『現代世界とヨーロッパ』
イスラームがヨーロッパ社会に与える影響
はじめに
世論とイスラーム
ヨーロッパのムスリム人口の増加
ヨーロッパ4力国(フランス、ドイツ、オランダ、イギリス)の世論調査
フランスの世論
在仏ムスリムの状況
ムスリム・アイデンティティの前景化
ムスリムに対する無理解
政治とイスラーム
政治利用されるイスラーム
モスク建設への政治的介入
おわりに
『マス・コミュニケーションの世界』
マス・コミュニケーション研究のゆくえ
混乱するメディア世界
メディア・フレーム再構成の必要性
メディアヘのアプローチ
パーソナルなネットワーク
マス・コミュニケーションとメディア・コミュニケーション
マス・コミュニケーションの存在
メディア・コミュニケーションに代わる?
マス・コミュニケーションとメディア・コミュニケーション
社会的コミュニケーションのなかのパーソナル・メディア
マス・メディアとパーソナル・メディア
パーソナル・メディアとパーソナル・コミュニケーション
パーソナル・メディアの浸透
個人化する世界
デジタル化の逆機能
デジタル・メディアとしての役割
既存のパーソナル・メディアの機能
デジタル・メディアの不都合
システムに対応するフレーム
個人化か公共化か
あらたなフレームで問題処理
マス・メディアとパーソナル・メディアの関係性
メディア・コミュニケーションの登場
メディアの両面性
コミュニケーション・ネットワークとメディア環境の個人化
メディ尹・フレームの修正
生活レベルでのデジタル化
フレームはどうなる、メディア・フレームの修正ヘ
メディア・フレームの再構成をめざして
コミュニケーションの分化
マス・コミュニケーションの機能
マス・コミュニケーションとメディア・コミュニケーションの分化
社会的個人的コミュニケーション機能
(社会的)マス・コミュニケーション
(個人的)パーソナル・コミュニケーション
メディア・フレームの再構成
マス・コミュニケーション(マス・メディア)
メディア・コミュニケーション(パーソナル・メディア)
結び マス・コミュニケーション研究のゆくえ
パーソナル・メディアの進化
パーソナル・メディアと社会的ネットワークの台頭
パーソナル・メディアの進化とマス・コミュニケーション研究
『トルコ共和国 国民の創成とその変容』
トルコの移民・難民政策
はじめに
移民送り出し国としてのトルコ
ガスト・アルバイターとしてのトルコ移民
移民のトランジット国家としてのトルコ
トランシット国家とトランシット移民
不法なトランシット移民
逆ルートのトランシット
移民受け入れ国としてのトルコ
トルコ系移民の受け入れ
シリア難民流入のインパクト
トルコのシリア難民対策
トルコに滞在するシリア難民の属性
おわりに
『図書館情報技術論』
クラウド型図書館システム
クラウド型図書館システムの登場
クラウド型図書館システムの今後
入退館管理システム、自動貸出返却機、読書通帳機
入退館管理システム
自動貸出返却機
読書通帳
①読書通帳方式
②お薬手帳方式
③自書方式
バーコードタグとRFID
バーコード
RFID
自動仕分け機、自動書庫、集密書架
自動仕分け機
自動書庫
集密書架
座席・パソコン端末など予約システム、パソコンシェア、ロッカ一、無人図書館
座席・パソコン端末など予約システム
ログの取得
パソコンシェアロッカー
無人図書館
『そろそろ「社会運動」の話をしよう』
人類史の流れを変えるグローバル・ベーシック・インカムと歴史的不正義
はじめに
根本原因を考えよう
援助疲れ
社会現象の根本原因を探るには?
飢餓と貧困の根本原因は?
歴史的不正義からの正義回復とグローバル・ベーシック・インカム保証
グローバル・ベーシック・インカムとは?
無階級ではなく単一階級社会
市場が制御する社会ではなく、社会が制御する市場
市場に翻弄される労働者から、市場を超えて独立した経済主体へ
ベーシック・インカム保証の経済は行き詰まるか?
