未唯への手紙
未唯への手紙
ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」
『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』より 人体への飽くなき興味 人間の起源
バランスの探究
レオナルドがとりつかれていた人体への興味はただちに哲学的内省に結びつく。彼は自分の目で観察したことを述べるだけにとどまらず、宇宙での人間の役割について深く考える。この飽くなき考察が、レオナルドの非凡な精神力を作り上げ、数々の障害も気にすることなく、自分の目で確かめた以上のものを求めて先へ進もうとさせる。
この頃、レオナルドの探究の本質的な要素となる出会いがあった。一四九六年、数学と幾何学、経済学に精通した修道士、ルカ・パチョーリがミラノにやって来る。のちにルドヴィーコ・イル・モーロに「神聖比例論」を献呈することになるこの偉大な数学者のおかげで、レオナルドはより知的な科学的探究に近づくことができる。パチョーリのそばでレオナルドは自分に欠けていた一連の教養を埋めていき、当時評価されていた優秀な哲学者にひけをとらないほどの理論を初めてまとめることができるのである。
いわゆる「ウィトルウィウス的人体図」は、科学に関するレオナルドの新たな姿勢を証明するものだ。解剖学と医学の探求から生まれた有名な人体図には、真円と正方形の内側に一人の人間が裸で描かれている。パッと見ると手品のような印象で、人間の胴体に四本の腕と四本の脚があり、それらが真円の円周と正方形の直角部分に内接している。しかし、この奇妙な図の裏には実に多くのことが隠されている。レオナルドの目的は、ュークリッド幾何学のベースであるシンプルな二つの図形の中に人間が完璧に内接するということを証明することだった。真円の中心点には人間のへそを位置させ、正方形の中心点には骨盤の少し上を合わせている。現代では信じられないかもしれないが、これは当時としてはまったく革新的なものであり、新しいものの見方を世に知らしめる始まりとなったのである。
人体が真円と正方形に内接するという概念は、古代ローマ時代のウィトルウィウスが『建築論』の第三章ですでに述べている。この理論は一四世紀の終わりに芸術家が再発見し、企画立案する際のバイブル的存在になったものだ。ウィトルウィウスは、人間の寸法と形には基本的に幾何学的かつ数学的な比例の法則があることを説いた。要するに、調和は正確に計算できるということである。両腕を横に伸ばした長さは身長に等しく、頭は身長の七分の一にあたる。ラテン語著作家ウィトルウィウスは、あくまでも実用的な目的のために分析したのであって、哲学に導くものではなかった。つまり、この計算法を利用することで、画家は騎士の肖像や聖人像をより完璧な姿にすることができ、彫刻家は巨大な公的事業の作品のバランスに反映させ、建築家は建物の構造において美しい数学的比率を再現できるのだ。ピエロ・デラ・フランチェスカやドナテッ口、レオン・バッティスタ・アルペルティのような巨匠たちは、ウィトルウィウスの法則に忠実に従うことで傑作を生み出している。レオナルドはラテン語が分からなかったが、ポッジョ・ブラッチョリーニのイタリアロ語訳を読んでいたのでこの理論をよく知っていた。そして決定的な一歩を踏み出すのである。トレッツォとカラヴァッジョ(出身地の名前で呼ばれる二人の若者)の身体を正確に測ったあとで、まず人体の比率をきちんと整理する。そして、顔、つまり額の髪の生え際からあごまでの長さは、身長の一六分の一にあたり(ウィトルウィウスの言う七分の一ではない)、足の長さは身長の七分の一であることを明言する。単純に身体の寸法を再計算したものではなく、宇宙の秩序の中での人間の役割を説明しようとする小さな革命である。
