未唯への手紙
未唯への手紙
下からのグローバル化
『21世紀の国際法秩序』より グローバル化の時代における人道的統治の探求 グローバル化の挑戦に対応するために人道的統治のあり方を再構築する
トランスナショナルな基盤において、活性化した市民社会は、国家とグローバルな市場勢力が人間の幸せな生活を危うくしていると認識されるような多くの場面で、両者に対して挑戦を行ってきた。これらの市民による圧力は、しばしば経済的・社会的な権利や公衆衛生、それに環境といったものを含むある範囲の公共財を、諸政府がもっと保護するよう、考えを改めさせることに焦点を合わせてきた。この点に関して、市場勢力と密接に結びついている人々のイデオロギーとしての考え方は、どうしても公共財に多くの出費をかけることを押さえ、その結果放置されることとなった社会的苦しみは、民間部門による支援に委ねるという方向に傾きがちであった。
このことに関しては、テッド・ターナーやジョージ・ソロスといった資本主義の超英雄たちが、グローバルな公共財の充足のために行なった莫大な金融面の貢献に留意することが必要である。彼らの行動は、その目的として前者にあっては国連の人道的活動を援助するために一〇年間にわたって一〇億ドルを拠出し、後者においては、もっと短期間に五億ドルをロシアの民主化を支援するために贈ったことである。人々の目を引くが疑わしいことは、このグローバル化という賭け事の勝者たちが所有している巨額の私有財産がしばしば、富裕な国家の財産よりもこれらの目的のためにはるかに容易に使われていると思われることである。またこのことと関連しているのは、今は聖者として扱われているダイアナ妃についての死後の描写が、もっぱら彼女自身の国以外の人々、特に対人地雷の犠牲者たちに向けられた彼女の哀れみの行為に結びつけてなされている、その度合いの大きさである。これらの事態の進展は、国家がもはや世界の社会的で人道的な課題について処理するだけの能力と意欲を失いつつあるということに対する、地球市民社会の一群による反応の革新的な側面を表している。
別のタイプの反応は、消費者パワーがグローバル・コモンズを守るためにはあえて苦難を耐え忍ぶように仕向けた抵抗運動と関わりがある。二、三年前にシェル石油が、その石油掘削装置を北海に沈めてしまおうと画策した時、グリーンピースはガソリンの消費者たちを糾合して、ヨーロッパのサービス・ステーションをボイコットするよう反対勢力を有効に指非した。この話の令体はややこしくて、環境に関する議論にはまだ完令には決着がついていないが、この政治的な意味合いは明らかである。ブローバル・コモンズに関する法人の活動が、ある政府や諸政府間の性格をもったウェストファリア的諸機関によって規制されないとすれば、その時には民間部門が、抗議の対象となった活動が止められない限りは危害が生じることになるだろうという情報を周知させ、抵抗運動を動員することで、国家を超えて騒動を起こすことができるということである。
いくつかの関連する結論が引き出される。第一に、今や個人は、啓発された国家の為政者たちによって与えられるであろうものに匹敵する、グローバルな公共財に対する支援ができるだけの規模の資産を意のままに操っているということである。このような推移は、公益を推進するという国家の立場を弱めるということになるし、また全体としての社会は、公共財の範囲で行なわれる様々な可能性のある事業の中から優先して選ばれるべき対象としては描かれなくなるということを意味している。そうなればまた、裕福な個人が世界のいろいろな地域での反民主的な政治活動に対する資金援助を含む、テロリストの活動や広範囲にわたる後ろ向きの政治運動を支援するという、「マイナスのグローバルな公共財」へ相当な額の資産を差し出して、本当の危険を招くことにもつながる。「平和維持」能力の提供といった、特に国連の仕事の中核をなすと考えられているような、以前は本質的にグローバルな公共財の範囲に属するとされていた任務でも、今や金銭化され、市場化されつつあるように思われる。南アフリカのアパルトヘイト制度に関わっていた安全保障関係のかつての公務員たちが、エグゼクティブ・アウトカムスと呼ばれる組織を作り、そのサービスを国内の社会不安あるいは国外からの脅威に直面しているアフリカの諸政府に提供し、またしばしば民間企業や鉱業に投資し、それらが生む大きな株式を受けとっている。
市民社会のこのような活性化による累積する衝撃や、それが情報、思想、金銭、そして組織的活動を通じて国家を超えて影響を及ぼすということが、人道的統治のためのプロジェクトに対して信用と支持を与えることになると考えてよいのかどうかという点は、現時点では不確かである。トランスナショナルな社会的勢力の台頭が、かなりの程度にまでグローバル化に対する反動と関わり合っていることは間違いないが、この反動には多面的な性格が備わっていて、それが規範に対して与える全般的な影響を評価することは難しい。もっと以前にはこれらのトランスナショナルな活動をロマンティックに描写する傾向があったが、今はこれらの役割は多岐にわたり矛盾することさえあるという、含みの多い解釈がなされている。それでもなお、下からのグローバル化は、上からのグローバル化に対して一連の挑戦状を突きつけているし、国を統制している政治的選良たちには、いくつかの難しい政治的選択肢を持ち出して対決している。