全人類ひとりひとりが担う現金移転と基金の管理
歴史的不正義からの正義回復
歴史的不正義を正当化するための国家と民族
経済のグローバル化によって変わる国家と民族
人類史の流れを変える理念と現実
おわりに
『国家機密と良心』
隠然たる帝国・アメリカ--日本への核持ちこみ
傀儡政権による海外支配
くり返される不法な侵略と歴史の偽造
核戦争の脅威
アメリカの艦船には核が搭載されていた
「核の冬」という現象の発見
「世界破滅装置」としての水爆
憲法第九条の理念は世界を鼓舞する
冷戦期の国際関係を改めて考える
アメリカ軍の空爆能力
東京大空襲で発生した「火災旋風」のすさまじさ
大量殺戮の都市爆撃は戦争犯罪
原爆の一〇〇〇倍の威力--水爆の登場
原爆と水爆の根本的違い
危険な状況はいまも変わらない
『国家機密と良心』より 隠然たる帝国・アメリカ--日本への核持ちこみ
アメリカ軍の空爆能力
半世紀あまりをかけて思案した末にたどりついた私の理解をお話ししましょう。
アメリカが核兵器に長年にわたり関与してきたことを正確に理解するためには、第二次世界大戦における戦略的爆撃指針、それにもとづく焼夷弾作戦--とりわけ日本で多用された--を知ることが不可欠だと思います。ドイッヘの爆撃は、イギリス軍司令部による爆撃とはやや異なる様相で開始されました。イギリス軍は初期段階から、焼夷弾による夜間の都市攻撃を実施しましたが、その理由は航空機に高空飛行能力が不足していたことにありました。昼光のもとでアメリカ陸軍航空隊が実行していた工場地帯への「精密爆撃」が不可能だったのです。
真珠湾攻撃を機に開戦してから数か月後の一九四二年二月、イギリスはドイツの諸都市を標的に、焼夷弾を使った夜間の空爆を開始しました。都市を対象としたのは、夜間のほうが都市全体の識別が容易という理由からです。ただし、都市全域の壊滅はできませんから、どうしても住宅が密集している労働者居住地域が空爆対象になり、火の回りも早いのです。数週間後には、「赤ん坊まで殺している、これは軍事行動ではない、犯罪だ、最悪の行為だ」とアメリカから警告が発せられました。
アメリカ軍は、工場や基地に対象を限定し、精度の高い爆撃を高空から日中に実行していました。しかし結局は、その爆撃も精度を欠いていることがわかりました。いずれにせよ、イギリスの夜間爆撃と行動をともにするようになり、悪天候の厚い雲をとおした無差別のレーダー攻撃が行なわれたのです。
私の知る限り、都市への空撃が最初に行なわれたのは、一九三二年の日本軍による上海攻撃でした。あまり知られていない戦闘行動でしたが、どうしてそのことを知ったのか説明します。ご存じのとおり、日本軍は一九三〇年代後半にも上海を空爆しました。当時ドイツは、スベインのゲルニカに続いて、ワルシャワやロッテルダムを爆撃し、さらにロンドン大空襲を敢行しています。
われわれはそれらの爆撃を犯罪的で好戦的なものであり、人間性の原則に反し、戦争行為を逸脱したものとみなしました。これがナチスあるいは日本軍の戦術でした。やがてイギリスやアメリカもこの戦術を採用しました。
最近[二○一六年]、一九四五年二月の火災旋風を主題としてドレスデンで講演する機会がありました。このドレスデン爆撃によって、およそ二万五〇〇〇人が焼死あるいは窒息死したのです(これまでもっと多くの死者数が引用されていましたが、市当局による最新の数字です)。
東京大空襲で発生した「火災旋風」のすさまじさ
この問題できわめて重要なことを説明させてください。