ダ・ヴィンチは、自然界に存在するあらゆるものを支配する比率、すなわち黄金比に従って人体の各パートが発達することを示す。植物や花々、木々や山の寸法さえもこの計算法則に従って存在し、黄金比は、すべての命ある完璧な創造物の大きさのベースとなっているのである。一五世紀の人々は宇宙に存在する万物の生命の秘密を説明し得る法則を追い求めていた。そして、黄金比はバランスに関するすべての疑問に対する答えのように思われた。芸術家は、形を丹念に作り上げるための不変の基準点としてこの数字を活用する。「ウィトルウィウス的人体図」は、この法則に沿いながらも、人体が真円と正方形の両方同時に内接できるという結論にレオナルドを導くのである。その時代、真円と正方形という二種類の幾何学的図形は天と地を示していた。つまり、それら二つが一緒になることで宇宙を表わすのだ。人間はそのいずれにも完全に収まる。そして、その中心に位置するのである。
宇宙の中心
この証明が持つ価値は天地がひっくり返るほど強烈なものだった。世界の中心にいるのは、もはや神ではなく人間だ。中世の見方からの完全な脱皮である。
実は、この理論はその数年前からささやかれていた。むろんレオナルドが最初に考えたわけではないが、「ウィトルウィウス的人体図」を描くことで理論を具体化し、誰もが認めるものにするのだ。これは、図書館にある多種多様な論文や哲学的対話集よりもはるかに説得力がある。これこそが、現代に至ってもなお、この人体図がルネッサンスのイコンと見なされる理由なのである。それは、ルネッサンスの本質を完璧に表現している。バランスを称賛し、人間を中心に世界が動いていることを証明するものなのである。
人体図の描かれた紙葉が精密で綺麗なことから、研究者は、レオナルドがこれを論文の表紙に使うつもりだったのではないかと仮定している。おそらく、解剖学の本をまとめる際に使いたかったものなのだろう。しかし本が世に出ることはなかった。それでも、ダ・ヴィンチは、一生をかけて人体の探究を続け、たとえそれが系統的なものではなかったにせよ、必要不可欠な外観の考察に始まり、より科学的なものへと移っていく。表面から少しずつ人体の内部へと入っていくのである。まさに世の中に知らしめるためであるかのように、それぞれの解剖図にはかなり詳細な説明書きがつけられていて、そこには驚くほど現代的な見解が書きとめられている。
バランスの探究
レオナルドがとりつかれていた人体への興味はただちに哲学的内省に結びつく。彼は自分の目で観察したことを述べるだけにとどまらず、宇宙での人間の役割について深く考える。この飽くなき考察が、レオナルドの非凡な精神力を作り上げ、数々の障害も気にすることなく、自分の目で確かめた以上のものを求めて先へ進もうとさせる。
この頃、レオナルドの探究の本質的な要素となる出会いがあった。一四九六年、数学と幾何学、経済学に精通した修道士、ルカ・パチョーリがミラノにやって来る。のちにルドヴィーコ・イル・モーロに「神聖比例論」を献呈することになるこの偉大な数学者のおかげで、レオナルドはより知的な科学的探究に近づくことができる。パチョーリのそばでレオナルドは自分に欠けていた一連の教養を埋めていき、当時評価されていた優秀な哲学者にひけをとらないほどの理論を初めてまとめることができるのである。
いわゆる「ウィトルウィウス的人体図」は、科学に関するレオナルドの新たな姿勢を証明するものだ。解剖学と医学の探求から生まれた有名な人体図には、真円と正方形の内側に一人の人間が裸で描かれている。パッと見ると手品のような印象で、人間の胴体に四本の腕と四本の脚があり、それらが真円の円周と正方形の直角部分に内接している。しかし、この奇妙な図の裏には実に多くのことが隠されている。レオナルドの目的は、ュークリッド幾何学のベースであるシンプルな二つの図形の中に人間が完璧に内接するということを証明することだった。真円の中心点には人間のへそを位置させ、正方形の中心点には骨盤の少し上を合わせている。現代では信じられないかもしれないが、これは当時としてはまったく革新的なものであり、新しいものの見方を世に知らしめる始まりとなったのである。
