『トルコ共和国 国民の創成とその変容』より トルコの移民・難民政策
トルコのシリア難民対策
トルコに流入する難民もしくは亡命希望者は、一九五一年の難民の地位に関する条約に則った人々と、この条約に則っていない人々に大別される。トルコは難民の地位に関する条約の批准に地理的制限を設けており、ヨーロッパからの難民のみ、公式の難民として扱っている。しかし、トルコに流入してくる難民は、シリア難民をはじめ、現在では非ヨーロッパ地域からの難民が圧倒的に多い。また、トルコ政府は難民の受け入れに関して、常に「一時的」な場合のみを想定しており、難民をトルコ社会に統合するための法的整備が不十分である。トルコにおいて、移民及び難民に関する独自の法律は一九九四年になるまで整備されなかった。一九九四年にバルカン半島からの大規模な移民に対応するため、「他国からの庇護申請者の滞在許可に関する条件」という法律が制定された。とはいえ、この法律は基本的に「いかに難民・移民の入国を防ぐか」に主眼が置かれており、統合について検討するものではなかった。未曽有のシリア難民流入を受け、二〇一三年四月に「外国人および国際保護法(法律第六四五八号)」が議会で承認され、二〇一四年四月から同法が施行された。これは、公式な難民認定がなされない非ヨーロッパ地域からの移民・難民保護のための大きな一歩であったが、あくまで「一時的な保護」という地位の範囲内での法律であった。
最初のシリア難民がトルコに到着したのは、二〇一一年四月二八日であった。その後、難民は増加の一途を辿り、二〇一八年八月時点では三五〇万人以上のシリア難民がトルコで生活している。トルコ政府はシリア難民を「客人(トルコ語ではmisafir)」と見なし、門戸を開放してきた。シリア難民のトルコにおける地位は、九〇パーセントが一時的な保護、残りの一〇パーセントも一時的な保護に申請し、その採択を待っている人々である。二〇一一年一〇月から施行された一時的な保護の下で難民は、無料の健康診断、公共の教育機関もしくは四〇〇ある一時的な教育センターヘの入学、条件付きでの労働許可の権利を保障され、テレビ・ガス・水・携帯電話の契約も可能であった。二〇一五年夏以降、ヨーロッパに流入したシリア難民をはじめとした移民に対し、ヨーロッパ各国が否定的な態度を示し、受け入れを渋っている現実を考えると、トルコのシリア難民への対応は歓待といってもよい。
シリア難民がトルコに流入した当初、トルコのシリア難民の受け入れの中心となったのがトルコ災害・緊急時対応庁(AFAD)である。AFADはその名の通り、災害と緊急時に際し、活動する国家機関である。シリア内戦への対応でAFADが最も力を入れているのが難民キャンプの運営である。トルコ政府は、AFADが中心となり、これまでにシリアに隣接する県を中心に一〇県に二六の難民キャンプを設立した。これらのキャンプは簡易的であるものの清潔で快適であったが、多くの難民はキャンプの外での生活を選択していくこととなる。現在、キャンプで生活するシリア難民は全体の七パーセントほどと言われており、三〇〇万人以上のシリア難民がキャンプの外で生活している。内務省の傘下の移民管理総局の二〇一八年八月九日付けの調べによると、キャンプの外で生活しているシリア難民が集中しているのは、トルコ最大の都市であるイスタンブル(五六万四一八九人)、そしてシリア国境沿いのシャンルウルファ県(四七万二九六人)、ハタイ県(四四万二〇七一人)、ガーズィアンテプ県(三九万一九二八人)という四つの県である。
なぜシリア難民は比較的待遇がよいキャンプではなく、キャンプの外での生活を望むのだろうか。その理由は、非正規の場合が多いが、仕事を得られるという点、国境沿いの県であれば親戚や知り合いなどが住んでいるという点、そしてキャンプではシリア人同士のしがらみがあり、生活しにくい点などが指摘されている。加えて、現在トルコで生活しているシリア難民の多くがトルコでの定住を望んでいることもシリア難民がキャンプの外に住む一因となっている。