「火災旋風」はめったに発生しない大火災です。広域にわたり多数の火災が同時に起きることが前提条件です。多くの火元が一体化して大規模火災になり、熱せられた大気の上昇気流が発生します。地表は真空にちかい状態となって、周辺のあらゆるものが強風に巻きこまれます。嵐のような状態となり、吹き荒れる強風はハリケーン並みの勢力に発達します。火災地点では上昇気流がうなり声をたて、八○○度を超える高熱によって周辺一帯を焼き尽くします。東京でこんなことが起きたら、壊滅的な大火災となり、地表を吹き荒れる風は超高温の火災旋風となって、ひとり残らず死んでしまうことでしょう。
イギリス、少し遅れてアメリカは、大都市爆撃の都度、火災旋風の誘発を試みました。でも実際に成功したのは、ドイツのハンブルクとドレスデンの二例だけです(ほかに小規模な例として、ダルムシュタットとカッセルがあります)。ところで、この試みにあたって先例モデルとされたのが、火災旋風によって可燃性の竹や木を素材とする東京の住居が焼き尽くされた一九二三年の関東大震災です。アメリカはすでに一九二〇年代から、火災旋風が発生する条件がそろっている東京への空爆を視野に入れていました。当時日本は事実上の同盟国であり、決して敵国ではありません。
日本を爆撃した前任の空軍トップは的中精度の高い爆撃を主張し、焼夷弾の使用には消極的でした。ところが後任のカーティス・ルメイには、焼夷弾攻撃を基本とする空爆が命じられていました。一九四五年の三月九日深夜から一〇日未明にかけて、ルメイは約三〇〇機の爆撃機を東京上空に送りこみましたが、機内空間確保と搭載重量を考慮して小型焼夷弾を優先させ、爆撃機の装備を最小限のものにとどめていました。
爆撃機を護衛艦で移送するのではなく--護衛艦を使うと全機の合流までに時間を要し、消費燃料が増える理由で--、個々に低空飛行で送りだしたのです。高空飛行にくらべて搭載燃料が少なくてすみ、その分、すべての爆撃機に高性能爆弾を搭載することができました。装備の削減と低空飛行は危険度が高く、パイロットは大いに不安を感じていました。それでもルメイは、日本軍には低空飛行が可能な航空機がなく、夜間に戦闘機を飛ばす能力もないと決めてかかり、危険な賭けに出ました。結果的に、失われた航空機は一四機にとどまり、ルメイは成功をおさめました。
前例がないほどの大量の爆弾を搭載した三〇〇機にのぼる爆撃機は、東京に火災旋風を引き起こしました。広島[への原爆投下]以前では唯一の事例です。一夜で少なくとも八万人の住民が殺害されました。死者の数についてはもっと多いという推計があり、一二万という説もあるのですが、最少でも八万人がほぼ即死状態で、五か月後に被爆した広島や長崎[の即死者数]よりも多い数字です。一二万人という数字は、広島・長崎の[即死者の]合計をこえるものです。
焼死にせよ窒息死にせよ、最悪の状況で人々は命を奪われました。防空壕に避難した人々は、壕内の酸素が尽きて窒息死しました。路上にいた人々は、溶けて炎を上げるアスファルトに足をとられたまま、火柱と化しました。ハリケーン並みの火災旋風は、母親の腕や背中から乳児や子どもたちを剥ぎとり、炎のなかに吹き飛ばしました。多くの人々が炎を逃れて、東京を縦横に流れている運河に向かいましたが、沸騰した水のなかで何千もの命が絶たれました。
低空を飛行する爆撃機の機内は、地表で炎上する死体の臭いが充満して呼吸が困難になり、乗員は酸素マスクを着用しました。上昇気流と化した火炎は、爆撃機としては最大級のB29の飛行も危うくし、機体は数百メートルあるいは数千メートル上空に打ち上げられたゴムボールのような状態になりました。人類史上でも最大級のテロ行為であり、政治目的のために膨大な数にのぼる市民が計画的に殺害されたのです。アメリカ政府が、史上最大規模の一日限りのテロを実行したのです(広島と長崎がこれに続きました)。
