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レオナルドの「最後の晩餐」 完全なコントロールの下で

『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』より 逆転劇、息をのむ名作

ダ・ヴィンチは、起こり得る異論から身を守るため、修道士やミラノ公が見慣れている最後の晩餐の伝統的な型を維持する。つまり、食卓の準備がされたテーブル、装飾された晩餐室、いつものようにテーブルの中央に座るキリストの横に配置された使徒たちである。しかしながら、よく見ると、レオナルドの「最後の晩餐」はまったく新しいものとなっている。どの人物も、どのディテールも、どの筆さばきも、彼は伝統的な図像学を大混乱させており、これから先の画家だちがインスピレーションを得るような新しいモデルを提示する絵を作り上げている。

レオナルドはまるで映画を撮影する時の監督のように動いている。最初に使徒たちの描写に集中して注意を払い、おのおのの動作がその精神状態や気持ちを物語るようにつとめる。使徒は二人一人異なっており、自由に動き、仲間と会話している。当時のレオナルドの手稿には、壁画を創り上げる過程に光をあてるスケ″チやメモが残っている。まず脚本を書く。一種のストーリーボードのようなものだ。「飲んでいた者はグラスをテーブルに置いて頭を発言者のほうに向ける。もう一人は両手を組みあわせて眉をつり上げて仲間を見る……。別の者は両手を広げて手のひらを見せながら、肩をすくめて驚きのあまり口をぽかんと開けている。またある者は隣の者の耳元に何やらささやき、それを聴く者は、片手にナイフ、もら一つの手にはそのナイフで切ったばかりのパンを持ちながら、その者に身体ごと耳を向ける。他の者は手にナイフを握ったまま振り向いたため、その手でテーブルの上のグラスを倒してしまう」。実際には、ここで描かれた身ぶり手ぶりはどれも使徒たちのポーズとは一致しない。だが、この一節はダ・ヴィンチが、補助的なディテールよりも、登場人物一人一人の動きをいかに研究していたかを示している。結局のところ、彼はいつもこういう作業に心をとらわれてきた。「東方三博士の礼拝」の聖母子を取り囲む群衆の中の個々の描写に始まり、「荒野の聖ヒエロニムス」の緊張感あふれる身ぶり、「白貂を抱く貴婦人」のチェチリア・ガッレラーュや「ラ・ベル・フェロニエール」のルクレツィア・クリヴェッリの革新的な姿勢に至るまで、人の動きに焦点をあてるのだ。

ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」でこのような実験的な動きを一三もの異なるケースで表わすが、同時に、場面全体を並外れた手法でコントロールすることにも成功している。「東方三博士の礼拝」では軽率に描いた熱狂的な動きが混乱と不安定さを引き起こしたが、ここでは調和がとれたリズム感のある動きに変化している。ミラノ宮廷の舞台演出で何十人もの俳優やダンサーを使うことに慣れていたレオナルドは、絵の中でも、三人ずつのグループに分けた使徒たちに、まさにオリジナルの振り付けを演出する。特に、彼らの顔と手ぶりに注意をして、なめらかな自然の動きを作り上げる。福音書が語る、イエスの言葉を聞いて「弟子たちは互いの顔を見合わせていた」という、まさに、その瞬間が、史上初めて絵の中で実際に起こるのである。画面の左端では、バルトロマイがすぐに立ち上がってキリストを見つめる。今聞いた言葉が本当なのか確かめるためだ。小ヤコブは背中をたたき、いっぽうでアンデレは両手を上げてそんな話はまったく知らなかったと表明する。彼らの反応は、そのすぐ横の他の三人の使徒グループのしぐさと比べても、大体においてつり合いが取れている。ペテロはヨハネの耳元でささやく。「誰のことを言っておられるのか、知らせなさい」。ヨハネはそれをあきらめたょうに聞きながら、イエスから聞いたばかりのひどい話をほとんど拒否しているかのようだ。ここに、レオナルドが挑戦した小さなリスクがある。キリストの最も愛する使徒がイエスの胸元に寄りかかっていない。それどころか遠ざかっている。

レオナルドは知るよしもないが、この選択が将来、様々な仮説や推測の飛びかう大騒動を引き起こしてしまう。実際には、キリストの姿を自由にして、周りに空間を作り、その存在を際立たせたかっただけである。これほど近いのにこれほどまで異なるペテロとヨハネの顔を見ていると、ダ・ヴィンチが過去に何度も使った独自の理論を思い出す。それは、真逆の対象を並べると、見る者に強烈な印象を与える効果があるということだ。二人の使徒はまったく逆の世界に属しており、一人は激昂しやすく、もう一人はおとなしい。ペテロの手はナイフを握っており、パンを切るために使いたいのではない。裏切り者に飛びかかろうとしているのだ。指の位置がそれをはっきり示している。実際、数時間後には、ペテロは怒りの爆発を抑えることができずに、ゲッセマネのオリープ園でイエスを守るため神官の召使いマルコの耳を切り落としてしまう……。