しかし、シリア難民の定住に向けた動きはあまり進んでいない。トルコ政府は、シリア難民をあくまで一時的な保護というステイタスで受け入れている。また、二〇一六年一月から限定的ではあるが、一時的な保護下のシリア難民に対する労働許可を出した。雇用は各会社の人口比一〇パーセントまでとされ、雇用には最低でも六ヵ月間のトルコ人IDの取得と住居契約が必要とされた。二〇一六年一一月二四日に発表された報道では、二〇一六年にシリア人一万二二七人に労働許可が下りた。これは前年よりも六〇〇〇人多い数字ではあったが、トルコに流入するシリア難民の数を考えると、非常に少ない。トルコの難民に対する対応はいまだに整備途上である。また、当然ながらシリア難民を長期間受け入れているトルコの経済的負担も大きい。
トルコに滞在するシリア難民の属性
トルコに流入したシリア難民とはどのような人たちであったのか。シリア内戦の構図がそのまま持ち込まれていることは容易に想像がつく。それは、アサド政権支持者や、クルド人などシリア内戦でトルコ政府が支持する反体制派と対峙する勢力の支持者は少ないという点である。後者に関しては、反体制派にもクルド人が含まれているので、一定数の人々が流入していると考えられるが、クルディスタン労働者党(PKK)に近い民主統一党(PYD)に近しい人々は少ないと考えられる。加えて、これも当然であるが、地理的にトルコ近隣の地域、大都市ではアレッポから逃げてきた人々が多いと考えられる。
こうした諸点はある程度想像可能であるが、その実態に関してはこれまで十分に把握されてこなかった。その理由の一つとして、トルコ国内でシリア難民に対する大規模調査が行われてこなかったことが挙げられる。しかし、二〇一八年に入り、トルコ国内でのシリア難民に関する二つの大規模調査が実施された。一つは、筆者も調査に参加した、科研費・基盤研究(B)「中東の紛争地に関係する越境移動の総合的研究一移民・難民と潜入者の移動に着目して」(代表者:高岡豊)によるトルコにおけるシリア難民八一二人を対象とした調査である。もう一つは、イスタンブルにあるトルコ・ドイツ大学教授のムラト・エルドアン(Murat Erdogan)が中心となって実施した調査、シリア人バロメーターである。ただし、シリア人バロメーターはキャンプ外のシリア難民以外に、トルコ人のシリア難民意識、キャンプ在住のシリア難民も考察の対象としている。また、インタビューイーの詳細な情報は掲載していない。
科研費の調査に関しては、アラビア語話者を通じてシリア難民ハコー人に対して、移動に関する一〇の質問と属性に関する一八の質問に答えてもらうというものであった。八一二人の選定に関しては、シリア難民が多い県、具体的にはイスタンブル(一九〇人)、シャンルウルファ (一六〇人)、(タイ(一五九人)、ガーズィアンテプ(一五二人)、アダナ(六四人)、メルスィン(六〇人)、キリス(二七人)という内訳であった。この調査によって明らかになった属性の特徴としては、①シリア北部の出身者が多い(アレッポ五五・五パーセント、イドリブ一三・八パーセント)、②熱心なムスリムが多い、③アラビア語以外の言語能力に乏しい(英語理解者一四・七パーセント、フランス語理解者二・三パーセント、ドイツ語理解者ニパーセント、クルド語理解者八・九パーセント、トルコ語理解者三九・九パーセント)、④高学歴者が少ない(非識字者一七パーセント、小学校未入学者一三パーセント、小学校卒業者一五パーセント、中学校卒業者一五パーセント、高校卒業者七パーセント、大学卒業者六・八八Iセント、大学院卒業者一・八パーセント)、というものである。このシリア人の属性に関しては、同様に錦田愛子、高岡豊、浜中新吾、溝渕正季、清水謙がスウェーデンで実施した調査と比較すると、トルコに住むシリア人の属性の特徴が浮き彫りとなる。スウェーデンに関しては、シリア人(二四六人)以外にイラク人(三六人)とパレスチナ人(九人)も調査対象となっているが、英語理解者が五三パーセントと高い。また、学歴に関しても高校卒業者一四パーセント、大学卒業者一四パーセント、大学院卒業者が一九パーセントと高学歴者が多い。
『マス・コミュニケーションの世界』より マス・コミュニケーション研究のゆくえ
パーソナル・メディアの進化
