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未唯への手紙

未唯への手紙

地中海の誕生

2012年10月18日 | 4.歴史
『137億年の物語』より 冷凍庫になった地球

一方、他の大陸もゆっくりと、しかし無秩序に移動しつづけ、ぶつかりあって、環境に大きな影響をおよぼした。インドがアジアに衝突したのと同じころ、アフリカもユーラシア大陸に向かって北上していた。当時、アフリカとユーラシア大陸の間には「テチス海」が広がっていたが、アフリカの北上に伴って、海は狭くなり、海底が盛り上がって陸橋がいくつも形成された。アフリカのサルたちは、このような陸橋を伝ってアジアに渡り、そこで人類の祖先である類人猿に進化していったのだろう。また、アラスカとシベリアの間にも陸橋が形成され、北米で生まれたウマとラクダの祖先は、それを通ってアジアの草原地帯に渡り、ついには中東の砂漠地帯にまでいたった。

アジアに向かっていたアフリカは、はね返されて進路を変え、ヨーロッパに近づいていった。この過程で、フランスからスイス、イタリア、オーストリアにまたがるアルプス山脈が誕生した。この約2000万年前にはじまった玉突き衝突の最中に、アフリカが中東にめり込み、テチス海は地中海、黒海、カスピ海などに分割された(のちにスエズ運河によってふたたびインド洋側とつながることになる。

およそ600万年前までに、アフリカは、現在のスペイン南部にまで迫り、その途方もない力が地面を押し上げ、地中海を取り囲む山脈が誕生した。地中海は大西洋とのつながりを絶たれ、次第に干上がり、その後には、うす汚れた白い塩が何層にも重なって残された。今日、このような塩が1500メートル以上も堆積している場所もあり、研究者の中には、過去100万年以上の間に地中海は、干上がったり海に戻ったりを40回も繰り返したと考える人もいる。こうして自然の作用によって、海水から大量の塩が除去されていった。その原動力となったのは、巨人がバンバーカーで遊んでいるかのような大陸の動きだった。

およそ530万年前、地中海はまた干上がっていたが、スペインとモロッコの間(現在のジブラルタル海峡)を塞いでいた山脈が崩壊して大西洋の海水が流れ込んだ。これが最後の洪水となった。山脈の崩壊部分から地中海の底まで3000メートルはあっただろう。その落差は、ナイアガラの滝の50倍以上にもなる。1日あたり170立方キロメートルの海水が巨大な滝となって落ち続けるさまは、自然史の中でも並外れてドラマティックなできごとだった。そうして100年が過ぎ、地中海はふたたび海水に満たされた。

そのころ、地球は氷河期を迎えていた。その原因となったのは、地球の反対側で動いていた大陸である。それは後の南極大陸で、およそ4000万年前に南米大陸から分離すると、「南極」へと向かっていった。分離した跡には新たな海峡が生まれた。その海峡は、英国の探検家にして海賊でもあり、世界一周を果たしたフランシス・ドレーク卿(1540?年~1596年)にちなんでドレーク海峡とよばれている。

南極に大陸が移動してきたせいで、南極海の冷たい水はその大陸の周りを周回するようになり、それまでのように北上して太平洋やインド洋の温かい海水と混じらなくなった。そのため、南極の気温はますます低くなり、巨大な氷床が、がっては熱帯にあった南極大陸を覆った。現在、南極大陸の氷床は、厚さが2700メートルもあり、英国の50倍もの面積を覆っている。この広大な氷の荒野が生まれたために、海水の平均温度は10度も低下した。その氷が太陽の熱をはね返したため、気温はいっそう低くなった。南極に氷の冠をいただいた地球は、新たな氷河期に突入した。前回の氷河期から、少なくとも2億5000万年がたっていた。すべては大陸が勝手気ままに動きまわった結果である。

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