古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「坂の上の雲」の疑問

2016-03-02 | 読書
『司馬遼太郎「坂の上の雲」なぜ映像化を拒んだか』(牧俊太郎著、2009年10月刊、近代文芸社を読みました。
「晩年の司馬氏言説と「坂の上の雲」の歴史認識との隔離」という章(第4章)を中心に要約します。
「司馬さんの日中戦争や太平洋戦争論には、あの戦争は倫理的に間違っていたとか、大義名分がなかったといった考えは全く出てこない」「彼が言っているのは、負けるに決まっているのに戦ったいくさだからばかげているということだけです」(丸谷才一氏)
おろかな戦争にゴーサインを出す権限、軍を統率する権限を持つ「最高責任者」としての天皇や天皇を「輔弼」した国務大臣の責任も抜け落ちてしまっている。
次に・・・統帥権。天皇は「陸海軍を統帥する」と明治憲法第11条に規定されている。開戦、和平の権限などとともに、大元帥・天皇の「大権」の一つである。政府(内閣)もそこに踏み込めない。各国務大臣の「輔弼」の埒外にある。
司馬氏にとって、統帥権は、氏の不連続史観、すなわち、明るい明治と暗い昭和を分ける分水嶺ともいうべき位置にある。従って特別に重要な意味を持っている。単純化して言えば、明治においてはそれは“正常”に機能しているが、昭和になって軍部が独占、悪用し、国家を破壊に導いたというのが、司馬氏の解釈である。
司馬氏は「坂の上の雲」以後、「昭和」の作品化(具体的には「ノモンハン事変」)に挑み、果たせず断念しているがそれは「統帥権」解釈と深く関わっているように思える。
1986年6月頃の執筆である「この国のかたち(一)の「四“統帥権“の無限性」では、こう書いている。
「以上、われながらとりとめもなく書いている。私自身の考え方がまだ十分かたまらずに書いているからで、自分でもいらいらしている。ともかく自分もその時に生存した昭和前期の国家が何であったかが、40年、考え続けてもよくわからないのである。よくわからぬままに、その国家の行為だったノモンハン事変が書けるはずがない」。
次に統帥権の「独立」の問題である。
もともと、統帥権の「独立」という考え方は古くから、“慣習法”的にあった。1878年に制定された参謀本部条例で法制化し、参謀本部自身が政府から独立した。この時、参謀本部に「帷幄上奏権」、すなわち、統帥部が天皇に直接「上奏」する権限が与えられた。統帥権は、政府の「輔弼」を必要としない大権として扱われてきた。
統帥権は昭和になって、「変質」、「独立」したという司馬氏の解釈は明らかに事実に反している
明治と昭和を不連続で「別国」のように描く核心的キーワードとして、統帥権の「独立」を使い、その独立を昭和に求めようとした点、恣意性があるように思える。
半藤一利氏は「“昭和史”を研究すれば、天皇(大元帥)が「空」であるとは思えなくなる」と述べ、『坂の上の雲』には「不思議なくらい明治天皇はでてきません」と指摘。「天皇のでてこない明治史とは、はっきり言って驚きの書と言えるのではないでしょうか」と疑問を呈している。(清張さんと司馬さん)
吉田直哉氏は、『坂の上の雲』は、作者の「語り」の部分が主要な位置を占めており、映像化の難しい作品だとして、ドラマ化には一貫して否定的であった。
このため氏は『坂の上の雲』の枠から離れ、明治国家を司馬氏に多面的に語らせる『太郎の国の物語』というトーク・ドキュメンタリー番組を制作する。