ国である。だが、これらの国の名前を聞いてイメージがすぐに出てくるという人は、そう多くはないであろう。ポーランドであればショパンやアウシュヴィッツ(ポーランド語ではオシフェンチム)収容所、チエコであればビールやもぐらのクルテクといったものを思い浮かべることはできても、実際にどのような国なのかということを調べようとしたら、日本語で得られる情報は意外に限られた(偏った?)ものしかないことに、すぐに気がつくはずである。

 だが日本での情報が少ないということが、これらの諸国と日本との関係が弱いということを意味するわけではない。経済面では、中東欧諸国の経済発展にともない、国内の市場が活性化していることや、EU拡大を通してこの諸国から西ヨーロッパ諸国への輸出が増える可能性が高まったことから、トヨタやスズキ、シャープ、日立などの大手企業を含む500社以上の日本企業が、チェコやハンガリー、あるいはポーランドを中心とする中東欧諸国に積極的に進出している。政治面でも、例えば外務省のホームページを見ると、中東欧諸国と日本の間ではしばしば要人の往来や協議があることを確認することができる。さらには近年の世界遺産ブームにより、世界遺産の宝庫でもある中東欧諸国に日本から旅行する人も急増している。

 一般的に日本ではなじみがないように思われる中東欧の国々が、政治や経済において注目されているのはなぜか。そこにはこの国々が、社会主義システムが解体してからわずか20年の間に急速に政治・経済の制度を整備し、困難であると考えられたEU加盟までをも実現したことで、これらの諸国がもつ将来の可能性が認識されるようになったことが、影響を与えている。そこで本章では、中東欧諸国がどのようなかたちでシステムの変革を実現してきたのかについて、政治と経済の連関という視点から考えてみることにしたい。

ハンガリー

 ハンガリーでは1990年代の中ごろから、保守的でナショナリズムを強調するフィデス(FIDESZ)と、かつての支配政党であった社会主義労働者党の実質的な後継政党だが、経済路線としてはリペラルに近い社会党の二大政党が、やはり交互に政権を担当している。ただしハンガリーでは、労働組合が政治に対して強い影響力を有していない点で、労働組合の意向が政治に反映されることが多いチェコやスロヴァキアとは、状況が異なっている。

 ハンガリーで労働組合の影響力が弱いのには、以下の理由がある。一つには、本来であれば労働組合と提携する可能性が高い社会党と労働組合との関係がよくないということがある。労働組合はもともとは社会党を支持していたが、1994年から95年の財政危機の際に、当時与党であった社会党が労働組合との協議のないままに、福祉の削減などリベラルな政策をとったことから両者の関係が悪化し、その後も関係は十分には修復されていない。もう一つの理由として、フィデスも労働組合に敵対的な態度をとっているということがある。フィデスはリペラルな社会党に対抗するかたちで福祉を充実するという立場こそとってはいるものの、基本的には中間層や教育水準の高い層を支持基盤とする保守政党であり、労働組合が経済政策に関与することには強く反対してきた。そのため1990年代後半にフィデスが与党となったときには、労働組合が政治に関与するのを抑制するために労働規制の緩和などとあわせて、それまで活用されてきた「社会協議」の役割を限定的なものとする制度改革を実施している。さらに別の理由として、ハンガリーは中東欧諸国の中で最も外資に対して開放的な態度をとり、外資の受け入れを進めていたが、そのためにハンガリーの経様な領域の政策が、さまざまな勢力の問の合意に基づいて形成されてきた。政党間の政策対立がないわけではないが、それでも主要な政治勢力の間での合意に基づく政策運営が続けられてきたことで、スロヴェニアは経済開発と労働者の利益の保護を両立させることが可能となったと考えられる。

ポーランド

 ポーランドは、社会主義期の主要な産業が、製鉄や造船を主体とする重工業部門や石炭を中心とする鉱業部門であったことから、体制転換の後も労働組合がある程度の影響力を有していて、厳しい経済状況の中で労働者の利益を守ることを追求していた点では、第2節で挙げた諸国と共通している部分も多く、この点ではバルト三国とは違いがある。

 ただポーランドの場合、第2節で挙げた諸国との違いも大きかった。まず社会主義期のポーランドにおける主要産業であった鉄鋼業や造船業、あるいは石炭産業は、現在ではその役割が縮小している斜陽産業であり、体制転換の過程の中でこれらの産業をそのまま維持することは難しい状態にあった。そのため市場経済への移行が進む中で、社会主義期にっくられた製鉄所や造船所、あるいは鉱山の多くは閉鎖され、その結果そこで働いていた労働者も職を失うこととなった。加えてポーランドにおいては、歴史的な経緯から労働組合が、かっての反体制運動の系譜を引き継ぐ「連帯」と、社会主義期に国家の公認団体として形成された労働組合の2つに大きく分かれていて、かつこの両者が対立していたために、労働者が団結して自分たちの利益を守ることも難しい状況にあった。特に「連帯」の方は、自分たちが社会主義体制を倒したという自負もあったことから、体制転換の直後の時期には、市場改革のためには必要だが労働者にとっては厳しい福祉の削減なども容認してきたが、まさにそのことが理由となって、かつての人気を失うこととなった。

 このような流れから現在のポーランドでは、労働組合やそれと結び付いた政党の影響力は大きく弱まり、政治においても、さらなるEUとの統合を求めるリベラル政党と、EUに懐疑的な保守政党の二大政党が対抗するという状況が現れている。そしてその結果として、経済面での自由化が進み、サービス業やコンピュータ産業のような分野が盛んになる一方で、福祉に関しては基本的にリトアニアと同様に必要な層に支援を与えるという残余的な福祉への変革が進められることとなった。

 ただし近年では、ポーランドの国内市場の大きさや労働力の質の高さ、西ヨーロッパ(特にドイツ)との距離の近さ、あるいは2007年末のシェングン協定の発効にともなう国境往来の自由化などが注目され、そこからポーランドに進出する外国の企業も増えつつある。このことがポーランドに新たな変化をもたらすかどうかについては、今後の動向を見ていく必要があろう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ヨーロッパ縦断 (μ)
2012-05-03 21:01:22
ヨーロッパ縦断の旅に出ませんか。
ヘルシンキからバルト三国に渡り、ハンガリー、ポーランド、ウクライナ、トルコ、ギリシャです。
μ
 
 
 
ねぇ (nene777ne@yahoo.co.jp)
2012-05-04 20:58:02
はじめまして!( )/!ーロハ ンッ( ・) コッチダ!(^ー^)/ハロー!! 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃ☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆アドレス残していくのでメールしてね!そいじゃ☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆;+;。・゜・。;+;☆
 
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