マス・コミュニケーション、マスコミ世界、そんな表現や表記は今日、メディアというネーミングによって代替されるようになった。冒頭、混乱するメディア世界という見出しにあるのは、マス・コミュニケーション研究のゆくえと密接にかかわる意味づけでもあった。メディアの進化には、マス・コミュニケーションからメディア・コミュニケーション、デジタル・コミュニケーション、サイバー・コミュニケーションと、人文科学や自然科学も入り乱れての多様なメディア論を登場させた。
「メディアの進化」とは「メディア革命」の類におよんでいる。
あらためてメディアの進化とは、その先にあるメッセージの伝達と受容されるプロセスにみる高度な利便性の向上につきるのではないだろうか。つまり、情報の伝達と表現方法の変化、さらに受容(受信・視聴)形態の変化を指している。その主要媒体がパーソナル・メディアであり、そこから受信したメッセージそのものが多彩なスタイルによって拡散していることである。
パーソナル・メディアと社会的ネットワークの台頭
日常,`多くの人びとにとって不可欠になったパーソナル・メディアは、社会的ネットワークとする「SNS」(ソーシャル・ネットワーキング・システム)によって一層の拡散を呈する環境を構築した。SNSを用いたパーソナル・コミュニケーションこそ、マス・コミュニケーション研究のあらたなテーマとなるメディアの進化を裏づけるものである。それはメディア革命の先にある「メッセージ」の伝達方法と過程に大きな構造変動を引き起こす要因となった。
SNSは、2000年代に入り台頭し、個人的機能中心の「mixi」(ミクシィ)「Facebook」(フェイスブック)「LINE」(ライン)に、社会的機能をもたらす「Twitter」(ツイッター)などが代表である。いずれも個人と社会の関係性を結ぶパーソナル・コミュニケーション形態によるスタイルをもっている。
社会的ネットワークを構築するコミュニケーション・ツールの草分けでもあったTwitterは、2006年頃から世界的に利用者が増大する。アメリカのTwitter社が運営するWEBサイトに登録した利用者は、制限文字数内で文章を投稿し、利用者どうしのつながりを生む、新しい形態のコミュニケーションとなった。一般的に「つぶやき」とも呼ばれる投稿文章は、単なる独り言とは異なり、自分の思考をリアルタイムで不特定多数の人びとにメッセージを発信する。個人内コミュニケーション的なつぶやきではなく、外部に向けた「意図的な独り言」である。その内容は瞬時に情報交換もともなう道具として利便性が高いのも特徴である。
近年のSNSの広がりは、個人による情報発信のトレンド化にも注目すべきである。アナログ時代における私的な日記帳から、デジタル時代の公的に公開する日記帳的なスタイルは、ブログや掲示板的メッセージとして定着した。日常的に蔓延する個人の内面的な思いを匿名や売名で外部に放出することである種の感情浄化にもなり、他人とのツイートに対するコメントのやりとりで、緩やかなコミュニケーションも生まれている。
また、芸能人やタレント、オピニオン・リーダーなどのブログに接することで、テレビや雑誌以上に親近感を得ることにもなった。著名人にとっては、広報活動の一環にもなり、企業や行政機関などの参加もその点に注目してのことである。 Facebookなどには、これまで疎遠であった人びととの再会や近況を報告し合うことで新しい人間関係を構築する機会にもなっている。同窓会的な意味合いもあり、Facebookは比較的年齢層の高い人びとに利用されているのもうなずけよう。
SNSでも若い人びとに圧倒的な支持を受けているのが「Instagram」(インスタグラム)である。 2010年に開始され、日本では2014年に日本語アカウントが提供された。主に個人の撮影した写真を投稿し、相互に楽しむという写真共有アプリケーションである。 SNS のなかでも文章から画像中心となり、その撮影をめぐる色彩や背景などをめぐり、映えるような画像いわゆる「インスタ映え」を強調した内容である。
Instagramは、コミュニケーションにある伝達機能に実際のコンテンツをプラスした最新のパーソナル・コミュニケーションである。映えをキーワードに日常のあらゆる対象を演出しながら人びとに公開し、その反応を求めるスタイルをとっている。文字から画像、さらに動画によってその内容を拡散させ、ネットワークに乗せている。最近の画像から動画の導入されたコミュニケーション機能は、まさに進化するパーソナル・メディアそのものである。