人体が真円と正方形に内接するという概念は、古代ローマ時代のウィトルウィウスが『建築論』の第三章ですでに述べている。この理論は一四世紀の終わりに芸術家が再発見し、企画立案する際のバイブル的存在になったものだ。ウィトルウィウスは、人間の寸法と形には基本的に幾何学的かつ数学的な比例の法則があることを説いた。要するに、調和は正確に計算できるということである。両腕を横に伸ばした長さは身長に等しく、頭は身長の七分の一にあたる。ラテン語著作家ウィトルウィウスは、あくまでも実用的な目的のために分析したのであって、哲学に導くものではなかった。つまり、この計算法を利用することで、画家は騎士の肖像や聖人像をより完璧な姿にすることができ、彫刻家は巨大な公的事業の作品のバランスに反映させ、建築家は建物の構造において美しい数学的比率を再現できるのだ。ピエロ・デラ・フランチェスカやドナテッ口、レオン・バッティスタ・アルペルティのような巨匠たちは、ウィトルウィウスの法則に忠実に従うことで傑作を生み出している。レオナルドはラテン語が分からなかったが、ポッジョ・ブラッチョリーニのイタリアロ語訳を読んでいたのでこの理論をよく知っていた。そして決定的な一歩を踏み出すのである。トレッツォとカラヴァッジョ(出身地の名前で呼ばれる二人の若者)の身体を正確に測ったあとで、まず人体の比率をきちんと整理する。そして、顔、つまり額の髪の生え際からあごまでの長さは、身長の一六分の一にあたり(ウィトルウィウスの言う七分の一ではない)、足の長さは身長の七分の一であることを明言する。単純に身体の寸法を再計算したものではなく、宇宙の秩序の中での人間の役割を説明しようとする小さな革命である。
ダ・ヴィンチは、自然界に存在するあらゆるものを支配する比率、すなわち黄金比に従って人体の各パートが発達することを示す。植物や花々、木々や山の寸法さえもこの計算法則に従って存在し、黄金比は、すべての命ある完璧な創造物の大きさのベースとなっているのである。一五世紀の人々は宇宙に存在する万物の生命の秘密を説明し得る法則を追い求めていた。そして、黄金比はバランスに関するすべての疑問に対する答えのように思われた。芸術家は、形を丹念に作り上げるための不変の基準点としてこの数字を活用する。「ウィトルウィウス的人体図」は、この法則に沿いながらも、人体が真円と正方形の両方同時に内接できるという結論にレオナルドを導くのである。その時代、真円と正方形という二種類の幾何学的図形は天と地を示していた。つまり、それら二つが一緒になることで宇宙を表わすのだ。人間はそのいずれにも完全に収まる。そして、その中心に位置するのである。
宇宙の中心
この証明が持つ価値は天地がひっくり返るほど強烈なものだった。世界の中心にいるのは、もはや神ではなく人間だ。中世の見方からの完全な脱皮である。
実は、この理論はその数年前からささやかれていた。むろんレオナルドが最初に考えたわけではないが、「ウィトルウィウス的人体図」を描くことで理論を具体化し、誰もが認めるものにするのだ。これは、図書館にある多種多様な論文や哲学的対話集よりもはるかに説得力がある。これこそが、現代に至ってもなお、この人体図がルネッサンスのイコンと見なされる理由なのである。それは、ルネッサンスの本質を完璧に表現している。バランスを称賛し、人間を中心に世界が動いていることを証明するものなのである。
人体図の描かれた紙葉が精密で綺麗なことから、研究者は、レオナルドがこれを論文の表紙に使うつもりだったのではないかと仮定している。おそらく、解剖学の本をまとめる際に使いたかったものなのだろう。しかし本が世に出ることはなかった。それでも、ダ・ヴィンチは、一生をかけて人体の探究を続け、たとえそれが系統的なものではなかったにせよ、必要不可欠な外観の考察に始まり、より科学的なものへと移っていく。表面から少しずつ人体の内部へと入っていくのである。まさに世の中に知らしめるためであるかのように、それぞれの解剖図にはかなり詳細な説明書きがつけられていて、そこには驚くほど現代的な見解が書きとめられている。
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