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スキルを変え、教育環境を変える

『ザ・セカンド・マシン・エイジ』より 個人への提言

教育学者のスガタ・ミトラは、発展途上国のスラム街の子供たちが、コンピュータを与えられただけで自分たちで学習していくことに気づいた。これについて論じたミトラの講演は二〇一三年のTED(世界の知性が集う大規模な講演会)で最優秀に選ばれ、一〇○万ドルの賞金を獲得している。ミトラは、読み書き算数がなぜ重視されるようになったのかを説明するとともに、新しい教育のあり方を大胆に描き出す。

現在学校で実施されている教育の起源がどこにあるか、私は調べてみました……その起源は地球上で最後の最強の帝国、大英帝国にあったのです。

……彼らはすどいことをやってのけました。人間を部品にしたグローバル・コンピュータを作ったのです。これは、官僚機構という名前でいまも使われています。このマシンを機能させるには、大勢の人間が必要です。そこで、その人材を製造する別のマシンが作られました。それが「学校」ですね。学校は、官僚機構の歯車になるような人間を生産してきました……歯車には三つの条件があります。字が上手であること。当時の情報はすべて手書きですから。次に、字が読めること。そして四則演算が暗算でできることです。誰もが同じ能力を備えているので、たとえばニュージーランドから一人を選んでカナダヘ派遣しても、すぐに役に立つわけです。

コンピュータやマシンを比喩に使ったみごとな説明だ(私たちは大いに気に入った)。それ以上に、読み書き算数が、かっては最も先進的な経済で必要とされるスキルだったことを指摘した点がきわめて興味深い。ミトラの言うとおり、ヴィクトリア朝のイギリスの教育システムは、当時においてはきわめてうまく設計されていた。だが言うまでもなく、現代はヴィクトリア朝ではない。ミトラの言葉を続けよう。

ヴィクトリア時代の人々は、じつに優秀な技術者でした。彼らの作ったシステムはとても堅固にできていて、同型の人間をいまだに生産し続けているのです……しかし今日の事務員はコンピュータです。コンピュータは、どのオフィスにも何百台も置かれています。事務処理をさせるためにコンピュータを操作する人間はいますが、字がうまくなくても、暗算ができなくても、問題ありません。ただし読めないと困ります。正確で明敏な読解力が必要です。

ミトラの研究では、ただぽんとコンピュータを渡すだけで、学校に通っていない貧しい子供たちでさえ、正確に読めるようになることがわかった。子供たちはグループでコンピュータを使い、必要な情報を検索して探し、獲得したノウハウを互いに教え合い、最終的には(彼らにとって)新しいアイデアにたどり着く。それは多くの場合、正しかった(たとえばDNA複製に関するさまざまな情報をダウンロードしてみせると、数カ月後には「DNA分子の不適切な複製で遺伝子疾患が起きる」ことを学んだ)。言い換えれば、子供たちは発想力、広い枠でのパターン認識能力、複雑なコミュニケーション能力を獲得したのである。このように、ミトラの提唱する「自己学習環境(SOLE)」では、デジタル労働者にまさるスキルが身につくと期待できる。

もっとも、これはとりたてて驚くには当たるまい。自己学習環境は実際にはだいぶ前から存在しており、マシンとうまくやって行ける人間を現に大勢輩出してきたからだ。二〇世紀初めにイタリアの医師マリア・モンテッソーリが開発した教育法がそれである。モンテッソーリ教育は、自発的な学習、さまざまな教具や動植物との感覚的なふれあい、自由な環境を特徴とする。近年では、グーグルの創業者(ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン)、アマゾンの創業者(ジェフ・ペソス)、ウィキペディアの創始者(ジミー・ウェールズ)がモンテッソーリ教育を受けていたことが知られる。

じつは彼らは、ほんの一例に過ぎない。経営学者のジェフリー・ダイアーとハル・グレガーセンが優秀なイノベーター五〇〇人に聞き取り調査を実施したところ、モンテッソーリ教育を受けたという人が予想外に多いことがわかった。おそらく「好奇心の赴くままに学ぶ」のがよいのだろう。元ベンチャー・キャピタリストのピーター・シムズは「モンテッソーリ教育法は、創造性を獲得する確実な方法と言えるのかもしれない。なにしろ学校の同窓生にはこの方面のエリートがうじゃうじゃいて、モンテッソーリ・マフィアと言いたくなるほどだからね」とウォールストリート・ジャーナルのブログに書いている。本書の著者の一人であるアンディもモンテッソーリ式の初等教育を受けており、マフィアかどうかはともかく、自己学習環境のよさは実感している。ラリー・ペイジは「ルールや命令に従わないこと、自分でやりたいことを見つけること、どうして世界はこうなっているのかと問うこと、人とは少しちがうやり方をすることが教育の一部だった」と語っている。

セカンド・マシン・エイジに人間が貴重なナレッジ・ワーカーであり続けるために、私たちは次のことを提言する。読み書き算数だけで終わらず、発想力、広い枠でのパターン認識能力、複雑なコミュニケーション能力を養うことだ。そして可能な限り、自己学習環境を活用するとよい。この環境が、先に挙げた三つの能力を養ううえで効果があることは、過去の実績が証明している。
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