パーソナル・メディアの進化とマス・コミュニケーション研究
4媒体メディアのなかでも雑誌の売上げの減少は久しい状況が続いている。SNSの普及は、女性誌の世界にも大きな影響を与えている。女性誌の売上げ減少は、パーソナル・メディアの進化との関係性からみることができる。女性誌購読者を分析すると、以下のように類別できる。①女性誌を毎月購読する。②女性誌は購読せず、女性誌のSNSを利用する。③女性誌は購読せず、モデル・ショップスタッフのSNSを利用する。④女性誌を毎月購読し、女性誌・モデル・ショップスタッフのSNSも利用する。
女性誌を読まずともサイトにアクセスすることによってその情報は充足されているのだ。サイトには画像ばかりか動画が貼りついて、モデルの着用した商品情報など、新作のトレンドと合わせ、ビジュアル的に読者に迫っている。活字媒体を超えたメディアとして機能している。こうした現状から女性誌の売上げ減少は、単なる活字離れとは少し異なる事情を認識する必要もある。マス・メディアの機能とパーソナル・メディアの機能がメディアミックス的に作用していることにあらためて目を向けねばならない。
マス・コミュニケーション研究の大きな課題は、パーソナル・メディアの進化への対応である。パーソナル・メディアに注目が浴び、そのコンテンツに興味が注がれる事態が続いている。コミュニケーション過程や効果分析という基礎的な部分の解明よりも、メディア本体(各内容コンテンツ)を分析することに関心が向いてしまった。
本来、この変化への対応として必要なことは、既存のマスコミ4媒体とオーディエンスの関係、つまり受容形態そのものを変えてしまう事態へとおよんだ事実を詳細に分析することである。ゆえにマスコミ研究の分析方法にも見直しが求められている。あらためてメディア・フレームの再構成を軸にした、体系的なマス・コミュニケーション研究をいま一度めざすための方法論と、その過程を示し、今後の研究スタイルの確立をめざしたい。
『現代世界とヨーロッパ』より イスラームがヨーロッパ社会に与える影響
政治利用されるイスラーム
2017年の大統領選挙を前に、候補者たちが言論合戦を展開するなかで実施された調査は、在仏ムスリムの多くが「政治家たちはイスラームについてあまりにも多く話し」(80%)、「イスラームに関わる議論はムスリムにスティグマの感情を創出させる危険がある」(90%)と考えていることを明らかにした。
実際にイスラームはとりわけ選挙戦の折に政治的道具と化す。当時、フランスの保守・中道右派政党、国民運動連合(UMP、2015年より共和党に改称)総裁であったニコラ・サルコジ、2007年5月から2012年5月まで大統領在任)は、フランスの国家アイデンティティの尊重と維持を誓った公約ゆえに2007年に大統領に選出された。旧植民地出身の移民の若者を中心にパリ郊外で発生し全国に広がった2005年の「暴動」を契機に、移民統合の失敗とともに国家アイデンティティについての議論が盛んになされていたことがその背景にはある。その後、支持率が下落するなか2012年の大統領選挙に向けて極右の票集めをもくろみ、極右が従来からテーマとしてきた「非安全」を連呼した。結果として、サルコジは決選投票にて社会党のフランソワ・オランドに敗れて大統領を退任するが、彼はムスリム移民やその子供たちが愛国心に欠くことや、フランス社会に同化しようとしないことを強調した。
イスラーム問題に関する政治家たちの言論を追うと興味深い現象が見られるが、それは左派と右派の境界の曖昧化である。1989年の「スカーフ問題」発生時、ジョスパン教育大臣はムスリムの女子生徒を退学させた学長を非難したが、この問題に対する見解は左派内部でも割れていた。そして、2004年公布の「スカーフ禁止法」は、左派と右派の違いを越えて広く支持された。ヨーロッパ憲章の承認をめぐる議論にみるように、左派が多楡既の容認に進むのを右派が妨げていたものだが、今日、左派と右派ともに共和主義の精神が台頭して、少数派や多様性に閉鎖的な態度が高まったことで両者の溝が消失した。さらに、左派の多く、あるいは戦闘的なライシテ支持派は、社会の機能不全の責任をイスラームに帰し、郊外や移民統合の問題をイスラームという宗教と結びつける。たとえば若者が校内でアイデンティティ表明のために特殊な服装(スカーフなど)を着用する、ハラル食品を求めるなどすれば、それらの過ちはイスラームにあるとされる。そして、脱イスラーム化や世俗的ムスリムであることを要請する。