ベテロとヨハネのそばにはユダがいる。定番だったテーブルをはさんだ向かい側ではなく、裏切り者は使徒たちの顔の中に紛れ込んで正体が分からないようにしている。ただし、これを見る修道士たちの目にそれがユダであることを気づかせるために、レオナルドはュダを薄暗がりに置いて区別している。神の恵みの光は他の使徒たちの顔を照らしているが、ユダの顔だけは光を受けていない。罪の中に沈んでいるわけだ。それだけではなく、左手でイエスからパン切れを受け取ろうとしている。レオナルドもそうだったが、左利きは、当時、それ以上に否定的なものはないというほど偏見を抱かせる特性とされていた。キリストの言葉に動揺して、イスカリオテのュダはデナーロ銀貨の入った小袋を唐突に手でつかんで隠す。心の高ぶりから腕が塩つぼにぶつかってテーブルの上に転がり貴重な塩をこぼしてしまう。このディテールはまさに巨匠の仕事である。細やかで洗練された手法で、レオナルドは私たちにその突然の動きをあたかも今見てしまったかのように錯覚させる。私だちが見ているのは、それから一〇〇年後にカラヴァッショが表現することになる「その瞬間の動き」ではないが、カラヴァッジョの即時に引きこまれてしまう絵画世界へと続く道は、まさにここが出発点となるのである。

イエスをはさんでテーブルの画面右側には、イスからほとんど飛び上がらんばかりの反応をする三人の使徒の姿がある。大ヤコブは両腕を広げて、間近に迫ったイエスとュダの手の交差を恐怖の面持ちで見つめている。すでに誰が裏切り者であるかに気がついたのだ。フィリポは懇願するようにキリストを見つめ、ほとんど涙を浮かべている。トマスには、レオナルドが自分の絵で使うのが好きなしぐさをさせている。指が天をさしている。これはもうほとんどレオナルドの署名のようなものだ。ただし今回は、その手ぶりが完璧にトマス自身の象徴となっている。彼はその指で数日後にイエスが本当に復活したのかどうかを確かめようとするからだ。これらの登場人物の緊張感は極限に達していて、ほとんどイエスを責めたてようとする勢いだ。それほど動転したように見えないのが、最後の三人、マタイとタダイのユダと熱心党のシモンである。まるでそのテーブルの位置ではイエスの言葉がよく聞き取れなかったかのように、不明な点を明らかにするために協議しているようだ。確かに彼らの顔には他の使徒たちのような恐怖感はなく、どちらかというと疑惑の表情だ。

キリストのそばにいる二つのグループは、テーブルの端にいるグループに比べてよりいっそう不穏なムードを醸し出しているように見える。これは偶然の産物ではない。どうやらダ・ヴィンチは、使徒たちの連鎖反応を表現することで音の伝播現象を実験的に再現したかったようだ。イエスの言葉はすぐそばにいる使徒たちにははっきりと伝わり、即座に反応してテーブルクロスの上にある物をひっくり返したり、驚いて口をぽかんと開けたり、泣き出したりしている。それに反して、テーブルの端には音声が弱くなって届くため、そこにいる者は言葉を聞き逃し、理解のための説明が必要となる。そう、だからこそ小ヤコブはペテロに確認しようとし、マタイは自分の右横に腕を伸ばして仲間に言葉をかけるのだ。「なんとおっしゃったのだ? 私はちゃんと聞いたのだろうか?」レオナルド自身、手稿にメモを残して、構図の秘密を明らかにしている。「わたしは、遠くにある物を少しずつ見えなくなっていくように表現する。ちょうど音楽家の奏でる音が遠くで聴く者に少しずつ聴こえにくくなっていくように」。

ダ・ヴィンチは、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ聖堂の修道院の壁に、もう一つの、彼の名高い劇場舞台を用意したのであった。使徒たちのしぐさは厳密にコントロールされているか、ごく自然である。完璧な舞台空間を創り出し、そこでキリストは抗いがたい際立った影響力を及ぼしている。その役割は、ただ単に物語に基づくものではなく、とりわけその位置にある。キリストの額の真ん中には、壁画全体を作り上げる遠近法の線が集まる消失点がある。イエスは物語の理想的かつ現実的な基点となっているのだ。物語と絵が完全に一致するのである。食堂の中央から壁画を見た者は、深い奥行きを持つ舞台を前にする感覚を持ったに違いない。そこでは、ちょうど衝撃的な裏切りが明らかにされたばかりだ。レオナルドの生きた時代、床は今より一メートル低い位置にあった。したがって、壁画は、バンデッ口がその著作の中で強調しているように、もっと上にあり、よりいっそう迫りくる印象を与えて抗いがたい魅力を放ったはずである。何人かの研究者は、ダ・ヴィンチが福音書の記述を忠実に尊重しようとしたと力説している。福音書ではコエナクルムは建物の二階にある部屋をさしており、まさにレオナルドが食堂に描いた人物だちが位置する高さにあるからだ。
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