ルメイは攻撃の手をゆるめず、日本側が態勢を整える間もない翌一二日に名古屋、さらに一三日には大阪に焼夷弾を落としました。人口の密集する六四の都市が次々と爆撃されました。ただし、気象条件などの要因から、大火炎による旋風は再現されませんでした。広島以前に焼夷弾で焼き殺された日本人の数については、三〇万人から最大九〇万人までさまざまな数字があげられています。これを下回るかもしれませんが、ほぼ正確な数字でしょう。広島と長崎に落とされた二個の原子爆弾によってこの年のうちに、さらに二〇万を優に超す命が奪われました。
大量殺戮の都市爆撃は戦争犯罪
一九四五年当時、部下として働いていたロバート・マクナマラにルメイ自身が語ったように、戦争に敗北した場合には、戦争犯罪人として裁かれたことでしょう。マクナマラも自分たちの行為の犯罪性を認めています。マクナマラは原子爆弾が兵器としての限度を超えているとし、原爆投下の犯罪性を認めましたが、なにか的外れな言い方でした。戦前の判断基準に照らしても、原爆以前に使われた焼夷弾はすでに戦争犯罪に該当していたのです(計画的な爆撃にさらされ、大火災にあったドイツの六〇万市民についてもまったく同じことが言えます)。
日本のアジア侵略、とりわけ中国における大量殺戮は明らかに犯罪です。アメリカ軍による日本の諸都市への戦略的爆撃も犯罪です。侵略行為に対抗する対日戦争を正当と考える私は、それを指して犯罪というつもりはありません。しかし、ドイツ軍や日本軍と比較してもより大量に行なわれた米英両軍による焼夷弾投下は正当化できません。不幸なことに、ニュルンベルク裁判と東京裁判のいずれにおいても告発の対象にされなかったのは、われわれ裁く側が同じことを実行していたからです。こうした適用除外によって、焼夷弾投下が犯罪に該当しないことを世界に示唆する結果になってしまいました。きわめて残念なことです。
広島と長崎への原爆投下についても同様ですが、この除外は、残念という言葉では片づけられないような重大な影響を及ぼしました。
人類の存亡にかかわる問題です。一九四五年五月から八月にかけて原爆使用の可能性が問題になると、大統領のハリー・トルーマンは、原爆に倫理上の問題を認めないという驚くべき声明を発表しました。人々はこの声明をきわめて奇異なものとして受けとめましたが、実際には、完全に理解可能な内容だったはずです。原爆の使用は、同年の三月(広島への投下の五か月前)以降、政府が継続してきた政策の一環にすぎません。日本の一般市民をできるだけ多く、できるだけ短い時間で殺害することを可能にするものでした。
ひとつの都市を爆撃するのに在来型の兵器なら二〇〇機から三〇〇機もの爆撃機が必要になるのに、原子爆弾一個で事足りてしまうのです。実際に、アメリカは一晩で同時に飛ばせる爆撃機を三〇〇機以上保有し、次々と都市に送りだしていました。
現実に、二発の原爆を投下した後も、終戦直前の一週間、同時に一〇〇〇機の爆撃機を攻撃に向かわせました。基地に帰還する前に、予期されていた日本の降伏が伝わった事実もあります。私が言いたいのは、一般市民を標的とすることを躊躇しない国に原爆が最初に誕生したことです。
住民と都市の破壊が戦争遂行策として正当にして必要なものであり、成功への道であると信じるようになった国に、原爆は登場したのです。イギリスとアメリカだけが疑いもせずに信じこんでいました。ナチス・ドイツも--その底知れない残忍さにもかかわらず--、ソ連も、フランスも、日本もそうは考えませんでした。この二か国だけが都市空爆が戦争勝利につながる道と決断し、都市の爆撃には図抜けた威力を発揮する原爆を手に入れたのです。
ワンコインくじ
近所のセブンイレブンではやらないと思っていたのに、始まっていた。500円は大きい。私には昼食と夜食に当たる。私のワンコインは100円。
とりあえず、一回やったけど、ももこのアクリルだった。くじが終わるまでセブンイレブンには近づかないようにしよう。
へんな皇室アルバム
日曜の朝ではないのに、地上波で繰り返し、「皇室アルバム」をやっている。何かあったのか?