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未唯への手紙

未唯への手紙

カントとヘーゲルの距離

2012年05月21日 | 1.私
『西洋哲学史Ⅳ』より 空間的移動と時間的間隔について

おのおのの履歴をまとめた末尾の一文が、空間的に語りだすことの可能な両者のあいだの差異、端的にいって、生前のふたりのいわば移動の軌跡の有無を示しているようにみえる。カントは生涯その生地をはなれることがなく、ヘーゲルの生は、もうすこしきめ細かくいえば、シュトウットガルトからテュービングンヘ、さらにフランクフルトを経てイエナヘ、そののちにはまたニュルンベルク、ハイデルペルクをあいだにはさみ、ペルリンを終着点とする航跡をのこしている。ヘーゲルの場合はしかも、その滞在地のおのおのの名をとって、その思想形成における段階のそれぞれについて語られることも多い。

このことは、とはいえ逆に、カントについてはその思考のいわば土着的なありかたが問題となることを意味しない。また、カントの哲学に進展と変容のあとが欠けていたしだいをも意味してはいないはずである。

カントの生地は現在ではロシア連邦領にぞくし、カリーニングラードと呼ばれている。ケーニヒスベルクはバルト海に接する港湾都市で、琥珀の産地でもある。領邦国家ドイツの東北のさかいに位置しながらも、ポーランドとリトアニアを流れるプレゴリャ川の河口をかかえることで、交易と商業によってさかえた。カントがその生地にとどまりながらも世界のさまざまな情報に接し、たとえば人文地理学の講義をも開講しつづけることができたのは、この地の利によるところが大きいといわなければならない。世界思想という面からいえば、ドイツ領邦内で転地をかさねたヘーゲルよりもむしろカントの思考のうちにこそ、いわばコスモポリタン的な傾向がみとめられる。近年あらためて注目されているように、カントは、かの『永遠平和のために』の著者なのである。

ことを時間的な観点からもみておこう。思考の流れという視点からするならば、こちらの論点のほうがより意味をもつであろうことは、とりあえず疑いを容れない。

ふたりをへだてる年齢差は四六年、通常の親子のあいだのそれよりもすこし大きなものといってもよいだろう。奇しくもプラトンとアリストテレスとのあいだにひろがっていたと推定される歳の差ともほぼひとしい。半世紀にちかいこの時間的な間隔は、大きなものというべきなのか、それともちいさな隔たりと考えるべきなのだろうか。近世の哲学者で考えれば、たとえばデカルトが一五九六年にこの世に生を享け、ライプェッツは一六四六年の生まれだから、両者の年代差はちょうど五十年ということになる。よりちかいところから例をとるなら、ペルクソンとフッサールが一八五九年の生まれ、メルロ=ポンティの生誕が一九〇八年であるから、両者の生年の隔たりは四九年、やはりほぼ半世紀ということになるだろう。五十年という時間には、なにか意味でもあるのだろうか。

カントとヘーゲルの両者の思考をへだてる時間的な幅については、一方では、ひとつの思考の原型から、その多様に展開された諸形態が誕生するのにじゆうぶんな距たりをふくんでいるとも語ることができる。他方おなじその振幅は、ほとんど連続する時代の空気のなかで、共通の問題に取りくむのに適切なほどの距離をへだてているとも語りうるように思われる。じっさい、前者の主著『純粋理性批判』の第二版が出版されたのは一七八七年、ヘーゲルの『精神現象学』が難産のすえに世に出たのは一八〇七年のことであるから、二十年の時が、哲学史に名だかいふたつのテクストをへだてているにすぎない。

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