フランスは人種と民族に関わる統計収集を禁じているため、ムスリムの正確な人数を知ることは不可能である。それに乗じて、ムスリム人口の過大評価が度々なされてきた。ムスリム人口を多く提示することで、極右などはイスラーム過激派の台頭やムスリムの商業資本への侵入を問題にすることができる。ムスリム連合やイスラーム過激派もまた、それが政策決定を左右する議論へとつながり利益や譲歩が得られることを期待する。
世界的なイスラームの伸長を危惧するフランス政府は、イスラームの動向の管理にも余念がない。フランス全国のムスリム組織を代表する機関として、サルコジ(当時、内務大臣)のもと2003年に設立されたフランス・イスラーム評議会CFCM (Conseil Francais du Culte Musulman)がある。穏健派イスラームを代表しているという口実のもと、パリ大モスク代表のグリル・ブバクールを組織代表に据えた。代表選出において、サルコジは当初、外国の影響力を排して大臣による選出を望んでいたが、ムスリム側の反発にあって結局アルジェリア、モロッコなどの外国政府の介入を受け入れる格好となった。イスラームはここでフランスとこれら外国諸国との関係構築のための政治的道具として利用されている。
他方、エリートと人民の乖離が顕著で、CFCMに対して多くの人々は無関心な態度を示している。2008年7月実施のCSA調査によれば、「CFCMが自分を代表していると感じるか」という質問に、これを肯定するムスリムは過半数に満たない(「強く感じる」47%、「あまり感じない」34%、「それが何か正確には分からない」14%、「無回答」5%)。したがって、ムスリム組織代表として創設された機関は、ムスリムの人々を代表してはいない。
モスク建設への政治的介入
モスクの建設計画もまた、政治に左右されてきた。それを示唆する事例となろうが、リヨンで1994年から95年にかけて大モスクが建設された際、モスク建設に主に反対したのは、イスラームに脅威を抱く人々ではなく、「イスラームによる植民地化の危険に対する積極的な抵抗」を求める右翼過激派の国民戦争の温床となることを危惧する人々であった。
ムスリムの多くはモスクや礼拝所の建設地を探すのに非常な苦労を強いられ、フォアグラエ場跡地に礼拝所を設置するなどしてきた。ところが近年、ムスリムによるモスク建設の要求の高まりと、1990年代以降、地方議員がその建設に損失より利益の大きいことを見出して、建設計画を支持するようになったこととが相まって、モスクの増設が進んでいる。政治的介入のあり方がモスクの建設計画を妨害あるいは逆に推進させる大きな要因の一つとなることを示す例をそれぞれマルセイユとクレテイユの大モスク建設プロセスに見ておこう。
① マルセイユの大モスク建設の中止
住民の4分の1に相当する約20万人のムスリムがいるといわれるマルセイユでは、金曜日になると不法に道路で祈りを捧げる信者が大勢集まるなど、20年以上前から大モスクの建設が待たれるなか、建設計画が紆余曲折を経ながら進められてきた。2006年7月17日、これまで躊躇していた議員たちが、15区にある旧場をマルセイユのモスク連合に99年間貸出すことを決める。ところが、モスク建設に向けた市議会の決定に対して、2007年4月、極右政党の国民戦線(FN)、共和国運動(MNR)、フランス運動(MPF)が訴訟をおこす。その根拠とされたのは、予算案の提示が不十分であること、国家がいかなる宗教に対しても補助金を交付することを禁止する政教分離法(1905年)に反して文化的施設と偽装したうえで公的助成が行われようとしていること、年間の土地貸借契約料が市場価格に比して極めて安価であることである。行政裁判所は、これらの理由をもって違法な助成と判断し、「権力の乱用」として上記の決定を取り消した。そこで、同年7月、市の土地と建物の使用料を大幅に値上げしたうえで、期間は50年に短縮して貸出し契約を交わすこととした。こうして2009年時点では2011年に大モスクが完成予定であった。しかし、2013年以降から資金難に加えてマルセイユ市長側とモスク連合の間の対立が生じて建設計画は進められておらず、2016年には土地の賃貸借契約の取り消しがなされた。そのためマルセイユの大モスク建設は実現していない。