トランスナショナルな基盤において、活性化した市民社会は、国家とグローバルな市場勢力が人間の幸せな生活を危うくしていると認識されるような多くの場面で、両者に対して挑戦を行ってきた。これらの市民による圧力は、しばしば経済的・社会的な権利や公衆衛生、それに環境といったものを含むある範囲の公共財を、諸政府がもっと保護するよう、考えを改めさせることに焦点を合わせてきた。この点に関して、市場勢力と密接に結びついている人々のイデオロギーとしての考え方は、どうしても公共財に多くの出費をかけることを押さえ、その結果放置されることとなった社会的苦しみは、民間部門による支援に委ねるという方向に傾きがちであった。
このことに関しては、テッド・ターナーやジョージ・ソロスといった資本主義の超英雄たちが、グローバルな公共財の充足のために行なった莫大な金融面の貢献に留意することが必要である。彼らの行動は、その目的として前者にあっては国連の人道的活動を援助するために一〇年間にわたって一〇億ドルを拠出し、後者においては、もっと短期間に五億ドルをロシアの民主化を支援するために贈ったことである。人々の目を引くが疑わしいことは、このグローバル化という賭け事の勝者たちが所有している巨額の私有財産がしばしば、富裕な国家の財産よりもこれらの目的のためにはるかに容易に使われていると思われることである。またこのことと関連しているのは、今は聖者として扱われているダイアナ妃についての死後の描写が、もっぱら彼女自身の国以外の人々、特に対人地雷の犠牲者たちに向けられた彼女の哀れみの行為に結びつけてなされている、その度合いの大きさである。これらの事態の進展は、国家がもはや世界の社会的で人道的な課題について処理するだけの能力と意欲を失いつつあるということに対する、地球市民社会の一群による反応の革新的な側面を表している。
別のタイプの反応は、消費者パワーがグローバル・コモンズを守るためにはあえて苦難を耐え忍ぶように仕向けた抵抗運動と関わりがある。二、三年前にシェル石油が、その石油掘削装置を北海に沈めてしまおうと画策した時、グリーンピースはガソリンの消費者たちを糾合して、ヨーロッパのサービス・ステーションをボイコットするよう反対勢力を有効に指非した。この話の令体はややこしくて、環境に関する議論にはまだ完令には決着がついていないが、この政治的な意味合いは明らかである。ブローバル・コモンズに関する法人の活動が、ある政府や諸政府間の性格をもったウェストファリア的諸機関によって規制されないとすれば、その時には民間部門が、抗議の対象となった活動が止められない限りは危害が生じることになるだろうという情報を周知させ、抵抗運動を動員することで、国家を超えて騒動を起こすことができるということである。
いくつかの関連する結論が引き出される。第一に、今や個人は、啓発された国家の為政者たちによって与えられるであろうものに匹敵する、グローバルな公共財に対する支援ができるだけの規模の資産を意のままに操っているということである。このような推移は、公益を推進するという国家の立場を弱めるということになるし、また全体としての社会は、公共財の範囲で行なわれる様々な可能性のある事業の中から優先して選ばれるべき対象としては描かれなくなるということを意味している。そうなればまた、裕福な個人が世界のいろいろな地域での反民主的な政治活動に対する資金援助を含む、テロリストの活動や広範囲にわたる後ろ向きの政治運動を支援するという、「マイナスのグローバルな公共財」へ相当な額の資産を差し出して、本当の危険を招くことにもつながる。「平和維持」能力の提供といった、特に国連の仕事の中核をなすと考えられているような、以前は本質的にグローバルな公共財の範囲に属するとされていた任務でも、今や金銭化され、市場化されつつあるように思われる。南アフリカのアパルトヘイト制度に関わっていた安全保障関係のかつての公務員たちが、エグゼクティブ・アウトカムスと呼ばれる組織を作り、そのサービスを国内の社会不安あるいは国外からの脅威に直面しているアフリカの諸政府に提供し、またしばしば民間企業や鉱業に投資し、それらが生む大きな株式を受けとっている。
市民社会のこのような活性化による累積する衝撃や、それが情報、思想、金銭、そして組織的活動を通じて国家を超えて影響を及ぼすということが、人道的統治のためのプロジェクトに対して信用と支持を与えることになると考えてよいのかどうかという点は、現時点では不確かである。トランスナショナルな社会的勢力の台頭が、かなりの程度にまでグローバル化に対する反動と関わり合っていることは間違いないが、この反動には多面的な性格が備わっていて、それが規範に対して与える全般的な影響を評価することは難しい。もっと以前にはこれらのトランスナショナルな活動をロマンティックに描写する傾向があったが、今はこれらの役割は多岐にわたり矛盾することさえあるという、含みの多い解釈がなされている。それでもなお、下からのグローバル化は、上からのグローバル化に対して一連の挑戦状を突きつけているし、国を統制している政治的選良たちには、いくつかの難しい政治的選択肢を持ち出して対決している。
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