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ブルバキへの邂逅。私の青春でした

未唯へ。私の最初のアルバイトは大学2年生の時でした。ブルバキの『数学史』3500円が欲しくて、3日間、鳴海のダンボール工場で働いて、7000円もらって、買いました。これが私の青春でした。他には北海道旅行のためのアルバイトぐらいです。定期代と昼飯代(50円のカレー)だけあれば十分な時代でした。

大学1年のときは高木貞二さんの『解析概論』一冊をずっと、朝一番の電車と古川図書館(教養部封鎖のため)でずっと読んでいました。なぜ、こんなことを思い出したかというと、『ブルバキとグロタンディーク』289.3アクを読んでいて、ブルバキの感触を思い出しました。

ブルバキは、数学の理論を「言葉」を使わずに表現することにチャレンジしていました。真理は言葉とか、宗教とか、人種に左右されるものではないという気がしていたので、一歩、真理に近づくと思ってました。そして、少しの違和感もありました。フランスで数学?というのは、何となく、合わない気がしていました。数学といえば、ドイツでしょう。それもゲッティンゲン大学だと思っていました。フランスのいい加減さとブルバキの厳密さはアンマッチな感覚です。それらの感覚はフランス語とドイツ語の差です。

ブルバキは1939年に「数学原論」を出しています。ブルバキはグループの名です。そのメンバーは第2次世界大戦のドイツ・フランス・フィンランドなどで、第二次世界大戦により大きく制約されていました。グロタンディークは難民収容所で育っています。ユダヤ人の数学者は地方のホテルでナチのユダヤ狩りが行われた時に、安いホテルに居たために収容所送りを免れたとか、フィンランドでポントリャーギン(ロシアの連続群論の著者)とのやりとりを疑われて、銃殺されそうになった数学者もいます。

1945年に戦争が終わり、自由になったフランスで、数学を厳密にすることに拘ることができたのです。何となく、ヘルシンキ大学のリーナス・トーバルズが起こしたリナックスも思い出されます。数学の世界にはさらに大きな影響を与えました。

グロタンディークさんは知りませんでした。20世紀で最も先見の明のある数学者として広く認められ、その深い洞察力と鋭い思考力から、アインシュタインと比較されているそうです。1991年に自筆の原稿に火を放って、ピレネー山中に姿を消したとのこと。あこがれますね。
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