② クレテイユの大モスク建設の実現
2008年12月、パリ南東部に位置するクレテイユに開設された大モスクは、通常、立案から建設まで10年以上かかることが多いなか、5年で建設が実現した特例といえる。その要因は、他の多くのモスクが資金不足や訴訟によって計画の延期を余儀なくされているのに対して、社会党市長が建設の実現のために積極的に介入し、資金問題の解決や複数のムスリム共同体の統括において決定的な役割を果たしたことにある。建設に至る過程で、市長は単なるモスクではなく、会議場やレストラン、図書館や本屋などの文化的施設も備えた複合施設とするよう働きかけた。そこには、多くの市長が試みているのと同様、礼拝所に文化的要素を加えて住民の皆が利用できる施設とすることで、前述の政教分離法(1905年)に抵触せずに公的援助を可能にする意図がある。実際に、450万ユーロ(税抜き)の建設費用のうち、「宗教的な部分」はもっぱら国内のムスリムが負担し(180万ユーロ)、「文化活動に関わるもの」については、市が備品援助という形で100万ユーロ、県とともに150万ユーロを債務保証として資金援助した。
礼拝所の増設という量的側面からみてムスリムに対する寛大な措置が広がったとみるのは早計に過ぎる。建設中のモスクの多くは依然として経済的問題を抱えている。そのため、モロッコ、サウジアラビアやクウェートなどの外国諸国の資金援助を頼りにしており、小規模な礼拝所では信者の寄付が第1の資金源となっている。フランス・イスラーム組織連合(UOIF:Union des Organisations Islamiques de France、2017年にフランスのムスリムに改称)の(当時)事務局長タミ・ブレーズによれば、UOIFはフランスの大都市に35のモスクを所有する一方、年間9万枚の祈祷用カレンダニ・を販売したり、石油大国向けにほぼ独占的にハラル肉を販売したりするなどして、予算の3分の2は自分たちで資金調達しながら、残りは湾岸諸国の支援者に負った。外国の資金に頼ることは、時にワッハーブ主義者39によるきわめて厳格なイスラームのフランスヘの流入を招く危険性を伴う。それを食い止めると同時に、資金の透明性を高めるために公的援助を行うのか、あるいは援助には躊躇したままでいるのか、行政の姿勢が問われているといえる。
675『ハイエンド型破壊的イノベーションの理論と事例検証』
451.8『やさしい気候学』気候から理解する世界の自然環境
384.38『路上ワーク幸福論』世界で出会ったしばられない働き方
493.72『よくわかる心のセルフケア』ストレス・不安・うつに負けない
367.21『男たち/女たちの恋愛』近代日本の「自己」とジェンダー
227.4『トルコ共和国 国民の創成とその変容』アタチュルクとエルドアンのはざまで
281.04『「わたし」と平成 激動の時代の片隅で』
013.8『図書館情報技術論』
392.53『国家機密と良心』私がなぜペンタゴン情報を暴露したか
809.2『5日で学べて一生使える! プレゼンの教科書』
131『ギリシャ哲学30講 人類の原初の思索から(下)』「存在の故郷」を求めて
312.53『トランプ報道のフェイクとファクト』
336.3『組織のディスコースとコミュニケーション』組織と経営の新しいアジェンダを求めて
141.93『エニアグラム【基礎編】自分を知る9つのタイプ』
309.04『そろそろ「社会運動」の話をしよう』自分ゴトとして考え、行動する。社会を変えるための実践論
222.4『台北歴史地図散歩』古地図と写真でたどる台北の100年
302.3『現代世界とヨーロッパ』見直される政治・経済・文化
313.61『感情天皇論』
210.2『境界の日本史』地域性の違いはどう生まれるのか
361.45『マス・コミュニケーションの世界』メディア・情報・ジャーナリスト
335.13『未踏の時代のリーダー論』挑戦する経営者たち